teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 <思いやりのあるコミュニティ宣言>
 teacup.掲示板は、皆様の権利を守りながら、思いやり、温かみのあるコミュニティづくりを応援します。
 いつもご協力いただきありがとうございます。

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL


引き潮のとき

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月24日(金)22時52分52秒
返信・引用 編集済
 
「最近はすっかりと記憶力が衰えて、国技館から帰宅するころには、ほとんど思い出せない時もあります」元記事

 とのことですが、先場所先々場所に比べたら、全然違います。あの頃は、いよいよかな、もう無理なんじゃないか、と心配したのでしたが、今場所はもとに戻った印象。安心しました。
 けれども――
 引き潮は、寄せては返しながら、全体として退いていくのですよね。噫。


 
 

Re: 残り時間に関して

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月22日(水)20時38分48秒
返信・引用 編集済
  > No.11070[元記事へ]

 承前。
 よく読んだら、
>1日が短く1年も短い!!!!!
 と書かれていますねm(__)m

「定年後に暇を持て余すぞ」という記事ですが、私も、前項に記しましたように、時間はどんどん足りなくなっていくように(実際)感じています。
 野波さんの計算式を援用しますと、
 90歳の場合の146,800時間は、野波さんは計算式を省略していますが、16x365x25(※)です。あれ、146,000時間? 書き写しミス?
 何はともあれ、この計算式に溶質の薄まり具合を反映させるべきでしょう。
 90歳で死ぬとは、溶質が極限にまで薄まってしまった状態とみなせますよね(濃度ゼロ)
 この間の変化は、単純に一直線ではなく、微分であらわすべきですが、単純に同一の割合で減少していくとしましょう(汗)
 図にするとこうです。
 

 黒の横線は、単純に死ぬまで一日16時間の自由時間があるという線。この長方形の面積が、146,000時間(※)。
 赤斜め線は、年年歳歳、濃度が薄まり、90歳でゼロになるという線で、オレンジの領域は、その際の合計時間です。
 三角形の面積は、底辺×高さ÷2ですから、146,000時間の半分、73,000時間。
 90歳まで生きたとしても、とても現役時代の自由時間に匹敵しません。
「定年後に暇を持て余」しているのではないのです。どんどん薄まっていっているのです。そして最後は雲散霧消してしまうのですね。噫。

 

Re: 残り時間に関して

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月21日(火)20時44分57秒
返信・引用 編集済
  > No.11069[元記事へ]

 野波さん

>時間の重みは不変なのです!
 なるほど。言われてみればたしかにそうですね。
 となりますと、昔と今で、大きく異なるのは、アイドリング時間といえるのではないでしょうか。
 ぼおーっとしている、という状態は、言い換えれば存在(意識?)が「時間の中で希薄」になっている事態といえそうです。
 1時間を1リットルの水(溶液)に例えますと、希薄とは濃度が薄いということですから、たとえば現在の存在を10%としますと、真の存在量(溶質)は、1デシリットルです。
 一方、現役時代はもうちょっと濃かった、と思います。なので、その倍で20%としますと、真の存在料は2デシリットルです。
 つまり現役時代、1時間の中に存在していた存在量と同じ存在量は、現在では2時間の中に存在している。
 これを内側から感じ取るなら(内感)、昔の1時間の存在感が、今は2時間なければ感じられない。
 昔の感覚で、1時間経ったかなと時計を見れば、なんと2時間経過している。
 これが「急流化」という事態なのではないでしょうか? 如何?
 もっと具体的にいえば、昔は1時間のアイドリングで、或る作業に没入していけていたのが、今ではそれに2時間を要している。
 この感覚は、わたし的にはまさに当を得ているのですけどねえ\(^o^)/


 

残り時間に関して

 投稿者:野波恒夫  投稿日:2021年 9月20日(月)22時39分47秒
返信・引用
   いや、まあ。ツッコミどころ満載ではあるんですがね。
 通勤時間中に何かを読むのは自由時間中のInputと同じではないか、とか。勤務中にPLOTを考える(弄っているうちに大きくなっちゃう?)とか。
 現役時代は拘束時間中の昼休みに飯を食うけど、退役後は自由時間中に飯を食うとか。

 しかし、まあ。1時間の重みについてですが。
 ワープロを導入して以来、手書きで1枚/3時間が、3枚/1時間になって。その速さは現在も変わっておりません。原稿の生産量を基準にする限り、時間の重みは不変なのです!

 アイドリング時間についても。年齢よりも環境ですな。
 ファミコン以前と以後。ドラクエ3で覚醒(もしくは入寂)した後の数年間は、ファミコン時間が賃金対象就業時間(8時間×5日)×年間労働日数よりも大きかったのですから。
 今現在もフリーセル連勝記録挑戦時間が……今年の8月に1833までいきましたが。

 ちなみに、年間最多執筆枚数は、2019年の3088枚。
 今年は2000枚を超えるか田舎。

 さらに津波に。
 若者は1日が短く1年が長い。老人(俺じゃねえよ)は1日が長く1年が短い。
 などと申しますが。拙の私は――1日が短く1年も短い!!!!!

 『葬送のフリーレン』は、従来のファンタジーで取りこぼしていた視点だと思います。

http://haruoni.seesaa.net/

 

鴨長明

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月20日(月)14時50分21秒
返信・引用
   あこがれますなあ。私もそのうち\(^o^)/

 

 

Re: 残り時間

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月20日(月)14時43分47秒
返信・引用 編集済
  > No.11066[元記事へ]

 野波さん

 おお、これは興味深いデータをありがとうございます。
 しかし、私が思うに、憚りながらこの計算は片手落ちのようなm(_ _)m
 それは、現役時代の1時間と、引退時代の1時間を、同じと考えていいのか、ということです。
 私の内観(感)では、現在の1時間と、現役時代の1時間は、どうも同じ長さとは思えないのです。
 最近の1時間のほうが、明らかに時間が短いと感じられるのですね(筒井流にいえば時間の急流化)。
 加うるに、いわゆる自由時間ですが、その時間中にふと気がつけば、ぼぉぉぉぉぉぉ~っと、何十分も(見方によれば数時間も)、目はあいてけれども実質的には眠っているに等しい時間を過ごしてしまっていたりします。
 そういう意味では、90歳まで生きても「現役時代よりも長く」はならないような(汗)
 という次第で、その点を加味した(重みを付加した)データをぜひぜひ、よろしくお願いします(>おい)\(^o^)/



 

残り時間

 投稿者:野波恒夫  投稿日:2021年 9月20日(月)07時09分7秒
返信・引用
  いつぞや、管理人殿の記事で「残り時間」に関するお話を拝見した記憶があります。

いやいや、まだまだ。前途は遼遠にして遥けくも遠いのですぞ。

http://haruoni.seesaa.net/article/483480798.html

http://haruoni.seesaa.net/

 

Re:   

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月20日(月)00時03分35秒
返信・引用
  > No.11064[元記事へ]

 承前。ルーペという言葉に触発されて私がイメージしたのは、いわゆる虫眼鏡、手相見が使うような大型のそれで、開いた頁にそれをかざして、舐めるように読んでいる姿でした。
 しかし、昨日の書き込みのあとふと気づきました。ルーペといっても、もしかしたらそれは、ハズキルーペの意味だったのかも。いや屹度その意味だったんでしょう。
 だったら私も、ハズキルーペではなくその安価なまがい物(?)ですが、読書ではないけれども仕事では使っていますので、そんなにショッキングな話ではないなあ、と思い直したことでした。

 それはさておき、来月11日が亡父の一周忌ということで、今日は東京から弟がきていて、その相談をしていたのですが、もうひとつ、老母が無症状の心臓弁膜症でして、なので本人には自覚症状がない。たまたまかかりつけのクリニックで、ほんの数年前、別の案件で撮ったレントゲンで発見、紹介されて行った市民病院の先生は、90を過ぎた年寄りに手術しても仕方ない(寿命が10年も伸びるわけでもない)し、危険。また実際、そのような人に手術はしないというのがデフォとのことで、手術でしんどい思いをさせるより、むしろ(糖尿病の持病あるのですが)余命を食べたいものを食べさせてあげたほうがいい、という考えの持ち主だった。
 ところが、先日先生が変わり(大病院ではまあ、あること)、新しい先生が言うのには、この数年で医療技術が向上し、90過ぎであっても手術は行うという方向に変わってきている。また老母の場合は外科手術ではなくカテーテルを入れるだけなので、体力もさほどいらず全く安全。考えてみませんか、と。検索すると、確かに同様の考えの記事が見つかりました。
 その件も相談したのでした。
 新しい先生も、寿命が伸びるということはないというのはそのとおりだけれども、体は間違いなく楽になる(本人は今の状態が普通だと思っているだろうが)。行動も現状より活動的になるだろうと。
 ただ本人は当然嫌がっていて、かかりつけのクリニックの先生にも訊いたのですが、否定的ではないにしろ賛成という感じでもなく、ただ楽になるのはそのとおりだろうとのこと。
 そういうことを包括的に、意見交換をしました。もちろん結論が出るものではありませんが、現状を、ニュアンスも含めて伝えた。次の予約日に、かなり精細な検査をしてもらうことになっており、まあその結果を踏まえての判断となりそうです。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月18日(土)21時12分49秒
返信・引用 編集済
   昨日からとつぜん目の調子が悪くなりました。
 いやまあ、某M氏は、老眼鏡を使っても文字は見えず、更にルーペを使っておられるそうで、私はそこまでではありませんが、でもそういうのを聞きますと、恐怖感をおさえきれません。で、字を読むのは控え、専ら音楽を聴いています。
 といってもYouTubeですけどね。

 元ツイート

 まだ若い。そのうちに文字を拡大でき、バックライトでくっきりする電子書籍のほうがラクになります(>おい)(ーー;


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月16日(木)21時01分37秒
返信・引用 編集済
   元ツイート



 元ツイート

 

Re: 眉村さん情報:村上知子「“星さん” のこと」

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月15日(水)20時02分40秒
返信・引用
  > No.11060[元記事へ]

 承前。
 みなさんは、読み聞かせ、やりましたか?
 私はやったことがなかったです。これは自信をもって断言できます(あかんがな)。
 いやそうなんです。あかんがなですよね。
 でも、子供が小さかった頃は、子供が起きている時間に帰宅するということがあり得なかったのですから、その記憶に間違いはありません。
 ちょうどその時期は仕事が面白くて、いやこれは半分洗脳だったと今は思っていますが、深夜帰宅し、ご飯をかっこんだら即バタンキューという生活パターン。
 今となっては、自分の記憶思い出の意味でも、そんな時間を経験したかったな――
 と、村上知子さんのエッセイを読んで、突如そんな思いにとらわれました(>おい)。
 眉村さんも、その日の枚数を完了したら、夜ごとキタやミナミに出て行かれ、日付が変わった頃帰宅されていたのだろう、と、なんとなくそう思っていましたが、ちゃんと父親もなさっていたのですね。
 あらためて尊敬してしまいました\(^o^)/

 

飛来説

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月15日(水)19時48分46秒
返信・引用
 

 有機体飛来説はクライン・ユーベルシュタインも使っていたような・・・

 

Re: 眉村さん情報:村上知子「“星さん” のこと」

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月14日(火)21時09分14秒
返信・引用 編集済
  > No.11058[元記事へ]

 承前。
>眉村さん情報としても貴重なエッセイです!
 と書きましたが、その意味を説明します。
 眉村さんはチャチャヤングで、ショートショートコーナーができる前に、まず、投稿ショートショートの朗読をされて、それがショートショートコーナーに発展していったのでした。
 まず朗読ありきだったわけです。
 そしてその朗読も、最初から形式が確立していました。抑揚もしっかりとあり、とりわけ特徴的だったのは、地の文も会話文も関西弁イントネーションで朗読されていたことではないでしょうか。
 つまり、最初から「堂に入って」いましたよね。
 これ、考えたらすごいことです。
 朗読って、ふつうは無意識に共通語イントネーションをなぞろうとするものだと思うのです(出来ているか出来ていないかは別にして)。抑揚も、慣れなければなかなか出来るものではないでしょう。
 少なくともある日とつぜんに出来ることではありません。
 何が言いたいか。
 チャチャヤング以前に、眉村さんの中で、すでにそういう朗読の型が完成していたと考えるべきではないかということ。
 そしてその原点はおそらく知子さんへの読み聞かせにあり、知子さんへの読み聞かせの過程で、完成していったものではないか。
 ということに、当該エッセイを読んで、私は卒然と気づいたわけです。
 逆にいえば、幼い知子さんも、私たちがラジオから聞いていた眉村さんの朗読と、同じイントネーション・抑揚の声を聞いていたということ。
 眉村さん情報として貴重とは、そういう意味なんですね(>ホンマかいな)\(^o^)/

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月14日(火)09時31分13秒
返信・引用
 
 遠隔地震(リモート地震)と呼称するのが適当ではないでしょうか\(^o^)/

 元ツイート



 

眉村さん情報:村上知子「“星さん” のこと」

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月13日(月)19時44分47秒
返信・引用
   星新一公式サイト「寄せ書き」コーナーに、村上知子さんのエッセイ「“星さん” のこと」が掲載されています。(→こちら
 眉村さん情報としても貴重なエッセイです!


 

「息の重さあるいはコトバ五態」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月12日(日)22時44分32秒
返信・引用 編集済
   服部誕『息の重さあるいはコトバ五態』に着手。

「窓の思想」>服部さんの詩集のド頭のは、大抵その詩集の基調というか、全体を俯瞰したものになっていたと思うのですが、本詩もたぶんそうでしょう。

 窓から/窓枠を/とり去れば/何が/のこるか

 窓枠でかこまれた風景もしくは世界を内容としましたら、窓枠はいうまでもなく形式(構造)です。
 窓は窓だけでは存在し得ない――窓から窓枠をとり去ったら、内容は、たとえばこんな風に地面に落ちてしまうのではないか。
 
 ――と、即物的且つ構造主義者である私はそう思います。
 でも、著者はそうではないようです。

 言葉(形式)のない思惟(内容)は可能か? 楽しみです~\(^o^)/

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月12日(日)15時28分52秒
返信・引用
 

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月11日(土)23時00分10秒
返信・引用
 
.

 

「夢見草」補遺

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月11日(土)13時12分39秒
返信・引用 編集済
  > No.11053[元記事へ]

 承前。さっき読み返して、うっかり書き落としたことがあるのに気づきました。
「最後の旅」ですが、語り手の夫は、40歳で兼業作家。新人賞はとりましたが、まだ無名の存在。ただ長篇を書き始めており、書きかけの原稿を、文学に素人の妻が読んでも、これまでの作品とは一段階違うものであるとわかりました。
 その夫に癌がみつかる。医師は告知すると生きる意欲がなくなるので、絶対に事実を知らせてははいけないと妻に言う。
 夫は胃潰瘍との名目で入院する。
 夫の友人の編集者は非常に変わり者で一種の原理主義者。残り少ない命を家族と一緒に過ごすというような、無駄なことに費やさず、すべて長篇の完成に傾注させるべき(それだけの価値のある長篇であることは請け負う)として、告知して寿命が限られていることを知らせろ、そうすれば彼は命を削って作品を完成させるから、といいます。
 医師と編集者に挟まれて悩む妻は、限りある生を自分と子供との生活で満喫して逝ってほしいと願っています。
 入院中も、夫は原稿を書き続けているが、次第に疲れるのか、あまり筆が進まなくなり、子供と無邪気に遊ぶ時間が増えていく。
 業を煮やして編集者が、医師にも妻にも無断で、夫に「ほのめかして」しまうのでしたが……

 さて、長篇は完成したのでしょうか?
 また、夫は、本当に自分の病気に気づいていなかったのか?
 結末を明かすのはやめておきますね(>おい)\(^o^)/

 

「夢見草」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月10日(金)21時16分31秒
返信・引用 編集済
  > No.11047[元記事へ]

 尾籠な話で恐縮ですが、お通じが不調です。便秘と下痢が交互に訪れます。理由はわかっています。腹筋は三層に分かれていまして、便をひり出すのは最下部の腹筋なんですが、これが弱ってしまっているのです。それが証拠に、同じ部位の筋肉を使う起き上がり腹筋が全く出来ません(ーー;
 つまり硬便を押し出す筋力がないので便秘となり、腸内にたまりすぎると、脳から指令が出て軟便化し、さほど息まずとも排泄されるというメカニズムですね。
 自粛(による運動不足)の影響は、こんなところにも出ているのです。困ったもんです。
 ということで、今日も今日とて運動がわりに電車に乗り、天王寺を少し歩いてきました。
 というのは、もちろん嘘偽りにない表層事実ですが、いまひとつ隠れた次元があり、要は読書のためです。
 先日も書きましたが、なぜ読書は、電車と喫茶店で進むのでしょうかね。
 今日も、ひきつづき『夢見草』。前回の車中読書後、「春の町にて」は家で読んだのでしたが、残り四篇を、往路で「最後の旅」、天王寺の喫茶店で「雨の庭」、復路で「蠅」「夢見草」を読みきり、

 加賀乙彦『夢見草』(筑摩書房、72)読了。

「制服」に顕著ですが、著者のテーマは北杜夫のそれに極めて近いのですね。
 北杜夫描くところの「ちょっと変わった」主人公たちは、読者をして爆笑に誘いますが、著者が描くとトラジコメディとなります。
「制服」の主人公は刑務官で看守部長。警察におけるノンキャリのベテラン巡査部長くらいの感じでしょうか。
 一度も欠勤したことのないまじめ一筋の主人公が、あるきっかけに突如「狂う」。
「狂う」と書きましたが、この「狂う」は、北杜夫の主人公たちだって(あるいはヨガ式阪神を優勝させる法を実践中の北自身も)、ちょっと見方を変えれば(描き方を変えれば)該当するものです。
 部外者(読者)からすれば、非合理極まりなく、何をそんなに拘るのかという感じですが、本人が真剣であればあるほど、悲劇的様相を呈してきます。
 あ、倉阪鬼一郎の主人公も同じです。ただ、倉阪は主人公を(少なくとも表層は)突き放して描くので、私は好みません。そこが加賀乙彦とは違いますね。
「遭難」は雪山遭難小説で、おそらく体験的要素が強い。この世代の作家は山が趣味の人が多く、遭難小説も多いですね。10才歳下ですが、古井由吉も面白い遭難小説がありましたが、いまタイトルを思い出せません(長篇の一エピソードだっけか)。
「傾いた町」は「フランドルの冬」や「荒地を旅する者たち」とモチーフを共有するパリ小説。パリで狂う留学生というのは、本当に魅力的です。背後にフーコー的なものを感じて。
「春の町にて」も留学生もの。しかしこれは一転明るくて軽快で(初出が「婦人之友」というのも宜なるかな)パリ在住の日本人留学生が、スクーターでドイツを旅行するのですが、ドイツ人て、誰もみんなこんな風に篤実なんでしょうか(四角四面の別角度といえるかも>おい)(^^;
「最後の旅」は、憚りながら私の「風の夕べ」(CYSM9号)と同一モチーフ。60年代後半70年代初頭までは、癌は宣告しないのがデフォルトだったのです。
「雨の庭」は、北杜夫(一歳年上)と同じく東京山の手原っぱ派の作者の懐旧が強く出た作品。思い入れが強すぎてやや速度が悪い。「稲村ジェーン」と同じ(汗)
「蠅」はファルス。これは倉阪さんも書きそうな話。尤も倉阪さんですともっとどぎつくなるでしょう(線の外に排除する)。
「夢見草」も懐旧「幻想?」譚。?とするのはラストがどっちなのか判断できないから。
 引用しておきましょうか。
「あの桜の木のある家がみっちゃんの家でなかったことを私は知っている。みっちゃんの家など実はどこにもなかったのだ」
 5行あけて
「建物も塀越しに察した庭の結構もみっちゃんの家とは似ても似つかなかった」

 のちに大長篇作家となってしまうので、短篇集は少なく、もしかしたら、あと『異郷』だけかも。『異郷』も持っているので、そのうち読み返します。

 

岡本俊弥『豚の絶滅と復活について』拝受

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月 8日(水)22時25分12秒
返信・引用
   岡本俊弥さんより最新短篇集『豚の絶滅と復活について』を頂戴しました。いつもありがとうございます。
 しかし、まだ前作品集『千の夢』を半分しか読めていない。
 刊行速度が早すぎます。あなたはシルヴァーバーグですかマルツバーグですか(>おい)(汗)
 精進いたします\(^o^)/

 


 

Re: SFアドベンチャー誌、1980年12月号

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月 8日(水)00時31分5秒
返信・引用 編集済
   雀部さん

 ご紹介感謝です。実は私、1979年に就職しまして、そこが今でいうブラック、アワワもとい、社員をその気にさせるのが大変上手な会社でして、始発の次の電車で出社し、人が誰も歩いてない深夜に帰宅するという、太陽をほぼ見ない生活をしていまして(残業手当はだいたい出たので、基本給は普通でしたが手取りは同級生と比べてよかった)、10年くらいはSFどころか小説とは無縁でしたので、このSFAは表紙も記憶がありません。
 そんな対談が掲載されていたのですね(>興味津々)。
 で、私が想像するに、おそらく荒巻さんは南山鳥27を推し、眉村さんは和田宜久を推したのではないでしょうか(もし筒井さんが加わっておられたら、西秋生推し)。いやまあ当たるも八卦当たらぬも八卦(^^;
 でも結局、専業作家は出なかった(現時点では出ていない)。これは80年代以降のSFバブルで(もちろん個々の作家が至らなかったのもあるでしょうけど)ブロックバスター狙いが求められ、チャチャヤンの作家たちの、これは共通資質である(=眉村さんの或る面の反映でもある)マイナーポエット資質は、編集者の目に入らなかった面がなきにしもあらずかな、と、手前味噌ながら思ったりしますね。
 今度、図書館で探してみようと思います。ありがとうございましたm(_ _)m

 ということで(どういうことだ)いまごろこんなツイート発見。遅かりし\(^o^)/

 元ツイート

 

SFアドベンチャー誌、1980年12月号

 投稿者:雀部陽一郎@「アニマ・ソラリス」  投稿日:2021年 9月 7日(火)17時09分57秒
返信・引用
  石坪光司さんに、「星群の会」インタビューをさせていただいたのですが、その際に話題となった「SFアドベンチャー誌」1980年12月号に掲載の、眉村先生と荒巻先生の対談「SF作家への道」に、“「チャチャヤング」には有望な書き手が3,4人は居る”との眉村先生の発言の記述がありました。たぶん当時にはけっこう話題になったのでは無いのでしょうか?

http://www.sf-fantasy.com/magazine/sasabe/?p=751

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月 6日(月)23時45分29秒
返信・引用
   元ツイート

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月 6日(月)17時29分12秒
返信・引用 編集済
   元ツイート
 968÷15%=6453人:検査数 東京都人口1396万人

 元ツイート
 924÷7.2%=12833人;検査数 大阪府人口882万人

 

「夢見草」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月 5日(日)22時49分56秒
返信・引用 編集済
   自粛で終日パソコンの前に座っているのですが、とはいえずっと座り続けているわけではなく、トイレにも行きますし、コーヒーを作るために席を離れたりもする。雑用もあります。連続的に座っているのは、長くてもせいぜい2時間程度でしょうか。
 ところがその程度でも、立ち上がる時、う、危ない、と思うことがしょっちゅうです。
 腰が座ったかたちで固まっているのです。
 そろりと立ち上がり、腰を伸ばし、やれやれ、と安心する、の繰り返し。
 ちょっとやばい。
 ということで、今日は運動も兼ね、先日書き込みました電車読書をしてきました\(^o^)/
 梅田まで往復してき、『夢見草』から、「制服」の残り、「遭難」、「傾いた街」を読みました。
 ホント不思議なんですが、どうして車中読書だと集中力が途切れないんでしょうね。面白いように進みます。いやまあ、本自体が面白いのです。
 半世紀ぶりの再読で、完全に内容を忘れていたのですが、読み出しますと、少しずつストーリーが甦ってきました。
 ただ甦ってきたのはストーリー(プラットホーム)で、それに作者が乗せた内容は、今回初めて、ああそういう意図だったのか、と了解しました。
 半世紀前はストーリーしか読んでなかったんですね。ということで、感想はまとめて。
 大阪駅で降り、喫茶店でも読書し、せっかく梅田まで出てきたんだからと、堂島のジュンク堂で、一冊購入。

 

 私のなかに「変格探偵小説」は、確固とイメージがあるのですが、それはごく乏しい読書体験から作り上げたもので、本来の定義からするとズレているのではないか、という危惧をずっと持ち続けていました。
 本書を読んで、自己定義を検証したいと思います。

※訂正。先日書き込んだのは「喫茶店読書」でしたね汗。


 

服部さんの新詩集

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月 3日(金)21時51分33秒
返信・引用
   服部誕さんより、最新詩集『息の重さあるいはコトバ五態』を拝受しました。ご恵投感謝。いつもすみません。
 今度の御本は、表紙が、これまでの素っ気なさの美学から離れ、なかなか華やかですね(^^)
 早速読ませていただきます。
 ありがとうございました。

 

 

Re: 国産ロケット開発史とコロナ株

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月 3日(金)15時58分45秒
返信・引用 編集済
  > No.11044[元記事へ]

 コロナ自粛で悪い習慣が出来て、もうこの時間から飲み始めています。だってやることがないんですもん。
 ショートショートを書くという創造的な趣味をお持ちの方は幸いなるかな。私はその意味では無趣味人なので、暇で暇で(いや、やらねばならないことは一杯あるのですが)、この位の時間になりますと、手持ち無沙汰(もしくは口寂しさ)でつい冷蔵庫からビールと缶酎ハイを交互に取り出してしまうのです。
 結果、一日に5、6缶開けてしまい、週一回の「ペットプラゴミ出し日」はご近所的にたいへん恥ずかしい思いをしています。
 本も、家では絶対読めません。とうに『夢見草』に着手しているのですが、冒頭の「制服」を喫茶店で読み始め、残り10頁あたりで、あとは家で読もう、と腰を上げたのは、あれは前の日曜日でしたか。ですからすでに1週間近くになります。それから1度も頁を開けていません。仕方がない。明日あたり、また読書しに喫茶店に行ってこようと思います。

 閑話休題。
 承前
「科学技術庁長官! クサイの臭気漏れの善後策はまだか? このままだと、私は国連で、各国首脳から「ごめんクサイ。こらまたクサイ。ああクサイ」と非難轟々だ」
「総理ご安心を。善後策は見つかりました。さっきそのためのロケットを打ち上げたところです」
「おお、それはでかした。で、何を打ち上げたのかね?」
「フタです」


 

国産ロケット開発史とコロナ株

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月 2日(木)23時06分38秒
返信・引用 編集済
   コロナ、ついに国産ロケットに追いつきましたね。次はニューとなるのでしょうか?
国産ロケットの場合も、ミューの次は順当ならニューとなるはずでした。が、とつぜん「エヌ」と英語に変わり、その次はHにワープしてしまいましたよね。
 なぜミューの次がエヌやねん。と当時多くのニッポン人が首を傾げました。
しかしこれは、ギリシャ文字アルファベットで、ニューの次は何であるかを考えればわかります。
 いうまでもなくニューの次はクサイです。
「ニュースです。我が国の国産ロケット、クサイ1号が、本日内之浦宇宙港から打ち上げられ、無事地球周回軌道に乗りました(バックに喜び爆発の内之浦管制室の映像)。もう一つニュースです。クサイ周回軌道下の地球各地では原因不明の異様な臭いに襲われ、悶絶死する人が多数発生しているそうです。これはクサイから漏れたものではないかとの噂が被害地でひろがっており、ニッポン政府は関連を否定しております」
 みたいなことにならないかと憂慮した結果なのです。
 もしニューまで来て、そこで急にクサイを止めてXに変更したとしたら、「あ、やっぱり変えやがった(失笑)」となること必定と、その時早く、かの時遅く、気がついた関係者がいたんでしょうな。そこで、クサイの一つ前のニューの段階でNに変更し、さらにHにワープさせることで、二段階で変更の理由を曖昧化させたわけです!
コロナ株も国産ロケットに追随するのでしょうか?
 それはありえません。なぜなら国産ロケットと違って、コロナ変異株の命名はニッポンの専権事項ではないからです。
 でも、もし将来、クサイ株がニッポンで蔓延したら……
 考えるもおぞましいので、妄想もここまでにしておきます\(^o^)/

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月 1日(水)15時11分14秒
返信・引用
   元ツイート

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 8月31日(火)20時24分44秒
返信・引用
   元ツイート
 元ツイート

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 8月31日(火)00時43分46秒
返信・引用 編集済
   元ツイート

 こういうお上の出してくるデータを、なんのチェックもせずそのまま垂れ流すのって、マスコミの怠慢以外の何者でもありません。

 今日、大阪は陽性者1605人でした。人口比からしますと、大阪のほうが深刻みたいに見えます。
 そうでしょうか?
 30日の大阪の検査数は、17498人なので、陽性率は9.2%。
 東京はといいますと、検査数はどこにも出ていません。替わりに、直近三日間移動平均である9433という値が出されています。
 東京都の人口は、大阪府の倍近いのに、検査数は半分!
 なにはともあれ、この数値を検査数に代入します。なんと陽性率20.3%!
 大阪に比べると異常に高い。否。東京の検査数が異常に低すぎるのです。
 人口倍の東京都の検査数が、大阪府の半分しかない。
 人口倍で検査数が半分って、要するに比率的に大阪の4分の1の検査数ということになります。単純に掛ければ、1915×4で7660! 9.2%のほうに合わせれば、9433×4×0.092=3471。
ざっくり3400人から7600人の間というのが実態では? なにが「2000人下回るのは先月26日」ですか。
 もちろん、そこまで大数になりますと、検査能力が追っつかないのも事実。ですから陰謀論はいいませんけど、それでも検査数が半分というのは不審ですね。
 いずれにしても、この程度の推計は、現在ネットに出ている数字から簡単に導き出せます。
 なんでNHKは、それをしないのか。NHKだけではないのですけど。情けない。
 オウム返しなら猿でも出来ます――もとい、オウムでも出来ます\(^o^)/

 

パラ余談

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 8月30日(月)00時51分13秒
返信・引用 編集済
   パラ、観ておられますか? 昨日の走り幅跳びで、日本の中西麻耶選手が6位に入ったのですが、きっと観てませんよね。
 この中西選手、じつは私の小学校以来の友人の姪っ子さんなのでした。
 会社の業務中の事故で右足の膝から下を切断したのですが、切断するかどうするか、という医者の問いに、家族はおろおろするばかりのなか、本人が即座に決断したのだそうで、その精神の強さ、友人も大したものだと言ってましたが、その強さがあってこそ昨年のドバイ世界パラ陸上選手権大会での金メダルであったのだろうと思います。今回は残念でした。去年開催されていたらと思わずにはいられません。この記事を書くために検索して知りましたが、美人アスリートとして有名だったんですね。それもそのはず。わが友人も長嶋茂雄か加山雄三かという男前、美男美女の家系なのでした。
 書いているうちに、いろいろ(中西選手ではなく)友人の愉快なエピソードを思い出したんですが、こうなると簡単に特定されてしまうので、滅多なことは書けません。残念(>おい)(^^ゞ

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 8月28日(土)22時50分16秒
返信・引用 編集済
   クリーンナップは外人3人。レフトが出来ればライトも守れる。で、6番サードは大山か佐藤ということになるのですが、私だったら、当たれば柵越えの佐藤を推します\(^o^)/

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 8月27日(金)21時58分51秒
返信・引用
   元ツイート

 

「風と死者」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 8月26日(木)22時55分2秒
返信・引用 編集済
  > No.11019[元記事へ]

 加賀乙彦『風と死者』(筑摩書房69、新装版74)読了。
 四篇の短篇は、いずれも「それぞれ違う意味」で、「正常」ではない人物がターゲットです。
「くさびら譚」の老教授は、そもそも過集中で周囲が見えなくなる(奇行、放心状態)という意味で、今でいう発達障害ですが、これは大学教授の通俗的な典型でもあります。
 語り手が数年ぶりにあった老教授は、そういう性格はそのままに――
「最近先生の笑い方には奇妙に悲しいような、どことなく不機嫌な、もっといえば不気味な翳があったからである。それは笑っている御当人と周囲の人との間にぽっかりと黒い断層を感じさせるような笑であった」
「断絶」(あっち)と「連続」(こっち)のはざまで行ったり来たりしている。
 そしてどうやら、(科学者だけに)自分の状態がわかっているようです。ラストの「演技」は、「こっち」のときに「あっち」を装うという実にアクロバティックなもので、その結果、教授の弟子たちの「本音」を引き出してしまう。
 読み終わって感じるのは、「あっち」と「こっち」の間に、単純な線引きはできないし、あっちとこっちは結局底面で地続きだということ。
 哀しくユーモラスで感動的な傑作小説でした。

 話は全くそれるのですが――
「やっぱり」私は思わず言ってしまった。
「御存知でしたか」花井は、ちょっと不快な表情になった。(……)
「いやいや、何もきいていませんよ」私は相手の危惧を打消した。

 この文章を読んだとき、卒然と思い出したことがありました。
 就職して、最初の勤務地で三年勤め、転勤したのですが、あるとき、元の勤務地の上司と偶然出会い話しているうちに、私の後任のA氏(私も知っている先輩)の愚痴になった。
 近々、担当を替えようと思うのだが、とのことでした。もちろん私は、それがいいですとか、そんなことは一切言わなかったのです。
 しばらくして私と先輩の共通の知人から電話があり、A 氏が配属替えになったと教えられたのですが、思わず、「やっぱり」と口走ってしまった。「何や知ってたんか」
 この小説の語り手のように、「いやいや、何もきいていませんよ」といえばいいのに、馬鹿正直に知っていたことを言うと、なんでそれをAに伝えてやらん、となじられてしまいました。管理職の走狗のように思われてしまったわけです。
 嫌な記憶を思い出してしまいました(ーー;

「車の精」は既述。

「ゼロ番区の囚人」。「ゼロ番区」とは拘置所の中の、死刑囚や無期囚を収容する特殊区域。語り手はいわゆる監獄医で、とあるゼロ番囚が、最近死刑が確定し、控訴期限が迫っているのに控訴しないと主張していることを知り、興味を持つ。どんな死刑囚も先ずそんな事はいわないのです。みな生に執着する。なんとか心変わりさせてほしいと頼まれたこともあって、接見する。死刑になりたいのは、もし控訴の結果有期囚となり刑を終えて社会に出れば、きっと自分を迫害したヤツラを殺さなければならない。だから死ぬのだと。
 ヤツラとは、拘置所の所員すべてのみならず、自分と恋人以外のすべての人々です。明らかに被害妄想で、分裂病か、拘禁性ノイローゼだろうと診断します。
 実はすでにそう診断されていたのですが、検察が新たに提出した診断書では精神病は否定していて(つまり佯狂)、裁判所はそっちの診断書を採用した。
 この結果に、最初の診断をした医師(語り手の先輩)が疑義を呈し、控訴すれば絶対に勝てるから、お前必ず心変わりさせろと頼まれたんですね。
 じつは語り手も先輩もT大で、反対意見を提出したのはK大の医師だった。つまり、当の死刑囚をほっぽりだしたメンツ争いだったわけです。
 切羽詰まった語り手は、非常手段に出るのですが……

 この話のラストは、私には「謎」のままです。実は作家も、どっちとは決めないで書いたのではないか。
 いずれにしても、ラストの壮絶な「自死」は圧巻でした。

「風と死者」の語り手は、焼死した死体(この設定はラストで効いてきます)。精神病院が火事になり、病院の設備の不備と定められた人員配置の不足で、十数名が逃げ遅れて焼死し、若干名が逃亡する。
 半世紀前の初読では、意味がわからず途中から流し読みしてしまった記憶が甦りましたが、いやめちゃくちゃ面白かった。当時は本篇(だけでなく本作品集)を読み解くだけの知識も経験も読解力もなかったんですねえ。
 本篇は、ファルスです。

 というか、収録作品すべてファルスですね。狂気と正気のはざまをディグする(もしくは撹拌する)ということは、そのことにおいてファルスとならざるを得ないのかもわかりませんねえ。

 いや面白かった。ということで、第二作品集『夢見草』を引っ張り出してきました\(^o^)/


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 8月25日(水)15時35分23秒
返信・引用 編集済
   明日、買いに行こう!

 

 後記。調べたら、大阪では天王寺と難波と茶屋町しか扱ってないみたいです。うーん。

 追記。ならばネットで、とオンラインショップを見るも、なんと、モンクは売り切れ!(モンクだけ売り切れ) うーむ。


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 8月24日(火)09時41分54秒
返信・引用
 


 

眉村さん情報:「茅花照る」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 8月23日(月)20時28分3秒
返信・引用
   とある交差点が渋滞で、信号3回分待たされ、イライラしたのですが、そういえば、ここではいつも3回分待たされたな、と思い出しました。自粛期間中はスイスイ通れていたので、忘れていました。交通量、元に戻ってしまいましたね。
 しかし平日の昼間です。道路を走行しているのは個人の車ではなく、社用車が大半でしょう。政府の人流抑制は、どうも個人をターゲットにしているように思われますが、むしろ会社を(少なくとも大企業を)ロックアウトしたほうが、学校休校ではなく会社休業にしたほうが、よほど効果が上がるんじゃないですかねえ。ほんとこの政府は無能です(>おい)(^^ゞ

 ということで(どういうことだ?)、眉村さんの単行本未収録短篇「茅花照る」を読みました。SFM95年11月臨増号初出作品です。
 同年1月に起きた阪神大震災に触発された作品なのは明らかです。しかし私は、冒頭で「あれ、イーガン?」と思ってしまいました。で、ぐぐったのですが、この95年という時点では、イーガンはまだ翻訳されていませんね。ましてや「ディアスポラ」は。
 眉村さんが原書でイーガンを読んでいたとは、ちょっと考えられませんから、偶然の一致?
 いやまあ、眉村さんの多元宇宙解釈とイーガンのそれ、「私」を基準にするところが以前から近似しているような、とぼんやり考えてはいましたが、本篇の冒頭ははっきりと近似を意識させられました\(^o^)/

 

Re: 銀座会記録拾遺

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 8月23日(月)12時20分51秒
返信・引用 編集済
  > No.11032[元記事へ]

 野波さん

 おお、大変重要な問題を思い出して下さいました(^^)

>筆者の場合、女はアニマ/男はアニムスなので
 いやこれは、自動的オートマチックに書いていれば(野波さんに限らず、大抵の作家がこれです)そうならざるを得ないですよね。
 そこからいかに「外部」に脱出して振り返るか?(≒外の思考)
 そのとき、手掛かりになるのが「設定」なんだろうと思いました。
 行為の屈折点では必ず設定に立ち還り、アニマやアニムスの滲出を意識して排除する必要があります。高橋和巳が、登場人物の考え行為するがままに、といっていたと思いますが、同じことですね。
 肝に銘じたいと思いました\(^o^)/

 

銀座会記録拾遺

 投稿者:野波恒夫  投稿日:2021年 8月23日(月)05時50分8秒
返信・引用
   思い出したのでブログに。
 登場人物の設定に欠かしてはいけない項目だと思うのです。

http://haruoni.seesaa.net/article/482913400.html

http://haruoni.seesaa.net/

 

Re: 深田氏「幻想と怪奇」に登場!

 投稿者:深田亨  投稿日:2021年 8月22日(日)22時54分3秒
返信・引用
  > No.11030[元記事へ]

そうかあ、そんなことも考えられるわけですねえ。
いや、創作意欲を刺激されました。
といっても、私の書くやつですから、告発するとかそんなものではなく、たとえば筋の通らない映画が・・・と、この先はないしょです。

意図的にせよ、意図せずにそうなったにせよ、そんな映画があったことは実体験しているので、謎が解けた気分でもあります。
(そういえば学生のとき観たピンク映画もそんなのがあったような・・・いまふと思い出しました)

管理人さんとその知人の方、そして岡本さん、ありがとうございました。

 

Re: 深田氏「幻想と怪奇」に登場!

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 8月22日(日)20時16分29秒
返信・引用
  > No.11029[元記事へ]

 知り合いに映画館で働いていた人がいまして、聞いてみました。返事をいただきました。許可してもらいましたので、アップします。

 ※

僕の働いていた劇場はロードショー館でしたし、フィルム上映であったとは言え10~20年前だったので、そんなことはやっておりませんでしたが、それより昔の地方の二番館三番館なら、まあ多分あったんじゃないか、と思います。

三本立ての映画館で、2時間の映画を三本、一日三回ずつ回すとしたら18時間。それだと営業時間をオーバーする、と言う時に、三本目だけ40分ぐらい切れば、2時間稼げることになります。理屈で言うと、三本からそれぞれ15分ずつ切れば同じですが、作業が煩雑なので、三本目だけバッサリぶった切るというのは、悪い意味で理に適って思えます。

まあもちろん、アウトな行為なのですが、『ニューシネマパラダイス』のキスシーンぶった斬りと同じで、編集で切っちゃうのは簡単ですし、そのフィルムを余所に回す時も、またつなぎ合わせられます。
映画製作者や配給会社にバレるとまずいですが、地方の三番館で切ったものを流したところで、初見なら「?」と思う程度でしょうし、二回目以降の鑑賞で気づいてもいちいちご注進する人はいないでしょう。編集痕を見咎められても、素知らぬ顔して繋ぎ合わせ、たまたま切れたところを繋いだだけだ、と言えば言い抜けられます。三本立ての上映時間なんて詳しく告知しないですし、実際のランタイムとの齟齬を突っ込まれることなんてありません。

VHSが普及して映画が何回も見られるものになって以降は、さすがにやりにくくなったんじゃないかと思いますので、盛んだったのはそれ以前の話でしょう。
僕の劇場にいた、松竹から天下りしてきた年配の偉い人が上映時間が合わず「十分ぐらい切ったらどうや……」とぼそっと言ってたのを覚えています。もちろんやりませんでしたが、そういう時代はあったのだと思います。

まあはっきり言っちゃって、まったくいいお話ではないですし、昔の映画の一期一会ぶりを逆手に取った野蛮な慣習という印象ですね。実際は遭遇してる人はそれなりにいるんでしょうが、後から正しい上映時間を調べたり、もう一回同じ映画を見直したりしないと気づきようがない上に、「寝てたのかも」とでも思えばしまいです。そういう意味で、エビデンスや体験談が出てきづらい話だと思います。

二番館で実際に短く編集した映写技師、というと、もう若くても70代以上じゃないかと思います。当然、とっくに廃業してるわけで、ますます出てこないわけです。僕の師匠も亡くなって久しいです。

僕自身、目の当たりにしたわけではないし、体験談を聞いたことがあるわけでもないですが、結論としては、

「技術的には簡単だし、昔の場末ならいかにもやってそう」

です。まあこんなところでしょうか。

 ※

 そういえば昔のテレビの洋画劇場も、尺に収めるため平気で編集してましたよね。というか、小説界でも、エースのダブルという悪名高いレーベルがありましたよねえ\(^o^)/

 

Re: 深田氏「幻想と怪奇」に登場!

 投稿者:深田亨  投稿日:2021年 8月22日(日)17時46分14秒
返信・引用
  岡本さん、情報ありがとうございます


> 「映画館を回ってきたフィルムの状態が悪く傷だらけで途中で切れる事もザラにあった」
おお、なるほど。
私は、場末の映画館で上映作品の回転をよくするために、意図的に3本目を短くしているのかと推測していたのです。
実際、私が見たのは横の隙間からスクリーンが見えるようなところで、テレビがそんなに普及していない漁村だったので、映画が欠かせない娯楽のようでした。
でも、わざわざ配給会社がそんなことをするかなあという疑問もありました。
あちこちまわりまわってきたフィルムが、満身創痍になりながらも上映される・・・なんて、なんかノスタルジーを感じますね。
これはこれで、お話が出来そうです。
ありがとうございました。
 

Re: 深田氏「幻想と怪奇」に登場!

 投稿者:岡本俊弥  投稿日:2021年 8月22日(日)16時12分54秒
返信・引用
  深田亨さんへのお返事です。


プロジンに復活ですね。深田さんの場合単行本での掲載は多いので、単行本扱いの『幻想と怪奇』ならふつうのことかも知れませんが。

>
> どなたか、「三本立て映画の三本目はぶちぶち切られて編集されている件」について情報頂ければ嬉しいですね。
> (もしかしたらお話に使わせていただくことをご了解いただいたうえで、ですが)
>

「映画館を回ってきたフィルムの状態が悪く傷だらけで途中で切れる事もザラにあった」
 http://www.cinema-st.com/adalut/d032.html

昔の映画はフィルムを一番館から順番に回覧する方式だったので、二番三番館など、あとになるほど状態が悪くなっていったようです。切れたらどうするかというと、痛んだ部分を捨ててその場で(適当に)前後をつないだわけで、当然お話もブチブチに千切れることに。

そうなると、別に三本目だけでなく、一本目二本目も千切れていたはずなんですが、フィルムの古いものを後の方に下げて数あわせしていたせいかも知れません。

 

Re: 深田氏「幻想と怪奇」に登場!

 投稿者:深田亨  投稿日:2021年 8月22日(日)12時04分27秒
返信・引用
  子供のころ、近所にモデルになった外国人住宅地があり、その前の道路にかかる橋の欄干(というのかな?)に、立て札ではなくコンクリートの標識のようにして埋め込まれていました。
だれかがパロディでそんなことをしたら、そこの居住者(外国の方)や管理会社(いまは吸収・消滅してしまいましたが、当時の大企業です)が放っておかないと思います。
親や親戚からも、占領軍がいた時代に作られたというようなことを聞いていました。

検索しても出てこないと言えば、あるお話を書くのに検索してわからなかったことがあります。
それは、田舎の映画館などで、封切館ではない三番館か四番館あたりでしょうか、三本立て(ときには四本立て)の映画を見ると、三本目の映画はかなり編集されていて、話がぼんぼん飛んでしまうのを見た記憶があります。おそらく元の三分の二ぐらいの長さになっているみたいなのです。
で、実態はどうだったかを検索してみたのですが、見当たりませんでした。(ひとつだけそれらしい記述はあったのですが、別の話かもしれないあいまいなものでした)
何人かに聞いても見たのですが、そんなの初耳だという声ばかりでした。
自分が見たのも、母の郷里の田舎町で、小さな子供のころだったので、当時連れていってもらった大人たちはみんな亡くなっちゃっています。

どなたか、「三本立て映画の三本目はぶちぶち切られて編集されている件」について情報頂ければ嬉しいですね。
(もしかしたらお話に使わせていただくことをご了解いただいたうえで、ですが)
 

Re: 深田氏「幻想と怪奇」に登場!

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 8月22日(日)10時35分14秒
返信・引用
  > No.11025[元記事へ]

 深田さん

 へえ? それは知りませんでした。
 検索しましたが、私の粗い検索では引っかかりませんでした。
 元ネタのパロディとして、戦後立てられたものなどではないのですよね?

 

Re: 深田氏「幻想と怪奇」に登場!

 投稿者:深田亨  投稿日:2021年 8月22日(日)09時08分31秒
返信・引用
  大熊さん、ご紹介ありがとうございます。
あっ、お買い上げにも感謝です。

「犬と日本人入るべからず」は、私自身が実見したものです。
記憶が定かではないですが、昭和40年ごろまでは残っていたように思います。

商業誌については、実は再デビューなんですね。

講談社発行の『ショートショートランド1984年7+8月号(通巻17号)』に「夜が来る」という作品を掲載していただいて以来なので、ずいぶん間があいてしまいました。

コロナの終息が見通せないこの時期ですが「こんな時こそ、物語の力を!」(これはある編集者のかたからいただいた言葉です)と、書き続けていきたいと思っています。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 

深田氏「幻想と怪奇」に登場!

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 8月21日(土)20時50分12秒
返信・引用 編集済
  『幻想と怪奇7』が届きました!

 

 また似合わん雑誌を!?
 いやいや。深田亨さんの短篇(25枚?)が掲載されているのです!
 やった~パチパチパチ\(^o^)/
 さっそく読みました。
 タイトルは「降誕祭」。
 戦後、少年の住む港町の、外国人住宅区域が進駐軍に接収されます。入り口には「犬と日本人入るべからず」の看板が立てられ、使用人や御用聞き以外の一般市民は排除されていたのですが、主人公の少年は、ふとしたきっかけで住宅地内をうろうろすることが黙認されています。あるときクラブハウスで定期的に映画の上映会が開かれていることを知り、外国映画に飢えていた少年は、こっそり隙間から覗くのですが、上映されていたのは、ふつうのアメリカ映画ではなかった……

 いやこれは面白かったです。
 深田さん十八番の神戸もの。神戸とは明記されていませんが、外国人住宅は異人館がモデルでしょう(「犬と日本人入るべからず」は上海租界の「犬と支那人は入るべからず」の借用か)。ネタバレかもしれないので反転この(特殊な)上映会に住宅街の全員が参加するところから、また事件後、全員入れ替えられるところも勘案して(そしてウイアードテールズと副題が付いている雑誌であることも)。これは部隊がアーカム出身者みたいな趣向なのかなと想像しましたが、そういう仕掛けはありませんでした。ワタシ的には残念(>おい)

 ところで本篇、もしかして深田さんの商業誌デビュー作?(ショートショートは何度か文庫のショートショート選集に収録されていますが)
 チャンスですね! 眉村さんが、よく、商業誌にデビューしたら、つづけて何ヶ月も連続登場できるよう作品を書き溜めておくこと、とおっしゃっていましたが、深田さんはその点問題ありませんよね\(^o^)/。
 どんどん営業をかけて、『幻想と怪奇』のレギュラー作家の地位を確立していただきたいです!


 

Re: 「風と死者」より

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 8月18日(水)20時34分11秒
返信・引用 編集済
  > No.11019[元記事へ]

 天気は、何で確認されていますか?
 私は、気象庁の「1時間天気」を利用しています。発達障害で、天気の些細な変化も気になる質なので、無駄に細かい予報を知りたいのですね。しかしこれが存外当たっていて、重宝しています。
 ところが最近、というのはこの長雨からですが、「雨雲レーダー」を併用するようになりました。こっちのほうが、自分で予想できるので楽しい。
 今日は、「1時間天気」では、午後から「小雨」がずっと続くとなっていたのですが、1時半頃から日が差してきました。
 で、「1時間天気」を確認したところ、予報は変更されておらず、「小雨」です。
「雨雲レーダー」(実況)を見ました。するとやはり、当地付近に雨雲はありません。
「予想」画面にして1時間毎に追っかけてみました。4時頃になって、ようやく雨雲の、それも薄いのがかかり、すぐに大阪市方向に去っていきました。
 これは夕方まで大丈夫やな、と見当をつけました。
 溜まっていた洗濯物を急いで干しまくり、それから『風と死者』を抱えて、2時過ぎに車で出発。車で15分のホリーズカフェへ。
 あまりにも読書が進まないので、窮余の一策であります。
 やはり喫茶店は読書が進みますね。「ゼロ番区の囚人」に取り掛かり、30分ほどで半分読みました※。
 でも、夕方から降る(かもしれない)雨が気にかかる。そうなると、さすがに集中できなくなってしまい、残りは家で読もうと、帰宅したのでした。
 3時過ぎに帰着しましたが、青空です。とはいえ、青い中に白く浮かぶ雲の形は、ダリ描くところのそれのようで、不穏ではありました。強い日差しで(それとそれまで家干しで生乾きだったのとで)十分に乾いていましたが、しかし4時まで大丈夫ということで、取り込まずにいたら、急に薄っすらと日が翳った。上空に、薄いですけど黒い雲が。
 そら来た。と急いで取り込む。
 取り込み終わったのを見透かしたようにまた晴れてきまして、結局ひと雨はありませんでした。
 しかし、「1時間天気」よりも、「雨雲レーダー」を見て、自分で判断するほうが、より正確みたいですし、とにかく楽しい。ということがわかりましたので、「雨雲レーダー」、これからはもっと活用したいと思います。
 読書の方は案の定で、喫茶店でもっと粘ったほうがよかったなと、これは判断ミスでしたね(往復30分かけて30分読書というのも、考えたら空しい)。
 あ、いま(8時20分)雨が降ってきました\(^o^)/

※この妄想に囚われた囚人を、主人公は、分裂病ではなく「拘禁性ノイローゼ」と見立てるのですが……(ただし現時点)


 

レンタル掲示板
/172