teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


新着順:97/8527 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

「日本書紀だけが教えるヤマト王権のはじまり」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 5月24日(月)21時10分20秒
  通報 返信・引用 編集済
   伊藤雅文『日本書紀』だけが教えるヤマト王権のはじまり』(扶桑社新書、19)読了。

 いやー感無量。一冊の本を(摘み読みではなく)通読したのって、一体何か月ぶりでしょう(もしかしたら一年ぶりくらい?)。

 本書を読むきっかけは、著者が開設しているYouTubeチャンネルを視聴して大変興味をそそられたからです。
 日本書紀の記述が、作為的にヤマト王権の歴史を事実よりも古く遡らせていることは江戸時代からの常識です。神武天皇の即位が紀元前660年(縄文時代晩期)だったなんて、まじで信じているのは、三原「セクシーナイト」順子自民党参議院議員くらいでしょう。
 記紀の記述から事実を復元するのが、ある意味歴史学者の役目で、事実復元のためのいろんな方法論が提案されてきたわけです。
 そのなかにあって本編がユニークなのは、書紀の記述から「無事績年」を省いて再構成してみたことです。編年体である書紀から事績記載のない年を、とりあえず省いてみる。びっくりしました。こんなに短くなってしまうのか! 著者は、神武は架空で(欠史八代も。これはかなり正統な発想)、事実上の初代である崇神の前半生を超過去に移動させたものとし、崇神の即位をAD301年とします。
 実は同様の手法に、(プリミティブな農耕民族の観察から)「二倍年歴法」というのがあり、ある時代まで日本も二倍年歴だったという仮説なんですが、山本武夫という気象学者が、この手法で『日本書紀の新年代解読』(學生社、79)という本を出しています。自然科学者らしく数理的厳密な検証を行っていて、私はこの本にかなり影響を受けているのですが、山本が比定した崇神即位年も、なんとAD301年だったのです!
 細かい差異はありますが、崇神以降の歴代天皇の在位期間も、2つの方法論はほぼ同じ結論になっていて大変興味深い。
 無事績年削除と二倍年歴は、発想からして全く無関係な手法なんですが、結論は同じだったわけです。おそらく事実も、そのあたりなんだろうと思いました。
 可能なら是非読み比べてみてください。いやー面白かった\(^o^)/

 追記。もちろんそれが直ちに崇神天皇と今上天皇を一直線に結びつけるものではないことはいうまでもありません。豊田有恒だったか、邦光史郎だったか、古代史小説の一場面に、中国の使者が大和に向かう途中、当時の内陸に入り込んだ大阪湾を航行中に、南方に巨大な建造物を見出し、「あれは何か」と大和朝廷の接待係に尋ねるシーンがあります。係の者が「我々もよく知りません。すでに存在していたのです」と答えるのでしたが、もちろん「伝」仁徳陵で、それは河内王朝であって、大和朝廷とは関係なかったということが含意されていたシーンだったわけです。8世紀の奈良時代からすれば、倭の五王の時代なんて300年も昔ですから、実際そんな感じだったんでしょうね。書紀の編纂者は、そういう昔の王朝や豪族が残した記述を集め再構成して、万世一系という一本線の壮大な虚構を構築したのですね。

 

 
 
》記事一覧表示

新着順:97/8527 《前のページ | 次のページ》
/8527