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くしゃみと鼻水が出てきたので、あわてて一枚重ね着る。ただちに症状は消えました(でも今度は蒸し暑くなってきた)。うーむ。どうも体温調節が後手後手であるなあ。昼間は脱ぐのが遅れて汗かいてるし。この季節の日中朝晩の気温差(への対応の遅延)が体調不良の根源かも。体自体の自動調整機能が落ちてるんだよなあ。昔はそんな衣類での調節は不要だったのだから。重ね着の着脱で知る老化かな。哀号。
樺山三英「すばらしい新世界」を読む。
やあこれはすごい。たくらみにみちた快作。オルダス・ハクスリーについてはほとんど知らなかったので、読後検索したところ、本篇に記されたことはほぼ事実どおりですね。「すばらしい新世界」執筆後、目の治療でアメリカに渡り、オズモンドやハバドを知り、幻覚剤による意識拡大(減量バルブを緩める)を体験することで独特の神秘思想を形成し、ケネディ暗殺の数時間前に亡くなっています。
本篇はハクスリーの後半生をマクラに、「先生」の一番弟子の「助手」に対する訊問(?)の記録の体裁。独特の視力回復の理論・実践家である「先生」の造型には、ハクスリーが治療を受けたベイツ・メソッドとアレクサンダー・テクニークが援用されているようですが、著者が「先生」をして語らしめる「視力回復」(実際は認識回復にずらされる)理論は、現象学を下敷きにしたものといえる(知覚の現象学)。この辺はモロ好みです(^^;
まず、そのような観念をのせる文体がしっかり安定しているのがよい。クリアーです。ここのところ最近出てきた新鋭作家を読んでいますが、文体の完成度では一頭地を抜いていますね。冷静で熱くならないので走らないのですね。ある意味昔ながらの文体で、描写部分の世界が安部公房や石川淳「鷹」を髣髴とさせるのも好み(とりわけA28から垣間見える世界)。
知覚の拡張・意識の拡大のトレーニング集団だったのが、次第にセクト化しテロ化して頽落していく描写がすばらしい。彼らが戦う「奴ら」は、おそらくウィリアム・バロウズに出てくる「敵」と同じでしょう。ラストでその「奴ら」と「我々」が倒立し、訊問者と非訊問者が入れ替わる展開も安部公房を思い出させずにはおきません。
いや面白かった。樺山三英、「年刊SF傑作選」も面白かったし、有望な新人があらわれましたね! 遠からず山田正紀のポジションを奪ってしまうのではないでしょうか。要注目。
以上で『SFマガジン2009年12月号』読了。
あ、書き忘れた。大橋博之「SF挿絵画家の系譜」、今回は、これは懐かしい勝呂忠。うむ、言っていることはかなり同感。最近でこそペーパーバック表紙の認識が少し改まりましたが、今でも白背の人物主体画は好みません(^^;
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