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「アボラ山の歌」を再読。
初読時よりずっと評価が上昇。面白かったけど世界幻想文学大賞を取るような話かな、と思っていたのですが、たしかにこれは世界幻想文学大賞を取るような大変な話でした。訳文の解釈も明快でグッド(^^;
主人公は、54歳なのに27歳のロックスター(ロニー・ウッド?)と浮名を流すような、そんなとんでもない美貌の母親を持つボストンの大学の女子学生(院生)。小説(神話的ファンタジー)を書いており、その小説には、どうやら主人公を取り巻く人間関係が反映されている。
それは母親から(精神的に)自立しボーイフレンドと結婚するという願望を作中人物に託した物語になっており、お話では、主人公(に擬すべき女性)が、仕える皇妃(母親と名前が同じ)から、暇を貰って結婚する許しを得たいというのならば、あなたと同じくらいに私(皇妃)の夜伽ができる人物を見つけてきなさい。そうすれば許す。といわれ、探しに行くという試練譚になっており、そうして見出された人物が、実にコールリッジ(クブラ・カンや老水夫行の)を反映した人物が想定されているのです。彼女は当初コールリッジを知らず、コールリッジの熱烈なファンであるボーイフレンドから教えられ、自分もファンになった経緯があり、それで物語に取り入れたのでしょうか。
現実のコールリッジが、ほとんど作品を完成させることができなかったのは(未完ばかりなのは)、夜毎ファンタジー世界に召喚されて皇妃のために詩を書いていたからだとされます。なるほど。
話は変わって、主人公の父親は、文脈からハイレ・セラシエの側近で、皇帝と共に飛行機で脱出しようとして国境で追撃され命を落としたことになっている。これは史実と異なるが、そういう民間伝説があったのかも(義経北行伝説のような)。革命が1974年であり、主人公が大学で授業助手をしているくらいだから現在、まあ20代半ばか。仮に25としましょう。母親が現在54歳ですから29歳の時の子供となり妥当。革命時15歳とすれば小説の現在は1984年となる。ところで1947年生まれのロンウッドは、この時点37歳のはずで、ずいぶんずれてしまいますが、これは単純に37歳を27歳といい間違ったか、ロニーの27歳は丁度1974年なので、主人公が革命時のロニーの年齢を勘違いしたのです。そうに決まってます(^^ゞ。
話を戻して――
ところが、ここに第3の世界が出現する。主人公はパソコンで執筆中に、ふと気づけば、いつのまにかザナドゥのクブラカンの宮殿におり、同じく(「クブラ・カーン」を)執筆中であったとおぼしいコールリッジと出会ってしまうのです。そこで主人公はコールリッジにダルシマーを弾き聴かせたりするのですが、現実の部屋をノックする音で「こちら」に引き戻されてしまう(コールリッジもまた、ノックを耳にし、「待っていたポーロックよりの客が来た」といって消える)。「こちら」のノックの主はボーイフレンドだった。「あなたたちポーロックからの客人ときたらいつでも邪魔するんだから」という主人公のセリフは他でもなく、コールリッジが「クブラ・カーン」の詩を書いている最中、ポーロックから客人があり、応対して机に戻ってみたら、なんと続きを完全に忘却してしまっており、「クブラ・カーン」もまた未完となったという事実をふまえているわけです。
主人公はボーイフレンドに作家になろうかなとふと洩らす。そしてだしぬけに母親に電話して、ボーイフレンドと一度あってほしいという。ところがそれ以前に、「きみのお母さんに会ってみたいよ」というボーイフレンドに対して、「ぜったいに会わせないわ」と彼女は思っているのです。母親に会ったものは皆母親に恋をしてしまうからなんです。
ところが突然こうなるのは、夢の中でコールリッジに出会ったからではないか。とすればだしぬけの母親への電話の意味は180度変わってしまうのですが……。この一瞬の心変わりをとらえた描写があざやか(^^;
「クブラ・カーン」(1798年作)の最後の方にあるこの部分は、コールリッジが実際に夢の中で1984年のアビシニアンの娘と出会っていた動かぬ証拠なのかも。
ダルシマーを手にした乙女を
私はかつて夢の中で見たのだ――
彼女はアビニシアンの乙女で
ダルシマーをなで弾きながら
あのアボラの山を讃えていた。
今一度私の心の中にあの乙女の調べと歌とを
よみがえらせることができるなら
私は深い喜びを感得し、いたみいって
声高の長い長い調べでもって
空中楼閣を建てるだろう。 Kubla Khan Samuel Taylor Colerige
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