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 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月24日(木)21時22分36秒
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あべっち迷言録

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月23日(水)20時29分29秒
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ああ恥ずかし。動画は元ツイートで。


 

Re: こんばんは~久しぶりです~おでん(関東炊き)煮込んでいます!

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月22日(火)21時35分13秒
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  > No.8633[元記事へ]

 トマトさん

 マヒナスターズ! なつかしい~(^^)
 で、昔、疑問に思っていたことを思い出したのですが、なんでボーカルが二人だったんでしょうかねえ。いや二人でハモるんならいいのですよ。でも、このグループは、どちらか片方がソロで歌うばかりで、そのときもう片方は、ぼーっと手持ち無沙汰で憮然とした顔で突っ立っていただけだったように思い出されます。なんか仲悪そうな感じで。
 それを言うなら、トマトさんご贔屓の東京ロマンチカもツインボーカルでしたね。こちらは途中から二人制になったように記憶しています。やはり同じ疑問を持ちましたけれど、このグループでは、ボーカルを取らない方は、電信柱じゃなくて、マラカスなんかを振っていたのではないでしょうか。マヒナほど気にならなかったです。
 同じ二人制でも、スパイダースは、二人制がプラスに機能していました。仲も良かったのでしょうけど、マヒナとは世代が違う感じ。GSの中でも先進的だったような。
 つまり、市丸・勝太郎の昔から、三波春夫・村田英雄、舟木一夫・橋幸夫みたいな感じがずっと続いていて、マヒナはそっちだった。ジュリー・ショーケンもそういうところが(政策的に? 森永・明治?)まだありましたが、GS以後はそういうのはなくなってしまったような。ポジション的にライバルであってしかるべき西城秀樹・野口五郎は言うまでもなく、郷ひろみもこの二人と言葉もかわさないという風ではなかった。
 マヒナとスパイダースの間に、ロマンチカが挟まる感じでしょうか。
 あるいは60年代以前と70年代以後問題と言ってもいいかと。やはり60年代以前は貧しかったということかも知れませんね。

 ところで関東炊き(発音は「かんとだき」)は、関西でも殆んど死語ですね。関西も「おでん」に制圧されてしまいました(>おい)(^^;

 

こんばんは~久しぶりです~おでん(関東炊き)煮込んでいます!

 投稿者:トマト  投稿日:2018年 5月22日(火)17時46分2秒
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  こんばんは~マヒナスターズの歌をタブレットで見ながらおでんの煮込み方をクックパットで調べています~♪

  スマホにはアップルのiphoneと、ギャラクシーやエクスペリアなどのアンドロイド系とがあるのですが、iphoneは簡単といえば簡単、詰まらないといえば詰まらないですね・・・。

 というより今、古い機種のスマホ(アンドロイド系)に最新のOSを入れることにハマってします!諸事情によりわたしが始めて持ったスマホがSAMSUNGのギャラクシーでした。以後iphoneはかえって不便に感じたりします。
でギャラクシーをいじるためにパソコンに入れるソフトを「おでん」というのですが・・・(おでん、関西では『関東炊き』といいますね。)。とにかくパソコンに「おでん」をインストールして、「おでん」を使ってカスタマイズされたOSなどをスマホに「煮込む」というものです。パソコンも堅物のWin8や10じゃよくないらしく7やビスタ、またリナックスのコマンドがよしていうことです。ちなみにギャラクシーなどのサムソンに使うのが「おでん」で、エクスペリアには他のツールがあるそうです。

 またスマホがまったく動かなくなった状態を「文鎮化する」といいますが、リナックスマシーンと繋ぐと文鎮としてしかでしか使えなかったスマホが再びスマホとして使えるようにできる場合もあるとのことです。

さて私は「おでん」と聴くと、あの大文豪、久野四郎の不朽の名著「ガラスのわら人形」を思い出します。このノーベル文学賞を受賞してもおかしくない素晴らしい小説の舞台となった安アパートの住民におでん屋夫婦がいて、主人公とおでん屋夫婦との会話が実に興味深いものでした。そういえばこのガラスのわら人形にも挿絵を書いていた中島靖侃氏はどうしているのでしょう?
 

「乱歩謎解きクロニクル」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月21日(月)22時18分59秒
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  > No.8605[元記事へ]

 承前。プライベートで多忙で、切れ切れの読書になり、思いのほか読み終えるのに時間がかかってしまいました。残りの論考を簡単に。

「「陰獣」から「双生児」ができる話」
 乱歩と正史には、それぞれ大正13年と昭和4年雑誌発表の「双生児」という作品があり、正史作品の冒頭には「A sequel to the story of sane subject by Mr. Rmpo Edogawa」とある。「sequel」は続篇の意とのことですが、瓜二つの双子という設定以外には続篇といえるほどのつながりは認められないと著者は言います。
 ではなぜ、そんな文言を正史は記したか。
 というところから著者の推理が開始され、(特に「陰獣」をめぐって)両者の探偵小説観の相違も含めた(両者がお互いに気づいていたかどうかは定かでないところの)確執が摘出されます。
 これは本書のすべての収録論考を通して副主題的に通奏されるもので、乱歩と正史、私は無根拠に同志的連帯を想定していたのですが、著者によればどうもそうとは言い切れない。二律背反愛憎絡み合ったドロリとしたものがあったようですね。

「野心を託した大探偵小説」
 乱歩は作家になってから海外の作品を読まなくなり(読む暇がなくなり?)、黄金時代(1920年代)の英米本格長篇を昭和7年(1932)まで知らなかったらしい。
 要するにホームズルパンで、あとはいわゆるホームズのライバルたちの短篇あたりしか押さえていなかった(?)[※あ、ポーも]
 そして(そういう知識の範囲内で)ホームズ的な純論理小説を小探偵小説、ルパン的な、純推理というより、探偵趣味を含んだ波乱万丈の物語を大探偵小説と定義し、自分の赴く方向は大探偵小説であるとして書き上げたのが、かの「黄金仮面」(31)だったとします。
 ところが、(著者によれば)1932年、つまりその翌年ですね、クリスティやクイーンやヴァン・ダインを知ってしまった(ということでしょう)。
 これは乱歩には痛恨の大打撃だったんでしょうね。乱歩は「黄金仮面」系の作品を、通俗長篇として卑下し始める。
 ここでも乱歩は分裂していて、卑下しつつ喜々として通俗長篇を書き続けるのでした(^^;

「乱歩と三島 女賊への恋」
 三島は探偵小説嫌いだが、乱歩の通俗長篇は子供の頃愛読していた。その二人が現実に関係を持ったのが、「黒蜥蜴」を介してだった。なぜ三島は「黒蜥蜴」に惹かれたのか。三島には「女形」という歌舞伎役者を描いた作品がある。乱歩が「黒蜥蜴」を執筆する契機となった夢想と三島の解釈は?

「「鬼火」因縁話」
 本篇の主題は横溝正史。正史と竹中英太郎との関わり。竹中の自伝にある「捏造」の理由。

「猟奇の果て 遊戯の終わり」
 本書冒頭論考の主題を少し角度を変えて再論しています。つまり乱歩にとっての「探偵小説」とはなにか。結局、日本で初めて探偵小説といえるものを書いたことで、図らずも探偵小説の総帥的地位に就かされてしまった(主観的には積極的に就いた)乱歩の、座標と資質との分裂が、乱歩を生涯にわたって規定したんですなあ。

「ポーと乱歩 奇譚の水脈」
 ポーもまた、探偵小説を書きつつも本領は奇譚にあった。しかし戦後、乱歩は意見を変え、ポーの本領は純論理小説にあったとします。これは、戦前の乱歩の、探偵小説は探偵趣味小説も包摂するとしていた態度から、自己批判して探偵趣味を切り捨てた戦後の乱歩への移行とパラレルですね。

 ということで、中相作『乱歩謎解きクロニクル』(言視舎、18)読了。

 面白かった! 乱歩の「謎」を分析した面白読み物です。ただ私の書き方が雑なため、著者は乱歩の論理小説(謎解明小説)としての不徹底をあげつらっていると、まあそんなふうに読まれる人はいないと思いますが、もしそう感じられたのなら私の不徳ですので念の為。著者は書誌学者の厳密さで冷静に乱歩の謎を解読していますが、読んでいてそこはかとなく感じる著者自身の乱歩作品への評価は、謎ではなく秘密の開示に傾いてしまうその傾向にこそあるように、読んでいて思った次第です。皆さんぜひぜひお読み下さい。

 

ネトウヨあほ列伝

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月20日(日)18時20分9秒
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あべ一族

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月20日(日)01時55分50秒
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 この「言い間違い」について、最悪、とか、けしからん、というのが大方の意見ですよね。それはまさにそのとおりなのですが、そういう人たちも、内田監督が「言い間違い」をした、ということに関しては、疑問を持つ人はいないようです。
 件の会見(私は未見)では、内田監督は関学の名前を「すべて」言い間違えているそうです。何回大学名を言ったのか知りませんが、そのうちの一回とかだったら、うっかり、ということもありえます。けれども全部間違えたとなると、これはうっかりミスとは思い難い。監督は関学の正式名称を知らなかったんでしょうか。
 しかしそれはありえない。日大にとって関学は終生のライバルなんですよ。
 内田監督は1956年生まれで、すなわち関学の猿木選手と同学年。両者は、おそらく甲子園ボウルなどで実際にぶつかりあったはずです。ご記憶の方もいると思いますが、猿木選手は試合中の事故で頚椎損傷し半身不随となったのでした。実は猿木選手と私は同学部同学年、この事故は鮮明に記憶に残っています。関学が日大に対して厳しい態度をとっているのはそういう先例があったからで、猿木の後半生の苦労(大学もサポートした)を知っているからだと思います。
 話がそれました。彼らが現役の時代は、関学と日大が毎年のように甲子園ボウルで大学日本一を競った時代でした。それは取りも直さず、武田建・篠竹幹夫の時代だったわけですが、内田は卒業後も日大に残り、学生時代、指導者時代併せて40年以上、日大アメフト部に関わってきた。
 その間、関学とは何十回も(百回以上?)対戦してきたはずです。関学の正式名称(発音)を知らないということはありえません。
 私は、内田の発言は「単なる」言い間違いではなく、意図的な(悪意ある)、言い間違いを装った意趣返しに間違いないと思いますね。
 この男は多分あべっちと同じで客観認知ができない性分なのでしょう。なんでオレが世間から悪しざまに言われにゃならんのや、それどころか辞めなあかんようになってしもたやないか。くそ関学め、と認知を拗らせ、わざと言い間違いすることで、それを発散させたんだと思いますね。あべっちがことあるごとに朝日新聞や前川さんの名前を持ち出すのと同じ思考構造だと私は思いました。

 

今日のあべっち

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月19日(土)20時13分42秒
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Re: 書店のカバー

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月19日(土)17時34分30秒
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  > No.8623[元記事へ]

 段野さん

 今日知人と話をしていて、家を改築したのに合わせて不要になった家具や家庭用品を、メルカリに出品したらきれいに全部捌けた、別にジモティというサイトも利用した。そこは直接引き取りに来られる(地元の)人が利用する形式で、送料がかかるメルカリでは扱いにくいものはそっちで処分した、という話を聞いたのですが、
「うん? ジモティって最近どこかで聞いた記憶があるな」
 帰宅して当板を開いて気がつきました。段野さんの書き込みでした。
        ↓
>ジモティー書店(高槻市)のカバーが並んでいますが、「これは」というのがあります。

 私は、高槻にはジモティ書店という地方書店があるんだな、と解釈していたのでした。
 そこで改めて検索してみたのですが、高槻のジモティ書店というのは(電話番号も)引っかかりません。(言うまでもなくジモティは引っかかります)
 これ、もしかしてジモティを利用して購入した本(複数)に、いろんな書店のカバーが掛かったままになっていて、そのなかには「これはなかなか」なカバーもあった、という意味なんでしょうか?

 

今日のあべっち

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月18日(金)18時16分5秒
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「ゲームの王国」山本周五郎賞受賞

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月17日(木)16時38分34秒
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 追記。見終わりましたが、質問のレベルが低くて萎えました。こいつら読んできてないやろ。唯一アカハタの質問が、読んできていることのわかるものでした。
 もし私が現場にいたら、もっとみなさんが知りたい質問をしていますけどねえ(^^;

 あと、選考委員会で、下巻でふたりの主人公があっさり死んでしまうことが問題になったようですが、この物語は、『果しなき流れの果に』と同構造であって、この世の始まりから終焉までずっと続いている二神の闘争(というかゲームですね)の物語の、ごく一部を取り出したもの。この物語世界では死んでしまいましたが死んだのはその仮象に過ぎず、実はあらゆる位相で「今も」闘争(ゲーム)は続いているんだけど、分からんかったんかねえ。[独自研究?](>おい)(^^;

 

ネトウヨあほ列伝

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月16日(水)22時42分18秒
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   元ツイート
 これは、このネトウヨが、アカウントを消して遁走したことを示しています。
 でも大丈夫。キャッシュから発掘できました(^^)
        ↓
 

 
 5月になってツイッターを始めたみたいですね(何日か前のキャッシュなので、投稿数がゼロになっています)。てことは新中学生か新高校生か。いやいや新大学生かも知れません(^^;
 コメントにもあるように、「ゆうみり」を「やなぎみさと」と読んで、勝手に通名と妄想しちゃったんですね。ああ恥ずかし(^^ゞ
 しかし希望に燃えてツイッターを始めた途端、アホを晒してしまい撤退を余儀なくされて、本人の心持ちはいかばかりか。羞恥を乗り越えるためより過激なネトウヨ道に突っ走るか、打ちのめされて引きこもっちゃったか。何も感じてなくて既に別アカウントで復帰していたりして。小説で読みたいねえ(^^;


 

Re: 書店のカバー

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月16日(水)20時02分24秒
返信・引用 編集済
  > No.8623[元記事へ]

>「松坂屋」のカバー本があります。「茶色」で、書名、著者名が書けるように、白抜きです。
 え、茶色でしたか。私の記憶ではピンク(薄い赤系)だったんですが。
 しかしそれじゃあ阪急に似ていたんですね。
 そやったかなあ。
 阪急ではよく購入してカバーを付けてもらっていたので、脳内映像は「濃い茶色で」くっきりしていて間違いありません。
 よかったら松坂屋のを、写真にとってアップしてもらえませんか?


 ついでに、某所で続いている話題関係ですが、

>後はジモティー書店(高槻市)のカバーが並んでいますが、「これは」というのがあります。
 この文は私には意味不明です。
 普通に読めば、ジモティ書店はブックカバーの種類が何種類もあって、そのなかには(ちょっとデザイン的にとか何かで)なかなかよいものがあります。と私は読みましたが、全国展開でもない一書店が何種類もブックカバーを用意しているとは現実的に思えないので、この解釈には疑問符がつくわけです。
 段野さんの中では、「これは」、で明確に意味が通っているんでしょうが、客観的には舌足らずなんですよねえ。


 

Re:書店のカバー

 投稿者:段野のり子  投稿日:2018年 5月16日(水)19時27分21秒
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  管理人様
当方、書店請求担当でありました。まあ、実地に行くことも多い(リアルを見たい)でした。
お問合せの「阪神百貨店」ですが、実務を仕切っていたのは「旭屋」でしたが、カバーは何だか「阪神色」だったように、微かな記憶です。(緑)その後すぐに「リブロ」に変わったので、がっくりです。
今手元に、「松坂屋」のカバー本があります。「茶色」で、書名、著者名が書けるように、白抜きです。
後はジモティー書店(高槻市)のカバーが並んでいますが、「これは」というのがあります。
旅先で、時間が許せば地元の書店に入ります。「どんなんかなー」です。
北海道稚内にて、書店を見つけました。「加藤書店」(よう覚えてんな)です。文庫を購入しました。カバーは、版元の「お仕着せ」だったのですが(よくあること。版元の宣伝です。文春でした)裏側に、書店印がありました。
記念です。最北端の地での書店です。昨年訪れると、「イオン」になっていました。ああ。
 

Re: 書店のカバー

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月16日(水)18時38分11秒
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  > No.8620[元記事へ]

 段野さん

 おお、いろんな書店を回っているんですね。段野さんもブックカバー目当て?
 いやまあ掲題のとおり、主題は書店のブックカバーの話なので(^^;。
 もしかして阪神百貨店のブックカバー、どうだったかご存知でしょうか?

 

Re:  響、白州販売休止   

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月16日(水)18時26分29秒
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  > No.8619[元記事へ]

 雫石さん

 元記事によれば、ハイボール人気で原酒の在庫がなくなるということですが、これらの銘柄はハイボールにすると美味しいということですか?
 しかし個人的見解を言わせてもらえば、ハイボールが美味いとは思わないです。ウイスキーは断然ストレート・ノー・チェイサーですよね(>嘘、チェイサーは必要です)(^^;

 などとテキトーなことを書いていたらこんなツイートが!

 元ツイート

 いやー日本人て、本当に軽薄であべっち※ですよね。

※最近ツイッターで「あ●」と書くとアカウントが停止されるそうなので、誰もが納得の単語を代入してみました(>おい)m(__)m

 

Re:書店のカバー

 投稿者:段野のり子  投稿日:2018年 5月16日(水)11時24分43秒
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  今の百貨店には書籍売り場はありません。唯一あるとしたら、近鉄上本町店の「ビッグ・ウィル」でしょうか。ここはテナントなので、百貨店の直営ではありません。まず阪急ですが、改装工事が部分的に始まった時点で、書籍売り場が消えました。阪神ですが、ここはテナントで、「旭屋」が入り、あとをつぐように、「リブロ」(西武系?)になりましたが、いつの間にかなくなりました。なんば高島屋も直営でしたがテナント「鉢の木書店」になり、百貨店の改装時になくなりました。大丸もありません。
梅田で書店を捜そうとして、困ったことがありました。グランフロントの「蔦屋書店」がホームから見えているのですが、上に行くのが面倒くさいし、まず目的の本の陳列が判らず、迷子になるのは確実です。(独特な陳列)いつも利用するのはジュンク堂梅田店(ヒルトンホテル5階)ですが、2月末に閉店しました。
「困ったなあ」そういえばJR改札から阪急寄りに「ブック・スタジオ」があったっけ、とそこに向かいました。
 

Re:  響、白州販売休止   

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2018年 5月16日(水)09時36分33秒
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  > No.8618[元記事へ]

困ったもんです。
白州のノンエイジが欲しいと思ったけど、何軒か酒屋めぐりをしたけど、ありませんでした。
結局、ネットで買って8000円近くしました。
また、ラフロイグを近所の酒屋で買ったのですが、そのとき酒屋のにいちゃんが
最近、スコッチも品薄ぎみだといってました。
これから何をのみゃあいいんだ。トリスとブラックニッカばかり飲めというかな。
さいわい、バーボンはこの騒ぎに巻き込まれていないようす。ワイルドターキー、フォアローゼス
ノブクリークを飲もう。
あ、ジムビームはサントリーの軍門に下ったのだ。う~む。バーボンも心配だ。

https://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月16日(水)00時59分2秒
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Re: 書店のカバー

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月15日(火)21時11分33秒
返信・引用 編集済
  > No.8615[元記事へ]

 朝、目が覚めたらまた無意識から伝言が届いていて、阪神のブックカバーも白抜きやったんと違うか、と。
 そう言われればそんな気がしてきました。
 画像検索してみましたが、さすがに見つけられなかった(阪急も松坂屋も)。紀伊国屋のは画像があったけど、これは現在でも手に入りますからねえ。
 あれ? てことは、いまでも阪急や阪神の書籍売り場で購入すればカバーを付けてくれるということなのか。
 そういえば百貨店で本を買ったのって、たぶん高校時代以降はないような。
 今度大阪に出たとき、百貨店で本を買ってみましょうか(^^;

 あ・・・(黙考10秒)・・・
 いま卒然と気がついたのですが、阪神も白抜きがあったとすると、昨日の書き込み、
>阪急のカバーに白抜きがあったのは、茶色が濃すぎてタイトルを記しても見えにくかったからですね
 は、理屈が通りませんね。阪神は薄い緑、松坂屋は薄いピンクでしたから、白抜きされていなくてもタイトルを書き込めば、それはじゅうぶん判読できたはずです。
 つまり上記の理屈は、昨日書き込みながら、無意識が捏造してしまったものだった?
 ふーむ。記憶捏造の現場に立ち会ってしまいました(^^;

 追記。としますと、朝メッセージを送ってきた無意識と、記憶を捏造した無意識の関係はどうなるのか。同一人物とは考えにくいですよねえ(>おい)(汗)

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月15日(火)18時42分41秒
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書店のカバー

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月14日(月)22時50分42秒
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 大昔、ネットで本を買うなんて想像もできなかった時代は、あたりまえですが、リアル書店(なんて言葉もなかった)へ足を運んで購入したわけです。
 当時書店では、それぞれオリジナルカバーを用意していて、購入した本にそれをかけてくれました(いやまあ現在でもそれはおなじですね)。書店ごとに色やデザインが違っていて、それを集めるのが楽しくて購入の動機のかなり大きな部分を占めていました。
 当時は百貨店の書籍売り場も充実していまして(今は壊滅的ですね)、あのハヤカワSFシリーズだって売り場に並んでいました。
 旭屋や紀伊国屋のカバーは、まあありがちなデザインでした(現在のと同じ)。百貨店のが面白かった。
 阪急は茶色、阪神は緑だったか。天満橋にあった松坂屋はピンクでしたっけ。松坂屋なんて環状線組にすれば辺境の地で、行ったことがなかったのですが、たまたま親戚の家に行ったときに寄ったのかな、ゲットできてとても嬉しかったのを覚えています。
 当初、本はすべてカバーをつけたまま本棚に収納していました。
 それだと何の本だかわからなくなってしまわないか?
 いやいや大丈夫。
 阪急の茶色のカバーの場合、背表紙の部分に、タイトルが書けるような白ヌキの部分がありました。そこに書名を書くので問題なし。もしかしたら松坂屋もそうだったかも。阪神はそんな工夫のないカバーだったけれど、薄い緑だったから問題なく書名が書けました(今ハッと気づいたのですが、阪急のカバーに白抜きがあったのは、茶色が濃すぎてタイトルを記しても見えにくかったからですね、きっとそうです)。
 そんな風に阪急はいろいろ変わっていて、ご記憶の方も多いと思いますが、カバーの掛け方(折り方?)もちょっと独特でしたよね。それがとても気に入っていました。
 ですから本を買い始めたごく初期は、まず阪急に行って購入したものです。阪急で見当たらなかったものを、旭屋や紀伊国屋で買っていたという感じでした。
 しかし、ある時期から阪急のカバーがビニール製に代わってしまった。茶色は同じなんですが、白抜きがない、ぶっきらぼうな茶色一色の(ハヤカワSFシリーズのビニールカバーみたいにソデの部分が溶着された)ビニール製です。私の記憶が確かなら、ビニールカバーが最初に掛けられたのは、『暗黒星雲のかなたに』だったはずです。いまメモを確認しましたところ正解で、購入日は1970年4月3日。「阪急の表紙がビニールに変わっていた」とメモ書きしてありました。
 その前に阪急で購入したのが『地球光』で、1969年11月。つまり69年11月から70年4月までのある時点で、紙製からビニール製に代わったんでしょう。
 これにはがっかりしました。書名を入れられないからです。つまり書棚に並べるためには外さなければなりません。
 他の書店はずっと紙製のままでしたが、阪急のカバーがこうなってしまったせいで、いつのまにかカバーのまま書棚に並べる習慣もなくなってしまいました。と同時に百貨店の書籍売り場で本を買う習慣も。
 しかしいずれにせよ、本が増え書棚に詰め込むようになると、そんな事は言ってられなくなってきて、思案の末、本から書店カバーと、本の帯も外しました。そうしますと3尺の本棚一列に、もう1冊本を挿せるだけの隙間が出来たのでした。
 つぎは表紙カバーを外そうか、となったのですが、さすがにそれはせず、社会人になってから本棚を二本追加しましたが、やがてダンボール箱に詰め込むようになりました(^^;。


 

ヨコジュンも

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月14日(月)20時59分4秒
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   恐れイリヤのクリキントン
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劇団風斜「絶対零度」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月13日(日)23時44分44秒
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   今日は大雨の中、三宮まで出かけて、劇団風斜公演「絶対零度」を観てきました。
 先日のナンバでの呑み会も大雨にたたられたのでしたが、せいぜい月に1、2度しか都会へ出ていかないのに、二度も連続して土砂降り大雨に遭遇するとは、今年は異常に雨が多いのでしょうか(少数例の根拠なき一般化)(^^;
 可哀想なのは劇団で、3分の1くらいしかお客さんがいませんでした(>赤字?)。それとも事前のアナウンスでは予約で満席と聞いていたので実害はなかったのかな。でも私のように当日払い予約で申し込んでいて来なかった客からは取れないような。キャンセル料なんて小劇場で聞いたことがありませんし。
 まあ来週の金土日も公演があるので、今日行けなかった人はそっちに流れてなんとかなるのかもテキトー(>おい)(^^;

 生活指導に定評があり父兄の信頼も厚いベテラン教師が、指導に従わず非行を続ける生徒を殺してしまうという事件が起こり、教師は死刑を宣告される。父兄から減刑の嘆願書が出され、教師は控訴する。
 我慢ならない被害者の母親は、控訴を取り下げるよう、加害者が収監されている拘置所に説得に行く。そこでの加害者との対話劇がメインです。
 その地方は一種の高校城下町で卒業生が牛耳っており、むしろ被害者は教師の方であって、生徒の家族が教師の処罰を不当に求めているとして迫害されていた。そういうこともあって母親は直接教師に会いに行ったわけです。
 教師の言い分はなかなか論理的で、被害者は常に校則を守らない非行生徒で、そもそも規則(規律)なしに社会制度はない。それが守られない者がそのまま社会に身を置くというのは矛盾だ、つまり排除されて当然、みたいな理屈を言い出し、母親はストレスをため、父親との関係にまで影響を及ぼしていく。
 しかし何度か接見を繰り返しているうちに、拘置所という小社会(社会の縮図)で、教師が規律を守らないものとして処罰されていることが見えてくる。教師は不当な処罰だというのだが、母親は、それが殺された娘の立場だったと指摘する。この辺が当劇の最大の山場で、母親と教師の緊迫した哲学的対話劇※に引き込まれました。
 そして教師は目に見えて錯乱し狂っていき(しかしその狂気は学校世界では正常)――カタストロフが訪れます。ラストは反転(母親も反転?)。

 という、ある意味なかなかしんどい(だから絶対零度)劇でしたが、その分、息を詰めて観入ってしまいました。
 教師、母親、父親役の三人芝居で、無駄な登場人物がいないのもよかった。とくに母親役の吉田佳奈さん(最近安部公房読書会で知り合いになったのですが)の体当たりの演技がすばらしく、役柄に全身全霊「入り込んだ」入魂のそれに圧倒されました(また教師役の檜山みつき氏の目が、まさに狂気の目でよかった)。
 いやよかった。面白かったではなく、よかった。また機会があれば吉田さんの演技(演身?)観てみたいと思いました!

※私はフーコーの監獄論がこの脚本の元(のひとつ)になっているのではないかと思ったのですが、演出の方によればそれは全くないとのことでした。

追記。父親の役割を書き落してました。彼は他の二人に比べると凡庸なのですが、それ故観客の立ち位置に近い。なので彼が居る事で狂気に向って突出する二人の闘争の階梯が観客に測れるそんな機能を持っている。劇に絶対必須の三角形なんですね。地味な役柄なのですが役者さんはしっかり演じて好感でした。


 来週金土日は残席があるようです。


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月13日(日)09時35分20秒
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 ということで、もう少ししたら神戸方面へ出かけます。


 

「あらかじめ定められた死」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月12日(土)23時42分13秒
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   岡本俊弥「あらかじめ定められた死」を読みました。
 ときは未来。あべっち政権の失政(とはどこにも書かれていませんが、当たらずとも遠からずでしょう>おい)m(__)mで、財政破綻した日本、IMFからも見放され(とはどこにも書かれていませんが)、とあるグローバル投資ファンドから融資を受けてようやく息をつぐ。
 しかし投資ファンドも伊達や酔狂で投資するわけではありません。対価として日本から全国民の遺伝子データの提供を受けるとともに、設計された遺伝子改変手段を使った大規模な人体実験の実施が条件だった。
 国民性から(?)日本では遺伝子治療が禁止されていたため、国民の遺伝子は汚染されていないクリーンな形で残っていたのです。ファンド(配下の複合型製薬企業)はそこに目をつけた。
 一方、日本政府(どうやらクーデターかなにかで「刷新」政府というのが権力を掌握している)は極端な逆三角形の人口構成が、財政破綻の根源だったとの認識から、老人差別政策を取り、将来的には長方形型の人口構成をめざしていた。つまり死亡者数と出生者数をイコールにすれば、労働人口が75%を超える有数の高効率国家ができあがるわけです。
しかしそんな計画経済みたいなことが人口政策で可能なのか。
 そこに、全国民の遺伝子データを研究に利用できるメリットがあったわけです。目の上のたんこぶであった団塊世代は(とはどこにも書かれていませんが)、棄老政策で既に全滅しており、とりあえず当面は息つぎはできるようになっていた。
 同時に実施されたのは、生まれてくる子供たちに遺伝子操作を施し、80歳で死亡するようにすることだった(出生管理はもともと可能)。
 80歳死亡制(Eighty Minute Hour ならぬ Eighty Years Lifeですなあ)と言っても、個々人の遺伝子は多様なので、79歳で死ぬものもいれば、81歳で死ぬ者もいるわけです。そういう誤差はあっても、死亡する年齢は決定しています。それで国民は18歳になると(あらかじめ定まった)死亡年齢を通告され、それが身分証明書みたいな役割を果たすようになる.
 面白いのは、死亡年齢が決まっているので、社会保険料も個々人で決定している。長生きする人は高額負担しなければならない。
 一方、遺伝子コントロールは進んでも、欠陥遺伝子を持つ者が一定数存在した。主人公はその一人で、50歳で死ぬことが決まっていた。この時代、年金は75歳から支給されるのですが(といっても年金制度はとうに破綻しており、要は強制積み立てなんですが)、50歳で死ぬので、年金の負担はゼロなんですねえ(^^; 若いときはそのおかげで同世代たちより優雅な暮らしをしていたのでしたが……

 いや面白かった! 著者十八番の未来社会もの典型的なエクストラポレーション小説です。第1世代にはこのような未来社会小説がありましたが、いまや絶滅しているんじゃないでしょうか。著者はその意味では分野を確立した(ニッチな?)と言えるかも知れませんね(^^)

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月12日(土)22時13分51秒
返信・引用 編集済
  《2007年オフに広島からFA移籍した阪神では金本(現阪神監督)にイジられ、故障や4番の
重圧にも苦しんだ。7年目のオフには、減額制限を大幅に上回る減俸を通告され、翌年は代打起用
が中心になると「戦力外」同然の扱いを受けて、古巣へ戻った》


 元ツイート



   まあ広島でもイジられキャラみたいですけど(^^;

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月12日(土)22時06分1秒
返信・引用
   元ツイート


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月12日(土)22時02分25秒
返信・引用
   元ツイート


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月12日(土)17時21分35秒
返信・引用 編集済
   元ツイート
←クリック      


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月11日(金)18時01分50秒
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 これはすばらしい! だれか荒巻義雄さんに教えてあげて!

  
[全画面で御覧下さい。左上のボタンで視点を動かせます]     


 

「乱歩謎解きクロニクル」読み中(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月10日(木)21時49分43秒
返信・引用 編集済
  > No.8602[元記事へ]

『乱歩謎解きクロニクル』は120頁まで。「涙香、「新青年」、乱歩」は昨日で終り、今日読んだのは「江戸川乱歩の不思議な犯罪」です。
 本篇は「陰獣」を、あたかもカフカの「城」に見立てたような構成で、その裾野を逍遙しつつ乱歩の探偵小説観の変遷をたどっています。
「陰獣」は《新青年》昭和3年8月~10月号に三回分載されました。
 前年昭和2年3月に乱歩は休筆宣言し放浪の旅に出ます。その1年半に亘る沈黙を破って発表された中篇で、そういうセンセーショナルな復活という意味もあって読者に大好評で迎えられました。
 作品自体も、乱歩を髣髴とさせる探偵小説作家が主人公で、乱歩いわく「自己虐殺」という異様なモチーフだった。
 話は過去に飛ぶ。
 大正15年12月「一寸法師」を発表。この作品について乱歩は「本格物ではなく古臭い怪奇小説の域を出ないもの」と語り、その態度には「探偵小説に対する不本意でおずおずとした拝跪の気配」が感じられると著者は言います。
 しかしそのわずか一年前はそうではなかった。「乱歩はふてぶてしいような自信に満ちていた」
 乱歩は、平林初之輔の乱歩作品に見られる不健全さを否定する論考に対して、本格もあれば、自分のような「変格」(甲賀三郎の造語)があってもいいのだ(実際売れてるし)、と言っていたのですね。
 ところが「一寸法師」(本篇も純探偵小説ではなく怪奇小説)を書き上げたときには、上記のように弱気になっていた。
 この心の変容はどうしたことか。
 やっぱり意気軒昂としてはいても、平林に代表される意見がだんだんとボディブローのように効いてきていたのではないでしょうか。この辺に乱歩の本質的な性格が現れていると私は思いました。
 昭和2年に、乱歩は「押絵を旅する男」(乱歩の怪奇小説というか怪談の最高傑作のひとつで、昭和4年に発表)の初稿らしき作品を書き上げていたのですが、その原稿の束を、戎橋から道頓堀川へ――じゃなくて、正史編集長に見せるための宴席(小酒井不木宅)で、衝動的に便所へ投げ捨ててしまう。書き直された「押絵を旅する男」とどれほど同じなのかは永遠に分からないわけですが、とにかく乱歩作品5指に入るでしょう傑作のプロトタイプにすら、乱歩は自信を持てなかった、そんな状態だったのですね。
 つまり本格と変格は同等という探偵小説観だったのが、いつの間にか本格>変格に変わってしまったのです。
 そして休筆宣言。
 一年半後、満を持して発表されたのが、上記の「陰獣」であったわけです。
 その「陰獣」の構成は特異でした。
「自身を作品の語り手である本格派の寒川と変格派の大江春泥に分裂させた一人二役と、大江春泥と平田一郎の一人二役を小山田静子の影とした一人三役」
 乱歩は、初めてトリックを小説の骨格とし、従来何よりも重きをおいていた探偵趣味をトリックの構成要素にしてしまう本篇で、探偵小説界へ復帰をはたさんとしたのでした。
 そんな本格作品「陰獣」でしたが、著者はこう言います。
「それは一枚の騙し絵だった」
 と――

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月10日(木)19時53分51秒
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 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月10日(木)18時51分46秒
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Re: 「乱歩謎解きクロニクル」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 9日(水)23時27分30秒
返信・引用
  > No.8600[元記事へ]

『乱歩謎解きクロニクル』は100頁まで。第三章「黒岩涙香に始まる」を読みました。
 ここでは戦後の乱歩に照明が当てられます。
 もともと乱歩は、論理小説である「探偵小説」の、それを化粧する要素に過ぎないものであった「探偵趣味」に惹かれて探偵小説を志した。その結果乱歩の作物は、閉鎖系で最終的に一点に収束する探偵小説とは似て非なるものとならざるを得なかった(謎解明小説ではなく秘密開示小説)。
 戦前の乱歩は、初期の短篇時代に自分の資質に気づき、両者(探偵小説と探偵趣味)を分離するという手法を会得する。(トリックを創案するのではなく)既存のトリックを借りて「探偵趣味」横溢する通俗長篇を量産(?)し、一躍流行作家となる。
 これは評論家としての乱歩と実践者としての乱歩の分離といえそうです。
 戦後、評論家としての乱歩の慧眼は、日本に本格長篇探偵小説の時代が訪れることを予見します。実際そうなるのですが、乱歩自身は、その潮流の先頭には日本探偵小説の創始者である自分が立っていなければならないというのが自明だった。とうぜん実践者としてもそうであらねばならない。「探偵趣味」小説ではなく、本格探偵小説を書かねば!
 著者によれば、戦後、乱歩は戦前の「探偵趣味」作家としての自己を否定し、「探偵小説」の「鬼」となったと言います。
 でも作家の本質はそう簡単には変わらないのであって、その結果は極端なスランプだった。
 戦後の本格長篇探偵小説の先頭に立ったのは、横溝正史でした。
 戦前の正史は、むしろモダニズムの作家で、彼が「新青年」の編集長になると、誌面も旧来の探偵小説は時代遅れと退けられるようになり、乱歩はそれが不満だった。
 その正史が、時代が変わったとたん、本格長篇の、それも傑作を次々発表し始めた。乱歩は内心では面白くない。乱歩は書評で横溝の本格ものを絶賛し、その原稿を正史にも送りつける。でも送られた正史は「短刀を送りつけられた」ように感じたと述懐したとあります(^^;
 しかし本書から読み取れる正史って、時流に敏感な世渡り上手に見えてしまいますね。西秋生の小説では、しばしば乱歩と正史が仲よしに描かれているんですが(^^ゞ
 さて、実践者として先頭に立てなかった乱歩は、もう一方の乱歩、評論家(もしくはオーガナイザー)としての乱歩として、戦後探偵小説界においても、大きな影響力を保持しようとします。
 それが「自伝」(ということはほぼ日本探偵小説史)の執筆です。
 もともと乱歩は「絵探し」の楽しさで探偵小説に没入していったのですが(そういうエッセイが残っている。第一章に明確に書かれています)、そのエッセイは自伝には採用されなかった。自伝では黒岩涙香から探偵小説に入っていったとなっている。それも事実なんでしょうが、乱歩の作物自体が、その根底に「絵探し」を含んでいるのですから、「絵探し」を自伝から省いたのは意図的ということになります。
 つまり探偵小説の申し子、正統直系の大山脈でありたい乱歩にとっては、探偵小説の本義からすれば傍系の「絵探し」趣味は、隠されなければならなかったのです。
 ここで再び、「全身小説家」の井上光晴を想起しないわけにはいきません。井上は、自伝について、すべて事実から構成されるとしても、一から十まで載せられない。必ず取捨選択される。とすればそれは虚構(ストーリー)なのだ、と講演しているのです。井上は自らの自伝や自筆年譜から父を抹殺するのですが、この講演は、そのエクスキューズでもあったと思われます。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 9日(水)18時03分7秒
返信・引用
   元ツイート



 

「乱歩謎解きクロニクル」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 8日(火)23時51分41秒
返信・引用 編集済
  > No.8591[元記事へ]

『乱歩謎解きクロニクル』は70頁まで。第二章「絵探しと探偵小説」を読みました。
 日本の探偵小説の創始者とされる乱歩ですが、実作の殆どは、ミステリ小説の定義から外れていると著者は述べています。
 ミステリ小説では、謎→謎解明という論理過程を経て「真実」が確定するわけですが、乱歩が好んだのは「謎解明」ではなく、謎解明に於いては化粧にすぎない「秘密」からもたらされる「探偵趣味」だった。
 たとえば「二銭銅貨」は点字をテーマにした斬新な暗号小説で、本格的な探偵小説は海外物しかなかった時代に、本篇の登場は当時のミステリファンに大絶賛されたそうですが、本来なら謎解明で一点に収束すべきなのに、乱歩はその後に、さらに第二の解を付加する。ところがこの第二の解は、第一の解を相対化するもので、ミステリの定義から逸脱したものだった。つまり閉じるはずだったのが「閉じない」。永遠にひっくり返しを可能とするものだったのです。乱歩は確定した解よりも「不定」の方が好みだったんですね。
「ただしその「探偵趣味」は、探偵小説の世界に本来あるべき揺るぎない真実という概念を相対化してしまうものでした。乱歩は、不確定性、決定不能姓、断定回避性といった要素を導入することで、みずからの作品を探偵小説の世界から逸脱させていました」
 ふむ。こういう面白さって、私には非常になじみ深いのですよね。SFの面白さがこれではないでしょうか。ミステリが閉鎖系で一点に収束していく小説だとしたら、SFは開放系で無限大に膨張していく小説といえます。乱歩の手法は、本質的にはSFだったのかも(^^;
 SFといえば「SFは絵だなあ」という野田大元帥の名言が即座に浮かんでくるわけですが、著者によれば、乱歩には「絵探し」の嗜好があった。
 絵探しとは、要するにダブルイメージです。これって、要するにダリのトロンプ・ルイユと同じ趣向ではありませんか!
 そうと知れば、「人間椅子」の発想も、なんだかシュールレアリズムの画家が書いてそうな気がして、ちょっと検索してみたのですが、意外にピッタリとはまるものはありませんでした。マグリットが描いていたような記憶があったんですけど(^^;
 いずれにせよ、SFというよりはシュールレアリズムの方に、体質的に近かったような気がしますね。

  
    デ・キリコ           ヨース・ド・メイ

 結局、乱歩にとって探偵小説は「かりそめの器」だったのだと、著者は言います。

 

Re:     

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 8日(火)21時51分21秒
返信・引用
  > No.8598[元記事へ]

 橋元さん、お久しぶりです。
 芦屋ビール、実は私も数日前まで知りませんでした。
 こちらをご参照下さい(^^)

 

Re:     

 投稿者:橋元淳一郎  投稿日:2018年 5月 8日(火)21時44分57秒
返信・引用
  > No.8595[元記事へ]

芦屋ビールなんてあるんですかー?
芦屋に住んでいながら、知りませんでした。
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 7日(月)23時22分37秒
返信・引用
   今日の呑み会、隠岐の島出身の人がいたので、アメフラシ料理について聞いたのですが、かの地ではウミウシと言い(それは関西も同じ。私は子供の頃、須磨で捕まえた記憶があります)、美味らしいが、自分は、グロテスクで食したことはないと言っておられました(^^;
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 7日(月)23時12分4秒
返信・引用 編集済
   ナンバでの呑み会より帰館。しまった、傘を忘れた。

 
 


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 6日(日)21時52分53秒
返信・引用
   ここだけの話ですが、
 芦屋ビールには、アサヒビールが含まれているのです(>おい)(^^;

 

 

Re: こんばんは~(>_<)今日の失敗と教訓

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 5日(土)20時57分50秒
返信・引用
  > No.8593[元記事へ]

 トマトさん、お久しぶりです。

 なんと、それはご愁傷様です(とかいいながら、どういうことなのかさっぱり分かっておりません(^^;)
>虎の子のブランド物のルイヴィトン書類ケース
 おお、バブルの名残りの逸品なのでしょうか? 私も虎の子のセリーヌのクラッチバッグを持っていて、何十年使用しても全然傷まないのはさすがなんですが、でもここ20年位は使ってませんね。だってクラッチバッグなんて、このごろ誰も持ち歩いていませんものねえ(ーー;

 元ツイート

 

こんばんは~(>_<)今日の失敗と教訓

 投稿者:トマト  投稿日:2018年 5月 5日(土)20時32分2秒
返信・引用
  こんばんは~(>_<)お久しぶりです~(>_<)

今しがたスマートフォンをroot化(改造)しようとして1台ダメにしてしまいました(>_<)法律屋がエンジニアの真似するなという神様の声でした!かつてパソコンもその調子で何台も壊していました(>_<)
スマホのroot化なんぞ考えないで債務不存在の立証だとか不法行為の成立用件だけ考えていればよかったと身の程を知る始末(>_<)
1台ダメにしたので虎の子のブランド物のルイヴィトン書類ケース売って新しい中古スマホ買います(>_<)

きれいな青空ても見て童心に戻ろう~♪


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 5日(土)14時03分7秒
返信・引用 編集済
   元ツイート

>アメフラシの他の宿のお料理は美味しかった
 てことは、アメフラシはさほどでもなかった?(^^;

 

「乱歩謎解きクロニクル」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 4日(金)22時21分28秒
返信・引用 編集済
   いろいろ煮詰まってきたので、気分転換を兼ねて中相作『乱歩謎解きクロニクル』に着手。
「兼ねて」と書いたのは、頂戴したご著書なのに、すぐには手を付けられずにいて気になっていたからです。
 本書は乱歩を(大雑把に)テーマにしたエッセイ集で、というとちょっとニュアンスが違っていまして、乱歩研究から生まれた論考集という方が近いのかも知れません。冒頭の「涙香、「新青年」、「乱歩」」を40頁ほど読んだ限りでの推測ですが。
 なお、この論考は、電子書籍で既刊の『涙香、「新青年」、乱歩: 附 「陰獣」から「双生児」ができる話』を紙版に再録したもののようです。
 読んだ部分で、著者は、記録魔である乱歩なのに重大な記憶違いを犯している、と指摘しているのですが、昨日の『全身小説家』に収録された井上光晴の、記録はリアルそのままではない、そこには意識的無意識的な取捨選択があるという言葉をまるで例証するかのようで、なかなかシンクロニシティでありました。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 4日(金)20時56分53秒
返信・引用
   元ツイート

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 3日(木)23時08分25秒
返信・引用
   元ツイート

 

「全身小説家」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 3日(木)23時01分35秒
返信・引用
   今日は十三のシアターセブン(淀川文化創造館)というところで、「全身小説家」(原一男監督、94)というドキュメンタリー映画を見てきました。
 有名な作品なので、ご覧になった方も多いと思います。私は井上光晴のファンと言うか信奉者なので、もちろん知っていましたし関心もあったのですが、内容からしてロードショー館に掛かるような映画ではなく、当時インターネットがようやく始まった頃で(主流はパソコン通信でしたね)、上映館情報も今ほど簡単には入手できなかったんだろうと思います。結局そのときは見なかった。そのうち忘れてしまっていたのですが、数日前、知り合いが、観て感想をツイートしていて、へえっと上映館を検索したところ、上記映画館で5月4日まで上映していることを知った次第。
 4日までと区切られますと、これは観ておかねば、という気になっちゃいますよね。閉店セールと聞くとなぜか走って行きたくなるわけですが、その心理と同じだと思います。ところで閉店セールといえば西天満の靴屋さんが有名ですが、ここは去年本当に閉店してしまったのでしたね。

 いやーこれはよいドキュメンタリー映画でした。未見の方は、(明日が最終日なんでなかなか困難かと思いますが)ぜひ見に行かれたらよいと思います。
 全身小説家とは、全身虚構者という意味だと思います。いま私がこだわっているリアルとリアリティ、それがある意味本篇のテーマです。小説のリアリティとは何か。素材がリアルからの抽出であるしかないのが小説なんですが(取捨選択があるということ)、たとえ基がリアルでも、それをいじくったものは断片的には事実であっても、総体とすれば虚構(ストーリー)である、ということだと思います。リアリティを追求すればするほど、虚構性は深まっていくのですねえ。



 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 5月 3日(木)01時35分22秒
返信・引用
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