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「琅邪の虎」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月25日(水)20時53分44秒
返信・引用 編集済
  丸山天寿『琅邪の虎』(講談社文庫14、元版10)読了。

 先日、ちょっと時間のあきができました。ちょうどその近所にブックオフがあったので、時間つぶしに覗いたところ、どなたかSFファンが放出したんでしょうな、いやまあもしかしたら本人が亡くなり、ご家族が無用の長物だから引き取りに来てくれ、ということだったのかもしれませんけど(>おい)、物欲を刺激される棚になっていて、いつもよりも念入りに見ていたら、突如「琅邪」の文字が目に飛び込んできたのでした。
「琅邪」とくれば、棚から引き出して確認しないわけにはいきません(私も琅邪を舞台にしたファウンデーションのパスティーシュを温めているんです)。
 作者名もタイトルも、まったく知らなかったのですが、びびっと来てしまいました。
 で、それなりに物欲を満足させた中に、本書も入っていたという次第。

 はたして私のカンは的中(そういうカンは大体当たりますねえ、私は)(^^;。いやこれは掘り出し物でした(ミステリ界では有名なのかもしれませんので、わたし的にはということです)。面白かったです。

 舞台は秦始皇帝の時代の琅邪。ここです↓
             

 中原を瞬く間に統一した始皇帝は、琅邪山から見る海の風景を気に入り、琅邪山に観光台(史実の琅邪台のこと?)を建設する。実は海の風景が気に入ったというより、その海の彼方にある(という)不老長寿の国「蓬莱」に興味があったからなんですね。
 で、蓬莱国に到達して、不老不死の仙薬を持ち帰ってくることを、始皇帝は方士徐福に命じる。
 本書の時間は、その徐福の建造した蓬莱渡りの大船が完成し、その報告のために始皇帝のいる首都咸陽に向かって使者が派遣されたそんな頃です。

 ただしそんな歴史が前後に流れる「歴史小説」ではありません。古代琅邪という非時間的な土地を舞台にした一種の異世界ファンタジーに近い感触です。まさにわがツボどまんなか(笑)
 あ、その前にミステリーです。
 時代が時代ですから、作中人物は全て超自然現象を当然のごとくアプリオリに受け入れています。でも、作者はそんな世界で、超自然的な出来事がすべて「人為」であった物語を構築しています。だからといって「薔薇の名前」のショーン・コネリーのような「近代人」が解決するのではありません。探偵役の、というより解明係の「無心」という徐福の弟子が、かなりそれに近いですが、作者は周到に、それを回避させています(同時代人の枠内に収まる人物として造形されているということ。超自然は受け入れているが自然で理解できることを超自然のせいにしない)。このへんなかなかの手練です。

 上記のとおり、込み入った謎を、無心が順番に解いていく*のですが(超自然を信じていたとしても、因果関係がみつかればそれは人事で解釈可能なのです)、最後にひとつだけ、超自然が残る。(*ただしちょっと都合よく辻褄が合いすぎますけど)
 うむ。これを残すなら、私も一言せざるを得んな、と思っていたら、二段構えの合理的解明が! まいった(^^;

 締めは「女か虎か」。ダジャレかよ(笑)

追記。本書に歴史小説の雰囲気がない理由の一つに、たとえば「徐福仙薬研究所」なんてのがあたりまえに出てくるということがあります(観光台もそんな感じですね)。
 いくらなんでも、もう少し古代中国世界めいた命名を捻ってもいいのではないかと思うのですが、その理由を想像するに、積極的には著者が、本書はあくまで歴史小説ではなくて謎解き小説であり、そのための舞台装置であることを強調したいのかもしれません。
 そして場合によっては読書の感興を妨げかねない、そんなある意味無造作な語の選択があまり気にならないのは、文体もそれ相応にそこはかとなくユーモラスで、それらが相俟って小説世界も、(歴史小説の一般的な文体であろう)がちシリアスとは言いがたいちょっと不思議な雰囲気を醸し出しているからです。これが消極的な理由です(もちろんそれがいい感じなのです)。
 中国古代史世界の一場面であるはずの秦代琅邪という時空間が、そういう歴史地理的な文脈を切断されて、それだけで存在している、そんな感覚が強い。異世界ファンタジーみたいと上述した所以でもあります。
 ただ結婚している桃という女を「娘」としているのは、いくらなんでも融通無碍すぎます(汗)

 
 

Re: 所は何処、バー海神

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月23日(月)20時24分17秒
返信・引用 編集済
  > No.7075[元記事へ]

 深田さん
>気になっていました
 ですねえ。もしかしたら、阪神の調子が悪いので拗ねて書き込んでないのかも、と思わないでもなかったですが、入院されていたとは、びっくりでした。(ちなみに3勝3敗1分け)

>元気なようで(元気でもないのか、まあともかく)安心しました
 痛みなどの自覚症状もなく、闘病で憔悴することもない類の病気のようですので、身体は元気一杯で持て余しているんじゃないでしょうか(電話の声から推測するに)。
 ある意味思いがけなくも与えられた長期休暇ですからねえ。この際、執筆は物理的に無理としても、アイデアを膨らませたり練ったりするのに活用されたらいいんですけどね。いや実際やっておられそうです。

 

Re: 所は何処、バー海神

 投稿者:深田亨  投稿日:2016年 5月23日(月)00時26分26秒
返信・引用
  > No.7073[元記事へ]

気になっていました。
元気なようで(元気でもないのか、まあともかく)安心しました。
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月22日(日)23時19分46秒
返信・引用
   元ツイート

 徳を積みましたね(>おい)
 

所は何処、バー海神

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月22日(日)21時36分22秒
返信・引用 編集済
   雫石さんのブログの更新が止まって1週間。さすがに心配になってケータイに電話したところ、元気な声が返ってきました。
 入院しているんだそうです。交通事故ではなく、いちおう病気。びっくりしましたが、非常に軽いようで、問題がなければ来週には退院できるとのこと。安心しました。
 病状についていろいろ聞いたのですが、退院後本人が、ブログで得々と報告するに決まってます。その楽しみを奪ってはいけません(>おい)。なのでここでは割愛(^^;

 ケータイはつながります。ただし病室では禁止のため、一旦切られてしまいます。相手先確認後、病室から出て、かけ直してくれるかたちになります。用事のある方はどうぞ。
 身体は元気なので、一日をもてあましているみたいですよ。

 元ツイート

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月22日(日)01時11分19秒
返信・引用 編集済
   ツイート元

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月21日(土)13時36分25秒
返信・引用
   元ツイート

「限りなき舗道」の山内を彷彿とさせますね。
 でも山内には竹内の行動力はなく、酒に逃げて愛想付かされて破滅してしまった。
 でも竹内も結局は(山内とは別の事情ですが)酒に逃げるようになり、岡田嘉子はソ連に亡命してしまうのでした(ーー;

 そういえば山内弘役の山内光って、容姿といい雰囲気といい、あべっちに似てませんか。私、鑑賞中ずっと似てるなあ、と思って見ていました。ぼんぼん育ちでプレッシャーに弱い男を演じきっていましたねえ。

 

昭和9年頃の東京

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月20日(金)01時42分46秒
返信・引用
 
 自動車事故から運命が変わっていくところは、広瀬正『エロス』にもまったく同じ場面がありましたね。意図的でしょうね(^^;。

 

「銀河パトロール隊」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月19日(木)23時49分19秒
返信・引用 編集済
   『銀河パトロール隊』を読んでいるのですが、ぜんぜん捗りません。それでも170頁まで来ましたが。
 というのも、一箇所、矛盾があって、それが引っかかってなかなか前進していけないのです。
 それは、キムポール・キニスンが惑星デルゴンでキャトラット(狂暴な植物?)の不意打ちを食らう場面です。咄嗟に、付近に他種属のレンズマンがいるかもしれないというはかない希望をもって、レンズを介してSOSを発信します。はたせるかな、即座に「行くぞ、レンズの着用者、キャトラットの絶壁に急行する。私が行くまで持ちこたえろ」という応答が返ってくる。そして現れたのが、ヴェランシアのウォーゼルだったわけです。
 このゆくたてから推測すれば、ウォーゼルはレンズの着用者でなければなりません(レンズを着用してなければ聞こえないはず)。ところが実際は、ウォーゼルはレンズマンの一員ではないのですね。
 ただヴェランシア人はテレパシー能力に優れているので、レンズを介して(強力に)発信されたキムの思考を、ウォーゼルはテレパシーで捉えることができた、と解することは可能です。
 でも「レンズの着用者」と言ってますから、レンズが何であるか知っているものでなければならない。しかしそれも、現在170ページですが、何故知っているのかを納得させられる説明は一切ありません。
 いくらなんでもご都合主義すぎる気がするわけです。でも本当にそうなんでしょうか。このシチュエーションは伏線で、後で回収されるのかもしれない、それに一縷の望みを託して、頑張って読みつづけているんですけどねえ(ーー;
 ※ひょっとしてこの部分、誤訳とか? 小隅黎訳を参照してみるべきか。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月19日(木)00時51分3秒
返信・引用
 

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月17日(火)20時44分23秒
返信・引用
 

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月16日(月)23時09分26秒
返信・引用
   出た。左で張って横を向かせた顔に右でかち上げ。
 

 モンゴル殺法ですねえ。
 NHKの解説で北の富士さんが「自分で考えたのか知らんが、えらいことを覚えてくれたね」と言ったそうですが、それは事実誤認です。
 これを最初にやったのは、朝青龍です。朝青龍の名誉のためにここに明記しておきます(^^;

 

地口集

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月16日(月)01時01分35秒
返信・引用
  「なんとなく対で出てくる言葉って、あるよねえ」
「例えばどんな?」
「ヤンボーマーボー、リンリンランラン、ペコちゃんポコちゃん」
「なるほど」
「ベッキーボッキー」
「それはあかん」

 

Re: 「起承転結」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月15日(日)22時27分22秒
返信・引用 編集済
  > No.7063[元記事へ]

 堀さん、レスありがとうございます。
>『ひとにぎりの異形』にあった4行のショートショート
 ってなんだろう。
 本を引っ張り出してきました。あ、「最後と最初」ですね。
 この3行目と4行目を入れ替えると……
 なるほど! たしかに軽くなっちゃいますね。
 もともとの構成は、朗読するとすれば、一行目、二行目は重々しく荘重に、三行目はやや軽く(転)、しかし四行目でふたたび重々しくなってバランスが取れているんですよね。
 これを、三行目と四行目を入れ替えてしまうと、重、重、重、軽、となって軽いままになってしまうどころか、軽さがさらに際立ってしまう。
 入れ替え後のを山田康雄に朗読してもらうとしますと、最初の三行は山田康雄なりに重々しいですが、四行目になると一オクターブ上がって「不二子ちゃーん」の口調で聞こえてきちゃいますね。(それでも最初のほうが、まだ、ましだなー、あははは……)
 吉本だったら、ここで全員ずっこけることになるわけで、してみますと、ギャグというのは起承結転なのかも、と思いました(>単なる思いつき。例示しようと思いましたが例が思い浮かばず(ーー;)。

>西秋生さんがライフワークとすべき世界を発見したな
 あ、たしかにこの作品だったのかもしれませんね。2007年なんですね。西作品は、最初期のSFファンタジー、次にホラー(私自身は西さんの本領とは違うと感じていました)の時代があって、ようやく2007年になって本来の場所を見つけられたのですよね。※その前作の「神楽坂隧道」(2000、第5回日本ホラー大賞短編部門最終候補)が(舞台は東京ですが)分岐点だったかも。

>ジャズのAABA進行にもつながりそう
 そう言われて気づいたのですが、8ビートのリズム進行も起承転結だと思いました(16ビートでも一緒なんですが)。
 
 

Re: 「起承転結」

 投稿者:堀 晃  投稿日:2016年 5月15日(日)20時49分10秒
返信・引用
  > No.7061[元記事へ]

鋭いなあ。色々と考えさせられることも多いです。
実は、「起承転結」を「起承結転」にしたら、妙に間の抜けたものになるということを、10年近く前のSF検討会で「発見」しました。
↓こちら。
http://www.jali.or.jp/hr/mad9/mad417-j.html#20071221
『ひとにぎりの異形』にあった4行のショートショートについて議論した結論です。
ちなみに、『ひとにぎりの異形』に掲載された「チャップリンの幽霊」は、西秋生さんがライフワークとすべき世界を発見したなと感心した作品です。
起床転結は音楽に広げるとジャズのAABA進行にもつながりそうだし、面白いですね。
 

「朝鮮労働党第7回大会慶祝モランボン楽団、青峰楽団、功勲国家合唱団合同公演」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月15日(日)16時38分28秒
返信・引用 編集済
   昨夜(2016/05/14)放送されたもの。実際のコンサート日は不明。労働党大会は5月6日から9日までの4日間なので、9日に開かれたのかも。
 

 うーん。やっぱり昔のモランボンに比べると……(ーー;
 ところで面白いことに気づく。演奏が終わった後、モランボン楽団は軍隊式の敬礼をするのに、チョンボン楽団は頭を下げるいわゆる最敬礼をしています。
 これはモランボンの団員は軍人であり、チョンボンは民間人の楽団という区別なんでしょうね。

※あ、リュ・ジナさんが復活してますね(でも出番はごく少ない)。出番が少ないのは政治的な理由ではなく、最近のダンスユニット化の流れに合わないからでしょう。


 

「起承転結」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月15日(日)14時55分22秒
返信・引用 編集済
  「起承転結」の本当の意味

 なるほど。もともと漢詩の法則を説明する言葉だったんですね。それを論文に援用するのはたしかに筋違いです(そんなことが論文訓練の現場で言われていたとは、私ははじめて知りましたけど)。
 私自身は小説の構成法として認識していました。漢詩も小説も、芸術作品であって論文とはまぎゃくな性質をもつものですよね。結局「起承転結」は、芸術一般でのみ通用する(芸術一般でしか通用しない)法則ということなのでしょう。

 ところで音楽も芸術です(お、ところでと来たな。「転」かな)。中学の音楽の時間に、作曲法でまず最初に教えられましたよね、基本的な[A-A'-B-A']も、結局「起承転結」の言い換えです。
 たとえば「早春賦」のメロディ(詞ではなくメロディですよ)。

  春は名のみの 風の寒さや ……A
  谷の鶯 歌は思えど    ……A'
  時にあらずと 声も立てず ……B
  時にあらずと 声も立てず ……A''

 きれいに「起承転結」になっています。

 このような起承転結は、重層的に構成された芸術作品の各層で成立するもので、いわばフラクタルなものです。
 読みやすい小説では、段落単位→章単位→ストーリー全体で成立しています※(それとは別に、能から導入された「序破急」という構成もあります。しかしこれも、「転」が「起を承け継ぎ展開する」という面に着目した言い方であるのに対し、「転」を「起承を打ち壊す」面に着目した言い方といえます。探偵小説で容疑者が新たに見つかった新証拠によって二転三転するのは「転」より「破」というのがふさわしいですね)。
※追記。「早春賦」に戻せば、歌詞1番→2番→間奏→3番となっており、間奏が「転」に相当するわけです。

 そのような構成で書きますと、読者が附いてきやすいから、そういう手法として自覚されたんでしょう。つまり「起承転結」という手法の名称は、受容者(具体的には一般的な日本人)の心的傾向に即した、適したものだったから一般化したものと思われます。
 つまり意識的にはどうであれ、小説も音楽も、受容者はそれを、(受容者の無意識に降下すれば)同じものとして認識しているということですね。
 冒頭にリンクした記事では、こう書かれています。

「上司に提出する文書などでは、起承転結を盛り込んだほうが、相手が納得しやすいという現実がある。この感覚は、海外の人には理解してもらえません。「起承転結が通用するのは日本人だけ」と覚えておいてください」

 いやあ愉快愉快。そうしますと日本人は、世界でも特異な、森羅万象を音楽として認識する民族だということではないですか。
 はっ。でもそういう日本人の感性って、昔から言われていたような気がしてきました。
 それが近代化→脱近代化した現代社会に生きる日本人の無意識にはしぶとく生き残っていて、そのような(企業社会的には)誤作動を引き起こしているのかもしれません。
 世界に誇っていい日本人の誤作動かも(>おい)(^^;
 そういうのに対して、一種モノ申す(リンクした)記事みたいなのに対して、日本人は古来こう言ったのですね。
 「無粋なやっちゃ!」m(__)m

 

 

「緑衣のメトセラ」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月13日(金)22時38分40秒
返信・引用 編集済
   福田和代『緑衣のメトセラ』(集英社、16)読了。

 ネットで好評なので読んでみました。面白かった。一気読了。
 著者は数年ぶりでしたが、文章がずいぶんよくなりましたね。既読作品では、内容以前に文章で引っかかってしまうことが多かったので。そういうストレスがほとんどなかった(それでもまだ少し気になる癖が残っており、それは巻末に列挙したいと思います)。

 さて、ラストで驚くという評言を複数見かけました。自慢するわけではありませんが、わたし的には想定の範囲内でした(>おい)(^^;
 102頁「彼は(……)悪魔メフィストフェレスのようだとも思う」で、なんかあるな、とピンときて、気をつけて読んでいたら、背中がふくらんでいるとか、姿勢が悪いといった描写がくどいほど出てき、ははあひょっとしてあれかな。284頁「ばさりと」で、きっとあれやろ。317頁「今のは何?」で確信しました。
 と、いささか唐突なシーンなので、段階をおって布石しているのは認めますが、根本的にあのシーンは、いかに伏線を張っても、SF的にはそもそもあり得ませんね。そんな強度のフレームはたたみ込めません(説明が必要)。326頁「羽ばたくのが見えるような気がした」というのは、さすがにぼかしていますが。
 このシーンが本書を書く動機のなかで大きな割合を占めるものだったろうとは想像できます。けれども、もし書くのなら、すべてを夢とも現実ともつかない「幻視」として書くべきでした。「あれは本当に現実に見た光景だったのだろうか」とか。

 次に「緑衣」の「メトセラ」について。
 「緑衣」については、過不足なく説明がなされており、読者は納得してその設定を受け入れます。しかし「メトセラ」は唐突すぎる。
 254p「そう――。この子たちは、生存に必要なエネルギーを自給自足できるという新たな武器と、常識を超える長寿を手に入れるでしょう」 待てよ、そんなことどこに書いてあった? 頁を繰りますと、227p「ごく一般的なラットの平均寿命は、ニ、三年というところだけれど、ここにいる緑色のラットは、みんな五年近く生きてる。つまり遺伝子をいじったのは、葉緑体だけじゃないという意味」と記述されていた。でも、それだけ。具体的には(緑衣について縷々解説されてきたようには)何も説明がありません。
 また、(小説内)現実の、アポトーシスを制御できる薬アンブロシアは、小説内現時点では効果が安定していません。しかも投薬が開始されてから「まだ半年だよ」(292p)
 ところが、緑衣のメトセラは、それより以前、8年前にこの世に存在しているのです。この時差の矛盾は無視しがたい。きちんと説明がなされてなければ、メディカルハードSFとはいえないでしょう。
 メフィストフェレスとメトセラは、本書のスタイルからは極端に浮き上がっています。私は『パラサイト・イヴ』と同じ欠点――「バランスの悪さ」というべきでしょうか――を感じました。

 ネット上には「本格SF」という評言もあり、おそらくそれは、葉緑生物という存在の哲学的意義(存在論)が考察されている点を評価されているのだと思います。
 たしかにこれは面白いです。
 不破は葉緑人間化が、争いのない平和な未来につながると楽観的です。これに対して主人公は(そんなに簡単な話なのかと引っ掛かりはあるみたいですが)立場をはっきりとさせません。それが少し不満。きちんと議論させてほしかった※。
 知的植物というのはこれまでもSFにありましたが(たとえば光瀬龍)、結局人間の変わり種で、根源的なその意味を考察したものはなかったと思います。本書は葉緑人間をはじめてそんな考察のステージに立たせる設定を仮設し得ています。ところがそこにとどまっているんですね。非常に惜しい。
※たとえば橋元淳一郎さんは、植物についてですが、こう言っておられます。「植物→光合成という手段によって、ほとんど努力せずとも生きられる。親方日の丸のお役所。エントロピーの嵐と闘い生きるという意志は、ほとんど退化している」(→こちら

 以上は、SF作品として見た場合の不満で、私自身一気に読まされたように、サスペンス・フィクションとしてなら全然問題ないと思います。著者はやはり、クーンツや瀬名秀明系の作家なんでしょう。

 さて、最後に不満な文章について述べるつもりでしたが、長くなったので割愛します。読んで引っかかった、わたし的には削除したほうがいいと思う文章をとりあえず3箇所列記するにとどめます(当該頁をみて、前後を読んでいただければ、私の不満がわかっていただけるのではないでしょうか)。

◯舎弟のくせに、いちいち逆らうやつだ(42p)
◯誰も聞いてないよ、そんなこと(114p)
◯なにげないしぐさまで、さまになる男だ(237p)

 

地口集

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月12日(木)22時53分45秒
返信・引用 編集済
  「どけどけ、じゃまだ、道をあけろ」
「なに言ってやがる、そっちがどけよ」
「ひかえおろう、この方を何様と心得る、ジョン・コリー様なるぞ」
「どうぞお通り」

 福田和代『緑衣のメトセラ』に着手しました。
 


「エロス」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月11日(水)23時38分46秒
返信・引用
  > No.7056[元記事へ]

 広瀬正『エロス――もう一つの過去』(集英社文庫82、初刊71)読了。

 いやー面白かった。これはSFであるけれども、『マイナス・ゼロ』や『ツィス』のような<SF的仕掛け(設定)>があるわけではない。「この世界(時間線)」と、並行する「もう一つの世界(時間線)」が並べて描かれますが、《並行世界》という<SF的仕掛け>がことさらに説明されることはないのです。
 SF読者なら「これは並行世界ものだな」と勝手に分類するでしょうが、SFを読まない読者は、「これはどういうことだ」「片方は存在しなかった可能性の世界なのか」などと不審に思いながら、読み進めていったのではないか。

 SF的にも、ふたつのストーリーは最後まで絡みあうことはなく、並行世界テーマSFを想定して読んできたSF読者は、肩透かしめいた気持ちになるかもしれません。ストーリー自体起承転結があるわけではなく、流れていく時間から一部を切り取ってきたみたいな印象。

 しかし<仕掛け>はやはり仕込まれていたのであって、これはネタバレになるのかもしれませんが(後述)、この小説の<基準世界>、つまり読者が無意識に「この時間線」上にあると見なしていただろうところの、みつ子が歌手になってしまう世界が、実はなんと、日本が第二次大戦に勝利してしまう世界だったことが、最後に、しかも本当に目立たない一行の言葉で、明らかにされ、おおっとなるわけです(気づかず読み終わってしまう人も少なくないはず)。
 そこが唯一SF的な設定であって、あとの部分は個別に取り上げれば、大戦前の東京のある夫婦を描いた、ごく普通の歴史風俗小説というしかない。

 そんな話が何故面白いのか。あるいはこの小説で作者は何をしたかったのか。
 当然複数の欲求目論見があったでしょう。しかしその中でも特に重要な一つに、昭和9年から15年という戦争前夜の、東京という町のある部分を、あたかもミニアチュールのように克明に再現したいという欲求があったことは間違いないと思われます。
 それが成功しているのです。

 本書を読むことで読者は、その世界を映画のように離れた位置(席)から前方に眺めるのではなく、膨大な資料を読み込んだ著者がそれから抽出した、当時を再現するにふさわしい克明な資料の効果的な配列によって、それを立体的に、あたかも読者自身がその世界のなかに立って歩いている、周囲を見回しているかのような気分になるはずです。
 ストーリーは、そのための補助でしかないのかもしれません。

 ただこういう小説は、解説で小松左京が書いているように、「このいささかくだくだしいデータの書き込みは、「生活史」の専門書の中にあれば、その方面を専攻する人以外、ほとんど読みすごすものかもしれない」というのはかなり当たっています。
 しかしそれを読み込まなければ、本書の面白さは半減してしまう。ですから私も前項で、「もし初刊本(71)を当時高校生だった私が読んで、ここまで引きこまれたかどうか」と記したわけです。

 その意味で、本書は、戦前昭和のある程度の知識を蓄えてから読むべき小説なのかもしれません。そういう入り口の狭さはありますが、しっかりと読めば、映画なんか問題じゃないほどの臨場感に浸ることができるのですね。
 いやこれは、未読で本当によかった。著者の作品の中では、いちばん派手なところがなさそうという先入観が、今日まで読むのを妨げていたのですが、その判断は結果的に正解だったと言いたい。
 ひょっとしたら、私みたいな理由で未読のSF読者がいらっしゃるのではないでしょうか。そういう方には、上記のネタバレが、読んでみたいというモチベーションを高めてくれるかもしれませんね(^^;

 以下余談。タクシー会社に「相互タクシー」とか「合同タクシー」って全国にありますよね。その理由がわかりました。
(前述のように戦前は個人タクシーが多かったのだが戦争でガソリンが逼迫し)「この最悪の事態に直面して、組合は「小企業の合同」という構想を発表した。1、2台持ち業者の合同により経営の合理化を図ろうということだった。すでに大阪で、小企業の提携による相互タクシー会社が生まれ、その経営が順調に言っていることが、前途に希望を抱かせていた」(262p)

「お米が足りないんだから、しょうがないけど……ここに代用食の作り方が出ているわよ。ソバズシっていうの。お米の代わりにおソバを使って、ノリマキにするんですってさ。おいしいかしら」(284p)
 元ツイート

 

「エロス」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月10日(火)23時58分35秒
返信・引用 編集済
  > No.7052[元記事へ]

 『エロス』は220頁まで。(この世界と、あり得べき今一つの世界の)二本ある個々のストーリーは、劇的なものではなくむしろ坦々としているのに、巻措く能わずという感じで読み進まされる。この力はどこから来るのかといえば、やはり昭和10年頃の史実と風俗の圧倒的なリアリティでしょう。もし初刊本(71)を当時高校生だった私が読んで、ここまで引きこまれたかどうか。

「昭和9年の1月に流行性感冒がはやったとき、マスクをかけることが流行したが、それ以後、日本人は冬になるとマスクをかける癖がついてしまった」「向こうでは、マスクなぞするのは病人だけよ。病気でもないのにマスクをかけるなんて、あきれてしまうわね」(180p)

 これなど近年のだてマスクの流行(O-157以降でしょうか)と重なりますね。当時もだてマスクとしての使用だったんじゃないかという気がします。日本人の一般的心性が、戦前からぜんぜん変わっていない証拠かも。

「慎一の父と母は根っからの野球好きで、アメリカではブルックリン・ドジャースをひいきにし」(183p)

 ドジャースがロサンゼルスに移ったのは1958年から。それまでは東海岸の名門チームだったのはアメリカ人には常識でしょうが、日本人はついうっかり失念してしまいます。昭和10年頃の小説を書いていて、ロサンゼルス・ドジャースなんて誤記してしまってはぶちこわし。第二次大戦中にシャーロック・ホームズがマジメに活躍するみたいな恥ずかしさですね(もちろんタイムスリップとか、そんな説明があれば別です)。そういう意味で、ホームズ云々とは別の話になりますが、イマココとは違う時代を舞台にするときは心しなければいけません。調べるのを手抜きしてはいけません(>誰に言ってるのか)(^^;

 みつ子の叔父が個人タクシー*を始めるにあたって、36年型フォードを購入する。(*昭和10年の調査では東京市内のタクシー営業者は7337名。そのうち5302名が、今の言葉で個人タクシーだったようです(162p)。これはモダン東京物語のヤベ寅が個人タクシーとして設定されているのを補強する記述です)

 ここで「この横浜製のフォード」(190p)という記述がさりげなくありますが、これ、『堕ちたイカロス』の感想で紹介したノックダウン生産車ということで(国産車は外国車に太刀打ちできず、GMとフォードがノックダウン生産を始めると、市場は寡占状態になり)、その工場が横浜にあったということですね(「日本でノックダウン生産が始まったのは、1925年のことである。1905年から日本への輸出を始めていたフォードは、アジア最大の経済大国となった日本を重視し、横浜にT型フォードの工場を建てて現地生産に乗り出したのだ」

「この車(註:36年型フォード)は時速75マイル(120キロ)は出ると言われているが、叔父は電車通り(註:市電道)でも20マイル(32キロ)以上は出そうとせず、まったくの安全運転だった」(191p)
 この記述から推測するに、東京市内の法定速度は20マイル32キロだったのでしょうか。的矢のシトロエンが「最高時速60キロ(!)」というのを読んだとき、なんだ当時はその程度しか出なかったのか、と思ったのですが、それなら通常運転には問題なし(^^;。しかしカーチェイスしたらフォード車にぜんぜん敵わないわけですけれど、当然そんなシーンはなかったですね(汗)。

「トヨが新しい車を発表しましたな」「ダットサンといい、愈々国産自動車の時代がやってきますな」(213p)
 やはり昭和ゼロ年代の日本の道路を走っていたのは、外国車だったのですねえ(参照

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 9日(月)20時25分31秒
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 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 9日(月)17時20分47秒
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 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 9日(月)00時43分51秒
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「エロス」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 8日(日)22時23分13秒
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   昭和ゼロ年代に興味が出てきたのですが、これを忘れてはいけない本を失念していました。
 広瀬正『エロス』。早速着手しました。
 のっけから昭和9年当時の給料の話。『モダン東京 堕ちたイカロス』に、女性事務員の月給が40円から60円と書かれていたのを紹介しました。
 本書ではタイピスト、速記者のような専門技術者が月給300円から500円と、男性顔負けの給料だったようですが、女中が住み込みで、5円。デパートガール、エレベーターガールが当時の人気職種で、月20円以上。女工が、よい所で30円。
 モダン東京の事務員というのは、特殊技術者ではないけど、学歴のある、秘書とかそういう職種なのかもしれませんね。
 男性では東京の市電運転手が平均103円だった。ところが9月、他の交通手段の発達で市電が赤字になり、一気に65円に下げる(全員の解雇即新規採用)という事業更生案が示され、組合が反発、ストが決行される。「東京市電大罷業」というのだそうです。

 
 写真は『東京市電大罷業記念写真帖』より(近代デジタルライブラリー

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 8日(日)15時28分26秒
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 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 8日(日)03時53分21秒
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   .  

「堕ちたイカロス」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 6日(金)22時52分50秒
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  > No.7048[元記事へ]

 承前。前記のごとく、日本の飛行機産業は、第一次大戦後、躍進を遂げ、三菱、中島以外にも、川崎をはじめ、昭和初期には10社以上の航空メーカーが存在したようです。
 本書の扇原飛行機製作所は、中島飛行機がモデルのようです(ただし作中では中島は別に存在しています)。というのは、工場が荻窪にあったこと(前述の隆子が通った飛行機学校はこの荻窪工場に併設されていた)、昭和6年に株式会社となったと本文にあり、それを手がかりに検索したら、中島にぴったり該当したからなんです。
 対する大平航空ですが、これはよく分かりませんでした。後発であり、親会社は造船会社とありますから、川崎航空機かとも思ったのですが、本社が丸ビルにあったとなっていて、兵庫出身の川崎ですから、これはあり得ないのではないかと思った次第。

 ところで、航空機産業が盛んになった昭和ゼロ年代ですが、本書に登場する自動車はすべて外国車なのです。的矢が乗り回しているのは、シトロエンC3という、856CC、最高時速60キロ(!)の小型車。他に出てくるのも、ベンツ、パッカード、キャデラック、オースチンなど、全て外国車。
 航空機メーカーが競い合っているくらいですから、自動車産業はもっと盛んなんじゃないか、そう思って調べて愕然。
 大正時代に快進社、白楊社という自動車メーカーが生まれたのですが、国産車は外国車に太刀打ちできず、GMとフォードがノックダウン生産を始めると、市場は寡占状態になり、ともに解散してしまう。ようやく1930年代になって、
「1932年(昭和7年)に日産自動車の前身となる“ダットサン商会”が設立され、翌1933年(昭和8年)にはトヨタ自動車の前身となる“豊田自動織機製作所自動車部”が設立、現在の日産自動車、トヨタ自動車が誕生する」引用元)という体たらくだったんですね。的矢探偵の物語に国産車が登場しない道理だったのでした。

 航空機産業が自動車産業に先行したのは、結局航空機が軍需産業だったからなんですね。そういえば安倍政権は武器輸出を始める気まんまんですが、売り先に満足してもらえる技術力がなければ買ってくれません。結局安倍さんの目的は、日本の軍需産業を世界のトップレベルに引き上げたい深謀遠慮と言えるかもしれませんね。本書でも大平航空の社長が、戦争が技術力を発展させる、と言っています。

 さて本書、表層はA航空会社の技術者が発明したらしい画期的な新技術を、B航空会社が奪い取ろうと画策する話なんですが、その新技術の発明者は、実に滞仏中にガストン・バシュラールの思想に共鳴した人物だったんですねえ(^^ゞ

 ということで、藤田宜永『探偵・的矢健太郎 堕ちたイカロス』(集英社文庫、89)読了。
 残念ながら当シリーズはこの3巻で打ち止め(のちに第一話の前日譚が書かれているのですが未所有)。小説世界が、現代だったり、逆にまったく外国の話だったらそんなに厳密でなくても通用するんでしょうが、現代の前代という時代考証にもっとも厳密性を求められる時代で、しんどかったのではないでしょうか。

 
 

「堕ちたイカロス」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 5日(木)21時46分0秒
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   『探偵・的矢健太郎 堕ちたイカロス』に着手。

 舞台は前作の二年後、昭和9年。余談ですが眉村さん・筒井さんの生まれた年です。
 当時、飛行機にはブーン・ガチャンという異名があったらしい。ブーンと飛んでガチャンと墜落するからだそうです。
 しかしリンドバーグが1927年(昭和2年)にニューヨーク・パリ間大西洋単独無着陸飛行に初めて成功。1931年(昭和6年)には北太平洋横断飛行にも成功したように、昭和ゼロ年代には、国産飛行機会社も生れ、実用の段階に入っていたのです。
「昭和5年、吉原飛行士がベルリン―東京、約一万一千キロを80時間で横断した。続いて東善作なるアメリカ在住の日本人が、三大陸横断に成功し、一万八千キロの空の旅を終えて、東京に着陸した。この時には日本中がわき立ったものである」「以来、日本人の飛行機熱は、日ましに高まり、最近では女性や学生の中にまで、飛行機に青春を賭けるものが続出しているという話だ」(28p)
 的矢事務所の事務員・秋元蓉子の妹、お転婆な隆子もそのひとり。
 きっかけは昭和6年「津田沼の海岸で、或る女性が、パラシュートで降下し、群衆の熱狂的な拍手で迎えられ、彼女のブロマイドが飛ぶように売れたことがあった。以後、”パラシューター・ガール”は一種の興行になり、現在も各地で行われているらしい」(29p)
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 そして一回飛び降りると、200円にはなったそうです。ちなみに当時の事務員の月給は40円から60円だった。
 そんなわけで、隆子は、荻窪にある飛行機学校に通っているのです。このお転婆というのも、新時代の女性の一つの表象でもありましょう。

 さて、物語は、的矢が江戸川沿いを愛車のシトロエンC3で走っているとき、リンドバーグが大西洋横断のとき使用したライアンNYPと同型機が、江戸川河原に不時着炎上する場面に遭遇します。救助した飛行士は、その機を札幌で盗み、無着陸でここまで飛行してきたと語るのでした……!?


 

「モダン東京小夜曲」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 4日(水)18時23分44秒
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  > No.7045[元記事へ]

 藤田宜永『探偵・的矢健太郎 モダン東京小夜曲』(集英社文庫、88)読了。

 前作よりも面白い。それは舞台である昭和7年の社会情勢が、ストーリーに密接に関連しているからです。前作は昭和6年が舞台とは言い条、モダン都市東京の風物は出てくるものの、時間(歴史)が流れていなかった。だからモダン東京テーマパークみたいな、ある意味ファンタジーっぽい印象もあって、それが初読時の印象をソフトボイルドなものに記憶させていたようです。
 本篇の舞台である昭和7年は、前年の満州事変勃発→関東軍の全満州占領をうけて、3月に満州国成立、5月に第一次上海事変、5・15事件、10月近隣町村を合併し、ニューヨークに次ぐ世界第二の人口を擁することになった「大東京市」成立、と、世相騒然、軍部が一気に前面に押し出し、市民への締め付けがきびしくなり始めた時期です。
 本篇は、現実にあった越後鉄道疑獄事件をモデルにしているようです※。
 ※以下に理由を述べますが、これは解説では触れられていません。本書タイトルと越後鉄道で検索してもヒットしませんから、ひょっとしたら私が日本ではじめて気づいた事実かも(>おい)(^^;
 ただし当事件は実際は昭和4年に発覚したもので、結果的に軍部台頭を招くのですが、それを昭和7年にずらしているわけです。
 疑獄の具体的な内容も変えられています。
 しかし、これによって当時の現職文部大臣(本篇では鉄建大臣*)が起訴され有罪判決(第二審で無罪)を受けるというストーリーは同じなんです。
 本篇でも、犯人にとっては、大臣が起訴されることが重要で、数カ月後に無罪になってもかまわない、というスタンス。事実、現実の事件時の内閣は浜口雄幸内閣で、幣原外相を起用した文民穏健内閣だったので、現職文部大臣の有罪は、軍部の台頭にきっかけを与えるものだったのです。
(越後鉄道疑獄事件が、軍部や右翼の陰謀だったかどうかはわかりません。たぶん違う。たまたま起こった事件を軍部が利用しただけだったんでしょう。本篇ではそれを陰謀として描いている)
 本篇は、大正デモクラシーの落とし子である大正ロマン、そしてそれを引き継いだ昭和モダンという、軍部右翼的観点からすれば「享楽主義」がどんどん肩身を狭くさせられていく、一種の文化バブルの崩壊前夜を描いており、まさに現代日本の状況が先取りされた世界なのです。非常に興味深い物語でした。
 *鉄建大臣というのも架空で、当時あったのは鉄道大臣。鉄建大臣は新潟出身とされているのも、越後鉄道疑獄がモデルであることを匂わせています。

「君の言う通りだ。だが、考えようによっては、学校というところは、思想統制の場だからね。ロシア革命が起こって以来、その傾向は顕著なんだ。”護国の精神に富める忠良なる市民”を育てようと当時の首相は言っていたが、最近、ますます、その傾向が濃厚じゃないか」(56p)


 

「ザ・ウォール」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 4日(水)01時24分36秒
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   岡本俊弥「ザ・ウォール」を読みました(岡本家記録とは別の話)。これは面白い。主知的な著者には珍しく物語がまさっていて、先へ先へと引っ張っていかれます。
 設定は、小松左京の或る作品に似ています。否、似させています(その辺は従来の著者)。
 しかし小松のように説明はありません。世界は小説世界の住人によって、そこに在るものとして、一種アプリオリに受け入れられています。小松作品のように原因を究明しようとするベクトルは小さい。あくまで主人公のミクロな視点で世界が見渡される。何十年もの生活が、点描的に語られる。そのあたりはイギリス破滅SF、就中オールディス(グレイベアド)を髣髴とさせられます。
 主人公に与えた視点はミクロですが、その主人公に、著者は寄り添うのではなく、突き放すように描いている。内面に入っていくことはしません。その距離感が、作品世界に神話的な雰囲気を与えています。独特の世界観を醸し出していて、よいなあと思いました。

 ところで私、著者はいろいろ見せ方を工夫されているので失礼な話なのですが、やはり縦書きのほうが読みやすいので、縦書きでPDFにして、タブレットで読みました。こんな感じ。
 

「モダン東京小夜曲」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 3日(火)22時14分46秒
返信・引用 編集済
   藤田宜永『モダン東京小夜曲』に着手。
 ひょんなことで、的矢探偵に浮浪児の少年探偵団みたいな助手ができます。
 これは乱歩へのオマージュ? 本書は昭和7年の東京が舞台。『怪人二十面相』は昭和11年雑誌連載。
 ただし後者の少年探偵団のメンバーは、中産階級の子弟(浮浪児グループもその外郭にいるんですが、峻別されています)。的矢の助手たちは、東京の浮浪児ですが、もともと自ら食い扶持減らしに家出し東京に流れ着いて、少年窃盗団となっていた者たち。そして的矢が実家に返そうとヤベ寅に打診させるも、そんな余裕はないと親に断られた子供たちです。
 19世紀ロンドンを舞台にした小説にも、たしか不良少年のグループが出てきたりしたと思いますが、20世紀初期の日本も、あたりまえではないにしても、そういう存在が皆無ではなかった時代ですね。
 その意味で、乱歩の少年探偵団は、現実を見ないファンタジーともいえる。いやまあ、乱歩にはそもそも現実を見る気はなかったわけですが。
 本書は少年探偵団へのオマージュであると同時に、批評的でもあるのですね。

 

ヨゾラノホシ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 3日(火)00時26分2秒
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   .


 

「モダン東京物語」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 2日(月)19時46分51秒
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  > No.7039[元記事へ]

 藤田宜永 『探偵・的矢健太郎 モダン東京物語』(集英社文庫、88)読了。

 承前。ラストの展開はまったく覚えてなかった。というか、全体にほぼ初読に近かった。ハードボイルド小説であることも失念していました。もっとソフトな探偵物語のような気がしていたのですが、十分にハードボイルドでした。初読の記憶している印象よりずっと面白かったです。まあ当時は私の知識が本書を読むには不足だったんでしょう
 華族という階級が意味を持っていた世界のハードボイルドと言うのは、なかなか新鮮でした。モダニズム的な高等遊民も居れば、アメリカ留学したことでアメリカに失望し国士になった者も居る。”赤色華族”なんてのも登場します。
 昭和6年(1931年)頃は、日本は不況だったようで、就職口もなく、たとえばそれがために円タク業者が増え、供給過剰でパイの奪い合いになっていたりする(だから、大陸への植民地化政策が実行されているんですね)。今の日本のタクシー業界と同じ状況です。
 ある意味、バブル崩壊後の長期不況の現在と、様相が似ているなあと思いました。(そして安倍政権登場も)。フラクタル的といいますか、個体発生は系統発生を繰り返すといいますか。
 考えて見れば、1930年代はアメリカではハードボイルドが勃興してきた時代(『マルタの鷹』1930年、『大いなる眠り』1939年)、その10年は同時に世界恐慌の時代でもありました。
 大不況とハードボイルド小説の隆盛は関連性があるのではないか。と思って、ざっと検索してみましたが、ヒットしませんね。しめしめ。これでハードボイルド論が書けるかも(^^;
 先般、大正ロマン・昭和モダンの鏡像としてのプロレタリア小説というアイデアを披露しました。探偵小説はもちろんモダニズム小説です。それは日本に限りません。その探偵小説の内側からハードボイルド小説が現れたというのが面白い。一種の適応放散ではないでしょうか。



 

5月になりました

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 2日(月)00時45分34秒
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   おお、首位か。
 まあ、この時期は大抵元気なんですけどね。カープだけに。

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 投稿者:管理人  投稿日:2016年 4月30日(土)23時07分14秒
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   昭和30年(1955)に開設された地下街。
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「モダン東京物語」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 4月30日(土)21時17分37秒
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  「アメリカ人の”ジャップ”に対する差別はそりゃひどいものだろう。にも関わらずだ、今の日本人は、アメリカナイズされて喜んでいる。癌は大正デモクラシーという売国的思想だよ」(85p)

「探偵なんてのは、所詮、モダニズムの滓を食っているような商売じゃないのかね」(88p)


 藤田宜永『探偵・的矢健太郎 モダン東京物語』に着手。

 本書は1988年刊行で、刊行直後に購入して読んでいるのですが、数えてみれば、ほとんど30年ちかく前なんですね。
 そのわりには、表紙と小口等が、写真のように焼けも汚れもなくて、そんなになるとはちょっと信じられない。でも天がやっぱり年月相応で、茶色いシミが点々と浮いていて、そうなんだなあ、と改めて30年なんだなあ、と思ったのでした。
 

 本書を引っ張り出してきたのは、「少年探偵団」で昭和モダンにまた関心が向いたためで、本書は昭和6年(1931)のお話という設定なんです。昭和6年といえば満州事変勃発の年。それは出てきませんが、本書の売りはモダニズム都市・東京が詳しく描写されていること(ただ言葉遣いが不用意に現代的なのが気になる。上の引用中の「アメリカナイズ」なんて、当時本当に使われていたのでしょうか)。
 円タクガールが出てくるのですが、タクシーの助手席から流し目するのです。すると鼻の下を長くして紳士が乗ってくる。すると円タクガールは車から降りちゃうという詐欺商法(^^; そんなのにいつもいつも引っかからないと思うんですが(それ以外のサービスもあったとなっていますが、実際には眉唾かも)(^^;

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 4月30日(土)17時05分2秒
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 投稿者:管理人  投稿日:2016年 4月30日(土)16時50分14秒
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   .  

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 4月30日(土)16時46分19秒
返信・引用
   .  

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 4月30日(土)13時28分21秒
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 投稿者:管理人  投稿日:2016年 4月30日(土)02時16分42秒
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「少年探偵団」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 4月29日(金)23時09分37秒
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   江戸川乱歩『少年探偵団』(青空文庫、16)読了。

 先日、『怪人二十面相』を読んだばかりですが、少年探偵団シリーズ第2巻の本書も、青空文庫に入りましたので、さっそくダウンロードして読みました。
 雑誌初出は《少年倶楽部》1937年(昭和12年)1月号~12月号。昭和12年というと、第二次上海事変が起こった年ですが、日本国内は第一次大戦後の資本主義の進展の社会的反映としての大正デモクラシー、その一つの現われである大正ロマン主義と、それに引きつづく昭和モダニズムが、晩期の光芒を放っていたんでしょう。本シリーズの第1巻、第2巻にはその雰囲気が垣間見えるようです。
 その一方では、同じく同年1月1日から朝日新聞で、山本有三『路傍の石』の連載が始まっていて、田舎には歴然と旧世界が残存していたことが分かるわけですが。
 ともあれ、大正昭和のモダニズムが20年代30年代に新たに生み出した都市小説(萩原朔太郎、三好達治も含む)も、すでにそれなりの確固とした地位を築いていた。本シリーズもその一翼を担っていたことは間違いないでしょう(モダニズム文学が右とすれば、左にはプロレタリア文学が、鏡像のように並んでいたわけですが、プロレタリア文学は早々に弾圧されてしまいます)。
 このあと日本は中国大陸に深入りして社会状況は悪化していくのですが、それにともなって本シリーズがどのように変化していくのかしないのか、興味あるところです。
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Re: さみしい

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 4月29日(金)15時52分48秒
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  > No.7030[元記事へ]

 「神戸国際ギャング」でしたか、焼け跡に池みたいなのができているんですね。
 そのときは気づかなかったんですが、あれは爆弾が落ちてクレーターみたいになったところに、雨水がたまったものですね。そのため池の岸辺にバラックが建っていました。
 焼け跡というと、一種の砂漠みたいな平坦化して、すっきり視界のひらけた土地を想像しますが、それは遠景であって、近づいてみれば、爆弾で凸凹になっており、がれきもまだ片付けられてなくて、きわめて視界がわるい世界だったのではないかな、と想像されます。砂漠というよりジャングルに近かったのではないかと。

 高架下の地下テーマパークで、ぽつりぽつりと行方不明者が。出て行った形跡がない。文字どおり忽然と消えてしまう。そのうち変な噂が流れます。テーマパークのどこかに、穴があいており、行方不明者はそこを抜けてどこかへ行ってしまったのだと。興味を持った刑事が丹念にテーマパーク内を探索します。で、見付けるのです。そこをくぐり抜けた刑事の眼前にひろがっているのは……

 神戸を舞台に、「神楽坂隧道」みたいなお話ができそうですね(^^;

 

Re: 温暖化で海面上昇するとどこが水没するのかがわかる地図

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 4月29日(金)15時23分25秒
返信・引用 編集済
  > No.7029[元記事へ]

 うちは+20mでも余裕で大丈夫ですね。+30メートルになると岸辺にかかっているので、25m位の上昇には耐えられそうです。
 ウィキペディアによれば、4大文明が興ったヒプシサーマル期でも、意外なことに、現在とあまり変わらない水位(数メートル高いだけ)だったみたいですね。
 これは意外でしたが、日本に限れば、ちょうど縄文時代で、4メートル高かったとのこと。それでも4メートルなんですね。
 縄文時代の海岸線地図では、もっと内陸に食い込んでいるような印象があるんですが、これはあるいは、山から川が運んでくる土砂の堆積が、現在ほど進んでいなかったということと関連しているかもしれません。
 まず海進があって、安定した後、海岸の堆積が始まって、現在の海岸線に近づいたと考えたらいいのかも。つまり水位は一定だとしても陸地のほうが、縄文時代より現在のほうがかさ高くなっているということ(思いつきの仮説)。※かさ高くというか、ひらべったくひろがった、という方が正確かも。原理的には地表は重力で(あるいはエントロピー増大により)最終的に平板化してしまうのだから、その過程と見ることができます。
 筑後内海や上町台地東側の陸地化(湿原化)のような現象が全国的に進展した。その意味で、中国大陸や朝鮮半島からの稲作民の渡来は、時期的にちょうどよかったと考えられます。それ以前から稲作民は、散発的に渡来していたんでしょう。でも日本の陸地の状態が、それまでは適してなかった。稲作がこの時期爆発的に拡がったのは、それも一因かも。

 

Re: さみしい

 投稿者:深田亨  投稿日:2016年 4月29日(金)10時16分55秒
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  >  地下に降りると、壁面は3D映像で、焼け跡が延々と続いており、その広大な焼け跡の一角に、ぽつんと仮想の高架下があって、闇市がひろがっている。
モトコーの西側(神戸駅寄り)は古いワープロや米軍放出物資を売っていたり、双頭の鹿の剥製がディスプレイされていたりして、昭和の匂いがぷんぷんしています。
いつだったかモトコーを東(元町駅方面)に向かって歩いていると、まん中あたりで観光客とおぼしきカップルがお店の人に道を聞いていました。
お店の人は、
「ここから西はもっとディープですよ」
なんて言っていました。(ディープですけど、『怖く』はないです。ご安心を)

関係ないですが、モトコーの入口にあたるJR元町駅西口に、黄色いそばで有名な姫路駅の「えきそば」が出店したみたいです。
こちらは大歓迎ですね。
http://www.kobe-np.co.jp/news/kobe/201604/0009027372.shtml
 

Re:温暖化で海面上昇するとどこが水没するのかがわかる地図

 投稿者:段野のり子  投稿日:2016年 4月29日(金)10時05分3秒
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  わっ、大変です。うちが沈んでしまう。どこかに逃げないとだめでしょうか。  

温暖化で海面上昇するとどこが水没するのかがわかる地図

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 4月29日(金)01時29分3秒
返信・引用 編集済
   こちら
 下地図は、海面が7メートル上昇した大阪。
 上町台地が半島化し、八十島海が出現してます。
 

 

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