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一般頒布分製作できました

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月24日(金)00時11分1秒
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  > No.7563[元記事へ]

 今日は、《チャチャヤング・ショートショート・マガジン4号》の三刷分のコピーをしてきました。一般頒布分と献呈分です。
 そのうち、一般頒布分を、たったいま、完成させました。明日、発送致します。
 スマートレターですので、明後日にはお手元に届くと思います。
 ずいぶんお待たせしてしまいましたが、どうぞ、お楽しみに!

 
 

「骨が語る日本人の歴史」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月22日(水)22時28分45秒
返信・引用 編集済
   片山一道『骨が語る日本人の歴史』(ちくま新書、15)読了。

 面白かった。先日読んだ瀬川拓郎理論とは、ある意味真逆※な理論構成で、私自身は瀬川説に心服しているものでありますが、片山説は片山説として論理的で非常に魅力的、いや困ったなあ、という感じなのでした (^^;

 本書によると、3~5億年前旧石器人が、まだ大陸と地続きだった日本列島にやってきたのは、瀬川説と同じなんですが、瀬川説では出アフリカし、アメリカ大陸へ渡って行った、もっとも初期の人類の一派が、右折南下し、列島に到達したとします。本書では、そんな原理的なものではなく、ユーラシア大陸の東の果て、どん突きという地理的条件から、北からも西からも、出アフリカ後いくつもに分岐したそれぞれの人類 ―― というよりもそれぞれの形質を持つ人間が、吹きだまりにたまるように集まってきた、そこから先へは(海ですから)いけないわけで、いろんな人種の人間が、そこに滞留したとします。
 やがて温暖化し、日本海ができて日本列島となる。そこには多種多様な人類が、ちょっとずつたまっています(あるいは閉じ込められた)。しかも、新石器時代である縄文時代、海をわたってこれるような船はまだなく、結果として日本列島は孤島化、一種の鎖国状態となります。
 それが、縄文時代の一万年続くのです。その間に外からの流入はありませんから、多種多様な人類はミックスされて均一化されてしまう。それが縄文人である、というのが本書の観点です。
 この説は、縄文人が列島の南から北まで形質的にも文化的にも均一であることを説明できています。しかも、縄文人はその風貌がかなり特異で、周辺に似たような人類はおらず(アイヌには承け継がれています。それは稲作を受容せず生業形態がさほど変化しなかったからでしょう)、「人種の孤島」と、昔から系統関係が明らかでなく謎とされていたのですが、「縄文人はどこかから来たのではない、日本列島で一万年以上かけて日本列島の環境に
適合するようミックスされ、縄文人となった」と説明していて、なるほどなと納得してしまいます(瀬川説では、それを、もっとも初期の、分化する前の人類だから、系統が存在しない、むしろここから分化していった、と説明します)。
 本書の最大の特徴は、人間は想像以上に可塑的である、とすることで、その根拠は、戦後70年で日本人の形質はこんなに変ったではないか、というまさに否定できない事実に基づいているわけです。
 そこから、弥生文化の流入は、必ずしも人を伴わない、文化が受容されれば、それに伴って人間の形質は簡単に変化する、もちろん半島からの渡来人はいただろうが、埴原説のような大量の人口の流入は考える必要がない、となるのですね。
 面白いのは、文化と人間をセットにする埴原説が受容されるまでは、かく言う文化の受容は必ずしも人間を伴う必要がないという考え方が主流だったことです。片方が浮けば片方が沈む、その繰り返しであるのは、学問でも同じなんですねえ(いや決着がついたわけではもちろんありませんよ)(^^;
 そしてさらに面白いのは、弥生人流入征服説(断絶説)の埴原哲郎は東大、連続変化説を取る本書の著者は京大なのです。実は邪馬台国論争でも京大派は大和に邪馬台国があり、それがそのまま連続的に大和朝廷となった、と連続説ですし、東大派は九州に邪馬台国があり、東遷して大和地方を征服し大和朝廷となったとする断絶説。騎馬民族征服説の江上波夫はもちろん東大。
 学閥によって基本的な思考形態も伝統があるような気がしてきますね。

 注記。本書の説はちょっとネトウヨに言質を取られそうなので、追記しておきますが、著者はこうも述べています。
《「日本列島吹きだまり論」とは、日本の文物や風習はほとんど外世界からの借り物か漂着物であり、人間もたいていどこかからの流れ者の系譜に連なるのだという思考法である》
 日本人は単一の優秀な民族であるといったネトウヨのお題目とは真逆※の思考法なのです。念のため(^^;

※これまで「まぎゃく」と「まさか」を区別するため、まぎゃくを真逆とは書かず、ひらがな表記してきましたが、よく考えたら、「まさか」を「真逆」と漢字表記する人など見たことがありません。真逆で検索すればほとんど「まぎゃく」です。私も、まぎゃくという表現が一般化して初めて、まさかが「真逆」であることを知ったのでした。よくこれを取り上げて揶揄する人がいますが、まさに形式論理の極みですよね。ということで、今後はまぎゃくを真逆と記し、まさかはひらがな表記で統一したいと思います(^^;

 

Re: 下欄「再評価を」拝見

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月22日(水)02時11分11秒
返信・引用 編集済
  > No.7566[元記事へ]

 かんべさん

>力は尽きてへんどーっ(笑)
 おお!力強いお言葉(^^)
 下のまとめツイッター、私も昨日知ったものですが、衆知が集まったって印象で、なかなか鋭い考察もありますよね。この手のって人が集まりすぎて、程度の低い方へ引っ張られてしまうことも多いように思うのですが、このまとめはよい方へ機能していると思います。
 しかし何と言っても「かんべむさし待望感」が漲っているのがいいですよね。もともとかんべ・山田時代みたいなのがあったわけで、そこそこ大きな固定ファン層が潜在しているんだなということが、改めて感じられもしました。
 私も同感で、「再読かんべむさし」もいいですが、それと並行して「現在のかんべむさし」にしか書けないものを、散発的にではなく、そこそこの数をまとめて(もしくは連載で)読んでみたいという気持ちが強いです。
 もちろん、かんべさん的には準備万端「いつでも掛かっていらっしゃい」状態なんですから、あとはメディアだけの話で、このトゥギャッターに漲っているものを、メディアにも感じてほしいものです。
 ツイートの中に「あの頃の禅問答のような作品群」とありますが、それは当時の若い読者にとっての話(実は私もです)。彼らも今は壮年以上になっているわけで、当時は禅問答としか思えなかったかもしれませんが、今なら作者の意図についていけるようになっているのではないでしょうか。その辺もメディアは念頭に置いておいていいと思うのですよねえ。

 

下欄「再評価を」拝見

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2017年 2月21日(火)23時21分20秒
返信・引用
  こんなのがありましたか。自分で探したりはせんので、知りませんでした。
しかし、感想を書きだすと際限がなくなりますのでねえ。まあ、この先、
天運・地運・人運がみごとに上昇一致したとき、再評価も再活躍も
なされるでありましょう。なぜなら当方、勉強も用意も訓練も、忘れず怠けず、
つづけてるから。機を熟させてくれるのは、枝雀師匠のネタから借りれば、
「日頃念ずるビリケンさん」なのでございます。力は尽きてへんどーっ(笑)
 

「ビニール傘」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月21日(火)22時49分49秒
返信・引用 編集済
   岸政彦『ビニール傘』(新潮社、17)読了。面白かった。

 なんと、大阪小説でした。まず表題作(80枚の中篇)を読みました。
 冒頭、《此花、西九条、野田あたりは、昔はだれも住んでなくて、ちょっと雨が降るとすぐに水浸しになるような湿地帯だった》 って、平安時代の話ですか(笑) 福島の命名者は菅原道真だそうですけど。

 《ユニバと、そこを通り過ぎれば、大きな倉庫と工場が立ち並ぶ、工業港の風景が広がる。このあたりは昔は湿地帯で、だれも住んでいなかったらしい》 これはそのとおりですね。小野十三郎が『大阪』で描いたのが、そんな茫々たる大葦原の中に重化学工業の工場だけが建っている湾岸地区の荒廃した風景でした。

 二部構成で、一部が殊によいです(二部はちょっと説明的)。何人かの男が描かれているのですが、それがシームレスに描写の中で途切れなく入れ替わっていきます。結局一人なんでしょう。(現実と非現実もシームレスに入れ替わる。あるいは同時並在する)
 そのへんはコンデンスト・ノベルを彷彿とさせられました。最初ちょっと戸惑いますが、慣れてくるとそれがもわーーっとした効果を発揮してくることに気付かされます。
 その結果、元々汚い大阪の町が、バラード的な荒廃した超現実的ランズケープとして立ち上がってくるのですね。そこが大変よかった。なにはともあれ、大阪小説は泥世界小説なり、ということを再認識させられました(^^;

「背中の月」は40枚の短篇。これもよかった。どうやら表題作と同じ世界線の物語らしい。表題作の作中人物らしき女が出てきますし、なによりも「月光のさす穴」が同じ。
 主人公は妻をなくして次第にアパシーになり内的世界へ引き籠っていく(月光のさす穴)。その内的風景が、環状線野田駅-福島間の左側(外側)に見える廃屋の崩壊と重ね合わされる(今度環状線に乗ったとき確認しなければ。あ、そうか、もう更地になっていますね)。
 荒廃した大阪の風景とシームレスに入れ替わる、荒廃した内的風景が異様に美しい、なかなか完璧な短篇小説で、堪能しました。



 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月21日(火)19時02分3秒
返信・引用
 




 

第2弾分の製作完了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月20日(月)23時13分52秒
返信・引用
  > No.7556[元記事へ]

 チャチャヤング・ショートショート・マガジン4号の第2弾分、実は完成させては五月雨式に発送していたのですが、最後の5冊が今日完成しました。明日発送します。
 ひきつづき、第3弾に着手します。第3弾は一般受注分と献呈分で、やはり12~13冊でしょうか。予定としてはそれを週末に仕上げて(こちらも五月雨式に発送していきます)、いよいよインターネット公開!
 先にネット公開を告知したので、今回は一般受注が少ないです。でも作製者としては随分ラクになりました。いやそのためにネット公開というのを思いついたわけなのでした。
 実は、ネット上のプラットホームもすでに完成していて、いつでもいらっしゃい状態(^^; こちらもどうぞご注目くださいね!
        ↓クリックで拡大
 

講座「横溝正史の作品の魅力、そして神戸との関わり」

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月20日(月)17時17分1秒
返信・引用
 

   おお、野村恒彦さんじゃないですか!(^^)
         






          詳細はこちら

 

Re:     

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月20日(月)16時59分22秒
返信・引用
  > No.7560[元記事へ]

 ネトウヨの実体のない安直な形式論理の例。いくらでも見つけられます(ーー;

 元ツイート
 元ツイート

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月20日(月)00時34分31秒
返信・引用 編集済
   

 これ、ちょっとネタ臭いのですが、とりあえずそれは措いておいて、付けられたコメントが興味深いので、ご紹介します。

 元ツイート

>お札に文字書くのは当然犯罪ですね。お金に手を加えてはいけません。
 と言うのはそのとおりなんですが、この文脈でそれを言うことについては、私はある種の違和感を感じるのですね。
 端的に言えば、KYなんです(だから次のコメント者がキレているわけです)。
 遵法精神にとんでいるといえば聞こえがいいですが、そうではなくて、「外在的」なんです。客観的とはちょっと違う。当該の事実に対する価値論的な(内在的)判断がすっぽり抜けている。ただ単に法に則っているか否かということだけしかみていない(その時点で、すでに当該コメントの土俵からはずれている)。
 実はこの手の人は、ある一定数存在します。
 ナチスは合法的に政権を取ったというのは、この論理ですね。ネトウヨがこれをよく言っています。でも合法的な状況を作り出すためにどれだけ非合法なことをしたかが抜け落ちている。ふつうはそこまで幅をひろげて、全体的な価値判断を下します。その場合、上記の合法性は全体の非合法性の中に解消されるのです。ネトウの論理は形式論理であって実体を反映していません。
 逆に革命時、「旧価値」(その人にとってはアプリオリに存在した諸価値が絶対視される)に与して、結果的に反革命に利するのもこの人達です。想像力が届かない人たちなんですね。
 実は科学的思考の根本にある姿勢と、意外に近い。というか根は同じです(上では客観的とは少し違うといいましたけれども)。
 ちょっと飛びますが、科学者と自閉的性格やアスペルガー的性格は相性が良いのです。
 上記のグループは、ですから科学的思考を日常生活/思考に、不用意に持ち込む人々、とも、粗っぽく言えば言えそうです。
 それが証拠に、「訂正のリプ多謝です」と、間違いを改むるに全然憚るところがありません。で、
>対応が大人すぎww
 と笑われています。
 じつはこれも、自己の思考に「価値観」が含まれてないからできるのです。外的観察はできるが、それが内的にいかなる意味を含んでいるかの考察が苦手。偏見ですが、このような人は、小説は読めても詩や歌の鑑賞は苦手だと思います。
 結局対象の内面へ想像的に肉薄する共感作用に難がある。
 でんでん内閣がどんどん醜態を晒していますが、法的に何も問題はないと(表面的な)辻褄を合わされてしまえば、それを許容してしまう。
 そういえば、コメント欄の最初の方でも、
>こんなカネに落書きするヒマがあるならさっさと自分で出るところに出たらいいのに
 というコメントに対して、
>1分も掛からないのでは?
 といなされていますね。これは形式至上主義に対する鋭い批判になっています。
 このように論理に実感(経験値)が伴ってないのもこの人達です。おそらく実生活でも形式的なんだろうなと想像してしまいます。

 そういえばまた話が飛びますが、KY(発音記号[ke-wai]とAI(発音記号[e-ai]は似てますよね。KYから死因もとい子音を抜けばAIじゃないですか。
 実はこれ、『AIと人類は共存できるか』の早瀬耕「眠れぬ夜のスクリーニング」を読んでいて思いついたアイデアなのですが(笑)、としますとアンドロイドがふつうにいる未来では、かれらは体制に奉仕する反革命の前衛軍となっているかも。 いやいや、アンドロイドは据え置き式のコンピュータにいるAI(たとえばSQ1)とは違って可動的(経験的存在)ですから、一概には言えないのかな。
 うーん。まとまりのない話になってしまいましたm(__)m
 


    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月19日(日)01時56分17秒
返信・引用
 
元ツイート

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月18日(土)22時26分32秒
返信・引用
   元記事

 

Re: 第2弾分の製作開始

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月18日(土)22時07分1秒
返信・引用
  > No.7555[元記事へ]

 今日は、2刷分14冊の本体部分を製作しました。

 

 明日、表紙を付けて三方カットして完成ですが、発送までは無理そう。月曜日になりますね。

 といいつつ、2冊完成させました(^^;。

 

 それはそうと、以前、大阪府立図書館のWeb複写サービスで入手した「吹きわたる風」が紙の山の下から出てきました。
 新聞の切り抜きにしろ、こまめにする方なんですが、使ったら使いっ放しの片付けができない性格ゆえ、大抵散逸させてしまうんですね。今日はこんなタイミングだったので、ついでに冊子化してしまいました。これで安心。

 
 

 あ、タイトルを間違えた!

 

第2弾分の製作開始

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月17日(金)22時45分48秒
返信・引用
   とりあえず1冊完成。



 うむ。なかなかの出来。今回、何かと振り回された新型機ですが、さすがにズレが殆どありません。頁によって高さや左右が極端に違っているのを、これまではどうしようもなかったのですが、これなら文句なしです。新型機はやはり新型機ですね。

 

AIの呪い

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月16日(木)21時13分3秒
返信・引用 編集済
   本日、再コピーしてきました。
 ところがまた最新鋭機を指定されてしまった。
 大丈夫かいな、と恐る恐る運転させたのですが、案の定、反古紙が大量発生。いや、今日は私のミスなんですが、この機械、途中でストップできないのです(方法を知らないだけ?)。
 しかしまあ、どうにかこうにか揃いましたので、作業再開――
 と思いきや……
 かーぜをひいちゃいました(ーー;
 熱があるようで、いま室温30度ですが、丁度よい。25度以下になると、鼻水が大量に流れ出します(すでに屑籠からはティッシュがあふれんばかり)。
 今日はもう安静にしていましょう。読みかけで止まっている『骨が語る日本人の歴史』(ちくま新書)か、山浦玄嗣『ホルケウ英雄伝』を読みはじめるか。Youtubeを聴くか。
 『ホルケウ英雄伝』は、ケセン語を提唱している著者による、エミシの若者が主人公の英雄譚。古代エミシ語がふんだんに出てきそうで楽しみ(^^)
 (後記。けっきょく最後のになった。風邪薬を飲んだらだいぶ楽になりました)
 

AIに振り回される

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月15日(水)23時45分7秒
返信・引用
   今日は第2刷り分のコピーをしてきました。
 新品の、いかにも最新鋭という感じのピカピカのコピー機の当たって、これはきれいに印刷できるぞと思って喜んでいたところ、たしかに、古い機械であった初版のようなカスレやインク飛びもなかった。

 私は、少しでも製作費を浮かそうと、いわゆる丁取りで、版下をセロテープで貼り合わせて両面8ページ分を一枚の用紙に印刷しているのですが、ところが、今、切り分けていて愕然。表裏が無茶苦茶に印刷されているではないですか。
 本来(表) 1p 3p 5p         1p 2p 4p
    ―― ―― ―― ―― となるべきが ―― ―― ――
   (裏) 2p 4p 6p       6p 3p 5p
 みたいに印字されていたのです。いや全部ではなく、150ページのうち24ページ分なんですが、それ以外にも、片面印刷しかなされていないのが大量に吐き出されて、えらいロスだったのです。
 それはリアルタイムで把握していて、再設定しては正しいコピーを作ったんですが、上記のオモテウラが無茶苦茶なのは、帰宅してからしか気がつけなかったわけで、明日その分をまたコピーしに行かなければならないのでした。
 こんなエラーは、素朴な機械ならありえないはずです。AIならではのエラーといえるのではないでしょうか。
 明日再コピーしてこなければ、次の工程に行けないわけで、AIのおかげで完成が一日遅れそうです(ーー;

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月12日(日)20時54分59秒
返信・引用
 
元ツイート
 

チャチャヤング・ショートショート・マガジン4号(通巻6号)ご注文承ります

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月12日(日)18時53分12秒
返信・引用 編集済
  > No.7550[元記事へ]

 追記。
 引き続き第二弾として、非寄稿者分と寄稿者追加注文分に着手。第三弾で贈呈分と一般頒布分に取り掛かる予定です。
 一般頒布分は、ですから2週間ほど先になりますが、よろしければ、本掲示板の一番下の「管理者へメール」ボタンからご注文いただけたらと思います。
 なお、頒価は本体1冊500円(2冊まで送料180円)と従来どおりです。よろしくお願いします。

追記。今号よりネット公開を正式に開始します。閲覧無料ですので、読むだけなら購入して頂く必要はありません。手作り同人誌に興味のある方はご注文下さい(^^)
 

チャチャヤング・ショートショート・マガジン4号(通巻6号)発送しました

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月12日(日)18時44分53秒
返信・引用
  > No.7547[元記事へ]

 本日発送しました!(^^)
 実は予定よりも少し早く、昨日の夕方に初回分の製作が完了したのです。
 で、あ、今日は土曜だから、本局ならまだいけると、大急ぎでスマートレターに封入し、本局へと走ったのでしたが、土曜は土曜でも祝日の土曜は日曜と同じ扱いで、15時までだった。最近は祝日も日曜も「休日」に統一されているのですね(昔からそうでしたっけ)。

 そして今朝、目が覚めてまず呟いたのが、「スマートレターはポスト投函できるんやった!」。
 そんな当たり前のことを、スマートレターを使うのは一年ぶりということで、昨日の時点ではすっかり失念し勘違いしていたのです。噫。
 ところが無意識はちゃんと覚えていて、就眠中に伝達してくれたわけですね。無意識賢い。でも残念なことに、無意識が意識に働きかけられるのは、夢の通路を介してしかないみたいで、それで私も、目が覚めて初めてその事実を知った次第。ガーン!!
 もっとも、たとえ昨日中に気づいたとしても、昨日の集配は日曜と同じ休日扱いなので、けっきょく今日の発送に回されたと思います。
 まあ、一日遅れたわけではなく、予定どおりに戻っただけなので、問題ないですね(>おい)(^^;。

 

眉村さん情報:朝日新聞書評

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月11日(土)22時38分39秒
返信・引用
 
元記事

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月11日(土)19時51分25秒
返信・引用
  元ブログ
 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン4号(通巻6号)着々製作中

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月10日(金)22時50分37秒
返信・引用 編集済
  > No.7545[元記事へ]

 今日は水色3冊製作しました。残り4冊(^^)
 あ、画像の左端の真っ黄色は、全体の確認のために作った試作品です。

 
 

「機械の精神分析医」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月10日(金)01時31分0秒
返信・引用 編集済
   岡本俊弥「機械の精神分析医」を読みました。『AIと人類は共存できるか』に収録されていても不思議ではない話で、わたし的になかなかタイムリーでした。
(人間が遠隔操作するのではなく)自分で判断して任務を遂行する、そしてメンテナンスまで自分でする無人軍用機。その部品の一つであるボルトが、主人公によって観察され推論される対象物です(主人公を視者/話者とするならこっちが主人公となりますね)。
 と書けば、ロボット軍用機を想起されるかもしれません。昔のSF漫画などによく見かけるそれは、人間の脳みたいな、統括する主観をもつものでした。
 本篇のそれはそうではない。軍用機を構成するすべての部品にごく単純なAIが搭載されていて、その範囲内で自ら判断する、それが連鎖的に共働して一個のシステムとなっているのです。機械に「知能」があるわけではないのです。
 これって、『AIと人類は共存できるか』所収の栗原聡「人を超える人工知能はいかにして生まれるのか?」の(トップダウン型に対する)ボトムアップ型のネットワークですね。
 そしてその(機械の)ネットワークの判断は、人間の知覚・認識構造とは別次元、いわばブラックボックスなんですね。
 本篇は上記の最新型無人機が事故で墜落、「機械の精神分析医」である「ぼく」によって、一本のごく基礎的なボルトのその形状ゆえに100年前の寓話と(機械ゆえの深層学習的な判断で)同一視され、それがボトムアップのネットワークを伝って最終的に「自損」に至ったことを解明するという、まさに近未来にリアルに想定されうるミステリ的なストーリーです。
 この100年前の寓話って、たぶん何かを踏まえているんでしょうけど、最近のSFに疎いせいか、私には分かりませんでした。

 ところで、「機械にいわゆる「知能」があるわけではない。膨大な量のパターンから、答えを選び出し、組み合わせているだけなのだ」は、人間もやっているように思います。
 もちろん作者もおさおさ怠りなく、「人間も単なる自動機械で、知能など持っていないという考え方もある」と先手を打ってくれているのですが、そこまで根源的な話ではなくても、気候の挨拶や電話の応対のような、定型的な会話や行動はまさにそれですよね。
 そしてそれは社会的な経験量と相関していて、社会的経験の乏しい学生はそれがなかなかうまくできなかったりするわけで、私も覚えがあります。
 話は飛ぶのですが、ツイッターで、たとえば「いつもお世話になります、○○社の△△ですって言われたけど、初対面だよ、お世話なんかしてないよ」などと毒づくツイートをたまに見かけるのですが、社会に出たら3年で無意識にできるようになるんだけどなあ、とそういうツイートを見るたびに呟いてしまうんですよねえ。ツイッターは有用ですが、いらいらするツールでもあるのですね。

 などと言ったことも含めて、岡本さんの一連の小説はそういうことを色々考えさせられるので、実に触発的で面白いです。

 

チャチャヤング・ショートショート・マガジン4号(通巻6号)着々製作中

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月 9日(木)21時38分41秒
返信・引用 編集済
   本日5冊完成しました。昨日と今日で7冊。これで第一弾の半分済となります。明日と明後日で残り7冊。
 余裕で日曜日に発送できそうです(^^)
 

 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン4号製作開始

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月 9日(木)00時55分29秒
返信・引用 編集済
  > No.7540[元記事へ]

 とりあえず、2冊完成させました。
 
 

 まず、青い方(水色)を作ったんですが、表紙と背表紙のバランスが若干ずれていましたので、版下を修正し、黄色(クリーム色)を作りました。バッチリですね。
 ところで皆さんは、あの水色のが当たったらどうしよう、と、どきどきされたのではないでしょうか。ご安心下さい。青はわたし分として引き受けますので(^^;。
 まあ今日は半分以上忘れてしまっている手順を思い出しながらの一種の暖機運転。明日から本番という感じですね。木金土で残り製作し、日曜には発送という段取りです。お楽しみにお待ち下さいね(^^)

 

「AIと人類は共存できるか」

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月 7日(火)21時55分3秒
返信・引用 編集済
   『AIと人類は共存できるか』というオリジナルアンソロジーに取り掛かり、順調に読み進めていたのですが、はたと目が止まってしまいました。
 またしてもあの方の作品ですがな。「仕事がいつまで経っても終わらない件」。
 この前読んだ『Visions』所収の中篇はさほど気にならず、内容も面白く、それなりに精進されているのだなあと思っていたのですが……
 今回はひどい。2頁目で引っかかる。

《大味総理は、首相官邸で突然ポン菓子を食べ始めた老人を、ぼんやり眺める。官邸にヘルパーを入れて介護するのは史上初だった気がした》
 この「気がした」、私は違和感を感じました。いや言わんとするニュアンスは分りますよ。でも「気がした」は違うと思うのです。語の選択を間違っているのではないでしょうか。私なら「史上初だった」と断定するか、もしくは「史上初だったはずだ」とします。

《選挙制度が小選挙区制になってから、党の意向は強く議員を縛っている》
 細かいかもしれませんが、気になり始めた目にはひっかかってきました。私なら、
「選挙制度が小選挙区制になってから、党の意向に、議員たちは強く縛られている」

だから、国民投票を真剣に検討された》
(文脈から「された」は尊敬語じゃないんだから)
「だから、国民投票真剣に検討された」

 極めつきはこれ↓
《国民が自主性を持とうとする流れの中、国民による自主的な手続きの結果とできるか怪しかった基本ルールを改める動きが出るケースは多い》
??? もはや何を言っているのかぜんぜんわかりません(ーー;

(憲法改正については)《結党から80年以上、党員の大部分が触りたくない時代が続いたが》
「結党から80年以上、党員の大部分が触れたくない時代が続いたが」
「その話には触(ふ)れたくない」とはいえても「その話には触(さわ)りたくない」とはいわんでしょう。「触れる」を「触わる」と記述する例はどんどん出てくるので、著者の口癖なんでしょうね。でもそれは著者の口癖でしかなく、公共的ないわゆる「小説の文章」には不適切。

《国民投票を行い二分の一を超えた賛成を得て、ようやく国民の承認を得たとできる》
 これも大雑把な表現。
「国民投票を行い二分の一を超え賛成を得て、はじめて国民の承認を得たということができる」

《国民投票の結果は、公には官報で告知するとともに、総務大臣を通じて内閣総理大臣に通知される》
「国民投票の結果は、公には官報で告知されるとともに、総務大臣を通じて内閣総理大臣に通知される」
 細かいですが。これなどはチェックモードに入ってなかったら見過ごしたかも。

《まだ三十代で、資料を通して知る戦前社会を賛美し、大扶桑会議内で日本文化勉強会を主宰している》
「まだ三十代で、資料を通してしか知らない(もしくは資料を通して知った)戦前社会を賛美し、大扶桑会議内で日本文化勉強会を主宰している」

《憲法改正議連に詰め寄られて、大味は逃げられないことを悟った》
「憲法改正議連に詰め寄られて、大味は、もはや逃げられないと覚悟した

《国民投票に勝ち筋が見えないため、これに深く関わる人材が限られた》
「国民投票に勝ち筋が見えないため、これに深く関わろうとする人材は少かった

《穏健でまっとうな人々は、キャリアと人生のすべてをかけてギャンブルなどするだろうか》
 キャリアはかけても人生のすべてをかけてはいいすぎでしょう。
「穏健でまっとうな人々は、これまで培ってきたキャリアを失う可能性をかけてまで、ギャンブルに手を染めたりするだろうか

《政治談義は飲み屋やネット上ですると楽しい。政治運動家や引退した政治家にとって、それはアイデンティティだろう。だが選挙で勝つのが仕事の議員にとっては別だ》
 「アイデンティティ」に付属的な意味を詰め込みすぎ。一般的には通用しないのでは?
「政治談義は飲み屋やネット上でする分には楽しいだろう。政治運動家や引退した政治家が何の縛りもなしに自説を開陳するのも。だが選挙で勝つのが仕事の議員にとってはそうはいかない

《「閣下が腑抜けどもの非協力を乗り越え、本懐をとげるため、全身全霊を尽くす所存であります」長岡が盛り上がりはじめていた》
「閣下が腑抜けどもの抵抗非協力を敢然と排除し、本懐をお遂げになられますよう、全身全霊を尽くす所存であります」長岡はおのれの言葉に陶酔していた

 写し疲れたので、これくらいにしましょう。ここまででわずか10ページ足らず。この調子であと40頁続くのです(ーー;
 いやまあ、私の修正にはみなさん異論があるかもしれませんが(もちろんおありでしょう)、何はともあれ、少なくとも文章に対する感性が大味すぎるとは、言わざるを得ないと思います。大味総理だけに(>おい)(^^;
 もちろん次々に浮かんでくる物語を細大漏らさず摑まえようと熱くなって打鍵した初稿なら、これ位当然です。しかし、だったら冷静になってから推敲しようよという話。

 ということで本篇、内容は面白そうなのですが、いちいち引っかかって通読は不可能と読むのを諦めました(そもそもこの作家とは相性が悪そうです)。アンソロジー自体も読書意欲に水をさされたので、中断することにします。気が向いたら再開します。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月 7日(火)18時59分31秒
返信・引用
  .  

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月 7日(火)01時20分50秒
返信・引用 編集済
  元ツイート

 たしかに。右の人は変化を恐れる人たちなんでしょう。今貧窮していたら、普通はもっとよくなろうと変化を求めるものですが、かれらはそう考えない。たとえ貧窮していたとしても、少なくとも食ってはいけている。でも世界が激変したらもっと悪い状況になるかもしれないじゃないか。だったら今のままでいい。そう考える人たちですね。世界に対して後ろ向き。期待よりも恐怖が勝ってしまう。つまり結局、自分に自信がないから、周囲に恐怖と憎悪の壁を作って身構えてしまう。まさに小心翼々たる小市民とはよくいったものだと思いますね。

 

チャチャヤング・ショートショート・マガジン4号製作開始

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月 6日(月)22時10分39秒
返信・引用 編集済
   とっくに原稿が集まっているにも関わらず、私の個人的事情で中断していました《チャチャヤング・ショートショート・マガジン4号》ですが、ようやく製作に入りました。昨日版下が完成し、今日、コピー屋さんでコピーしてきました。とりあえず待ちくたびれておられるに違いない寄稿者優先で、7名x2部=14冊分コピーしました(非寄稿者分と寄稿者追加注文分は第2弾とさせていただきます)。
 今週中に製本し、早ければ週末には発送したいと思います。
 なお、表紙の色はこの二種類にしました。わかりにくいですがパイロット版より薄い色になっています。
     ↓クリックで拡大
 

ジグソーハウスさん

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月 4日(土)21時33分47秒
返信・引用
  ツイート元  

Re: 「アイヌ学入門」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月 4日(土)01時12分8秒
返信・引用
  > No.7537[元記事へ]

 平谷さん
>すっかり忘れています
 ですねえ。ちょっと気の利いたことを思いついたような記憶だけあったのですが。
 関係のありそうなネット情報にあたってみましたけど、全く甦ってきません。てことは結局、そんなに大したアイデアではなかったのでしょう(ーー;
 いやお騒がせしましたm(__)m

 

Re: 「アイヌ学入門」読了

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2017年 2月 4日(土)00時07分18秒
返信・引用
  > No.7534[元記事へ]

管理人さま

ああ……。そういうお話をしたような……。すっかり忘れています。
山の神は春に田んぼに降りて来て、秋に山に帰りますからねぇ。
秦氏との関わりなら、オオヤマツミとかオオヤマクイの話でしたでしょうか……。
すみません(汗)
 

新・虎よ、虎よ!

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月 3日(金)22時49分54秒
返信・引用 編集済
  > No.7535[元記事へ]

 富豪の経営者が共同経営者の奸計に嵌まり、強制凍眠させられ無人慣性カーゴに押し込められて深宇宙へ射出される。
 無人カーゴなので遠心重力発生機能はない。男は無重力状態のまま何百年も眠っているのだが、凍眠しているからといって脳に働く無重力の影響は時間経過に比例する。
 五百年過ぎたとき、突如男の脳は無重力の影響で変容し、目覚める。
 五百年の無重力は男の筋力を完全に萎縮せしめていた。しかし男は唯脳的スーパー存在となっており、その脳には桁外れのパワーが宿っていた。
 男は復讐に燃えて、脳力で地球に向けてカーゴを戻させる。
 それは不思議な過程であった。
 船はバックしていたのだ。と同時に時間経過もバックしているのだった。
 つまり男は、フィルムを逆回しするように五百年かけて五百年前の原点に回帰しつつあった。
 それは外的には、カーゴが五百年かけて地球から遠ざかる行程なのだが、それは同時に、男にすれば五百年かけて地球に向かってバックする行程だった。

 男が地球に帰ってきたのは、だからカーゴが出発するその瞬間であり、憎むべき共同経営者は、カーゴを出発させる直前に、帰ってきたところの手足萎えて脳力だけで生きている男によって殺されてしまったのであった。デン、デン!

 

アステロイド帯独立す!?

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月 3日(金)17時28分32秒
返信・引用
 

 うーむ。戦後のSFでは、放射能が進化を促して新人類を生むというパターンでしたが(『弥勒戦争』もそうでしたね)、今後は長期宇宙滞在者から新人類が生まれるというのが主流になるかも。
 《アステロイド帯諸都市が突如統一され、地球連邦に反旗を翻す。その背後に謎の人物の翳が……》といった風に。谷甲州の動向に注目ですな(>おい)(^^;

 

Re: 「アイヌ学入門」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月 3日(金)00時24分41秒
返信・引用
  > No.7533[元記事へ]

 平谷さん
 ああ、
>奥州藤原氏と北海道の関係が「具体的」に論じられたことは、これまで殆どなかったとのことなので
 は、
>奥州藤原氏と北海道の関係が「学問的」に論じられたことは、これまで殆どなかったとのことなので
 という意味だと思います。

>義経一行=悪者というものも多く
 たしかに本書でも、「北海随筆」に、義経が大王の娘と通じ、大王が秘蔵する巻物を盗んで逃げた、というユーカラが採録されていると記述されていますね(笑)。

 ところで本書には、山の神信仰について、山の神には狩猟民の文化と農耕民の文化の2つの要素が認められるとあって、そう言えば確か、かなり以前に同じような話を平谷さんとしたことがあったなと思いだしたのですが、ちょっと見つけられませんでした。メールでしたっけ。秦氏を引き合いに出したと思うのですが、もう覚えておられませんでしょうか。

 

Re: 「アイヌ学入門」読了

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2017年 2月 3日(金)00時08分42秒
返信・引用
  管理人さま
頼朝軍から逃れた平泉藤原氏が蝦夷地に渡った話は、「義経北行伝説」に付随して、よく語られます。
現在北海道には、藤原忠衡の子孫と名乗る方もいらしたんじゃなかったかな……。
義経=オキクルミも北行伝説を信じる人たちには有名な話です。
ただ、アイヌに伝わる義経伝説は、義経一行=悪者というものも多く、
義経一行を偽った連中が悪さして歩いたからだという説もあったりします(笑)
 

「アイヌ学入門」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月 2日(木)23時47分55秒
返信・引用 編集済
  > No.7526[元記事へ]

 瀬川拓郎『アイヌ学入門』(講談社現代新書、15)読了。

 本書も刺激的な内容で面白かった。今日読んだ部分(本書の後半)では、奥州藤原氏が北海道に進出していたという考察(仮説?)が大変興味深く、いろいろ触発させられるところがありました。
 藤原氏は金の獲得のため、苫小牧市東隣の厚真町に、平泉から移住者を送り込んでいたというのです。これって、平谷さんの『義経になった男』に描かれていましたよね。奥州藤原氏と北海道の関係が具体的に論じられたことは、これまで殆どなかったとのことなので、平谷さんの慧眼にもびっくり。
 『義経になった男』では義経は北海道に渡るのですが、本書によれば、現実のアイヌたちの間でも、義経北行伝説は強く行き渡っていて、なんとアイヌの始祖神であるオキクルミと義経が同一視されたりしていたのですね。これなども、本書にはありませんが、藤原氏とアイヌの間に濃密な関係があったことを想定したくなりますね。
 アイヌの義経伝説は、どうやら日本の「御伽草子」の中の一篇「御曹子島渡」がベースになっているらしいのですが、著者によれば、17世紀シャクシャインの戦いに日本から渡った金掘りがアイヌ側に付いたため、戦後金掘りたちの北海道渡りを制限したという史実があり、彼らが「御曹子島渡」の物語をアイヌに伝えたのではないかと考えています。
 しかし私は、たしかに御伽草子の成立は鎌倉末期以降で、奥州藤原氏とは時代が違うのですが、実際、義経(というかその影武者)は北海道に渡って、暫くは厚真に留まっていたか、もしくはそこで生涯を閉じた事実があり、それが記憶として残っていたからこそ、のちに「御曹子島渡」の物語が受容されたのではないか、と考えたい(笑)。

 ところで、「御曹子島渡」のストーリーですが、義経が源氏再興のため蝦夷ヶ島の大王が持つ兵法書を手に入れようと平泉を発ち、途中、「小さ子島」(小人の島)、「女護の島」(アマゾネスの島)、「馬人島」(上半身馬、下半身人間)、「はだか島」など、奇怪な島々をへめぐるというものだそうです(アイヌたちは千島列島をイメージしていたようです)。
 一読、へ? と思いました。なんか「ガリバー旅行記」みたいではないですか。
 実は「小さ子島」のエピソードの中に、プリニウス「博物誌」と似た記述があるのです。著者は中国経由でそれがアイヌに伝わった可能性を指摘しています。
 で、私は思ったのですが、「ガリバー旅行記」は18世紀前半の小説。もしかしたら「御曹子島渡」が中国経由かイスラム経由か、あるいはスペイン人かポルトガル人の手によってか、はたまたイギリス人によって直接、アイルランドにまで伝わっていて、スイフトはそれを参照にした可能性はないのでしょうか(^^;
 だって「博物誌」が東へ伝わってきたのですから、「御曹子島渡」が西へ伝わっていったと考えたって、あながちありえないことではなさそうにも思えるのですよねー(^^ゞ

 追記。現代編はいろいろ考えさせられた。アイヌ問題は大阪の同和問題と基本構造は同じかも。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月 2日(木)18時09分27秒
返信・引用
 
 

Re: でんでん

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月 2日(木)01時34分53秒
返信・引用 編集済
  > No.7529[元記事へ]

 まあ、飲むときは飲むべきだし、飲んでしまいますよね。それでいいのではないでしょうか(>と、なぜか眉村風)(笑)
 おさむちゃんと言えば、私は「青春の蹉跌」や「アフリカの光」の頃のがけっこう好きでした。そういえば両作品とも桃井かおりが出ていて、桃井かおりも好きだったのですが、当時なんとなくこの二人はセットで認識していました。どこか共通する雰囲気があると思います(「前略おふくろ様」でも共演していましたよね)。
 前々から、もう一度観たいものだと思っているのですが、なぜかDVDになっていない。当時はそこそこヒットしていたように記憶してるのですが、評価が低かったんでしょうかねえ。いま見たら、がっかりするんでしょうか(^^;

 

Re: でんでん

 投稿者:武藤  投稿日:2017年 2月 1日(水)23時22分46秒
返信・引用
  > No.7527[元記事へ]

>  それはそうと、飲み過ぎにはご用心(^^;
あは、ありがとうございます。
今週は3日間、アルコールを抜いております。
2月後半の健康診断までには間に合いますように

>  しかも速記録からはこっそり削除しているんだそうで、あったことを簡単にないことにしてしまうその軽々しさが情けないですね。
>  ネトウヨの捏造体質と共通するものを感じてしまいました。
本当にやり放題ですね。
卑怯は体質は確かにネトウヨ体質ですな。

http://blog.livedoor.jp/mutoh1go/archives/52208583.html

 

ネトウあほ列伝

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月 1日(水)22時25分39秒
返信・引用
   ここにもひとり。
 元ツイート

 

Re: でんでん

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月31日(火)23時50分9秒
返信・引用
  > No.7525[元記事へ]

武藤さん、お久しぶりです。
 「でんでん」て、いくら棒読みでも、発声した瞬間、おかしいと気づかなかったんでしょうか。まさか「うんぬん」という言葉自体知らなかった?
 しかも速記録からはこっそり削除しているんだそうで、あったことを簡単にないことにしてしまうその軽々しさが情けないですね。
 ネトウヨの捏造体質と共通するものを感じてしまいました。

 それはそうと、飲み過ぎにはご用心(^^;

 

「アイヌ学入門」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月31日(火)23時20分38秒
返信・引用 編集済
   瀬川拓郎『アイヌ学入門』(講談社現代新書、15)に着手。150頁まで。
 本書を読んでいて、少し認識を変えました。
 アイヌと東北の蝦夷(少なくとも荒蝦夷)は、基本的に同じ民族と考えていましたが、どうやらそうではなさそうです。
 東北にはアイヌ語由来の地名が残っていて、これは蝦夷の言葉がアイヌ語と同じだからで、アイヌ語っぽい地名があるのは当然という認識でした。(アイヌ語と日本語(弥生語)は全く違う別系統の言語というのも改めて認識した)
(以下は本書に触発されていますが、本書にそう記述されているわけではありません。念のため)。
 著者は、蝦夷は和人であるとします。
 弥生人が東北まで北上し、東北にいた縄文人を吸収した。狩猟採集の縄文人の人口はきわめて希薄で、狩猟採集の何十倍も人口保持力がある稲作の弥生人の人口と比べれば桁外れに少数だった。縄文晩期には、本州以南で7万人程度だった。
 一方日本に侵入した弥生人は、埴原和郎は100万単位といっています。そこまで多くはなくとも、稲作による人口爆発で、事実上瞬く間にその程度の人口になった。
 清朝を建国した満州人は非農耕民で人口希薄でしたから、広大な中国経営のため、大半の満州人を中国各地に送り込まねばならず、そのため本拠地である満州が真空状態になってしまいました。それで満州への他民族の流入を禁止していたのですが、清朝が弱体化し権威も権力もなくなると、あっというまに中国人が満州になだれ込み、満州人は、なんと本拠地の満州で少数民族になってしまいました。
 それと同じようなことが縄文人と弥生人の間で起きたのですね。
 ですから東北の蝦夷も、実質的には弥生人で、それに多少他地域よりは縄文人の血の割合が濃いという程度だったようです。
 その前に、縄文人は晩期に7万人といいましたが、最盛期には30万近くいたようです。
 ところが中期以降気候変動による植生の変化で縄文人の狩猟採集の場だった落葉広葉樹林帯が西日本から姿を消したのと、九州で火山の大噴火(破局噴火)があり、晩期には西日本はほぼ無人地帯になっていたのです(九州は全滅)。ですから7万人というのは実質東日本の人口です。
 弥生人は、まずその無人地帯の西日本に侵入したわけですから、西日本人はほぼ朝鮮半島の弥生人100パーセントな人々だった。
 そして関東以北に侵攻した弥生人は、圧倒的な人口差で縄文人を吸収した。
 ですから蝦夷の言語(文法)は弥生語つまり日本語だったんですね(単語は縄文語が残った)。
 蝦夷とは、東北に残ったアイヌではなく、西日本の純粋弥生人から見て、混血した東北弥生人を蔑んだというか、一種異人と認識した蔑称だったのではないでしょうか。(とはいえアテルイなんてどう考えても和人の名前ではないので、やはり荒蝦夷はアイヌだったのではないかなと思いたい)

 さて、東北のアイヌ地名に戻しますと、実は4世紀に一種の小氷期が起きます。世界史的にはフン族の侵入ゲルマン大移動を引き起こしましたが、日本では東北も稲作不適地となり、稲作民である和人(蝦夷)が南へ退く。その空白地帯にアイヌが北海道からやってきて占めたのです。東北のアイヌ地名はそのときの残存のようです。(川をあらわすナイとペツという2つのアイヌ語から導かれるその考証は理路整然として明快で、納得させられます)
 ところでアイヌはこのように南へ進出しましたが、逆にサハリンからオホーツク人(現在のニブフ)が南下してき、アイヌ人は道北から撤退しているのですね。
 そして8世紀(奈良時代)に再び温暖化すると、和人の北上→アイヌの北海道への撤退→オホーツク人のサハリン撤退が連動する。世界史的にはアイスランド、グリーンランドにヨーロッパ人の入植が始まるのが9世紀です。
 北海道という局所的な歴史の動向も、世界史規模の動向に対応しているのですねえ。

 

Re: でんでん

 投稿者:武藤  投稿日:2017年 1月31日(火)22時35分58秒
返信・引用
  > No.7513[元記事へ]

お久しぶりです。武藤です。
よりによって「でんでん」とは・・・あきれの果ても尽き果てました。(ムーミンのスノーク風に)
本当は役人の書いた文章を読み上げるだけ(読めなかったけれど)の体たらく首相を怒るべきなんでしょうが。

役者のでんでんは大迷惑だったことでしょう。

http://blog.livedoor.jp/mutoh1go/archives/52207929.html

 

     神樂坂

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月31日(火)02時17分53秒
返信・引用 編集済
 


神樂坂は夕暮れどきから馬車一切が通行止になる。
それで夏の強い陽射しの名殘りが夜空をまだ藍いろに彩つてゐる下へ
人工の燈りが妍を競ふやうになると、
そのはざまを團扇を手にした浴衣がけの人人が我物顏でのし歩き始める。
薄闇がちらちらする中で、その光景は潤んで蕩け出しさうである。

――西秋生「神樂坂隧道」――




元記事


 

「アイヌと縄文」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月29日(日)23時54分11秒
返信・引用 編集済
   瀬川拓郎『アイヌと縄文――もうひとつの日本の歴史』(ちくま新書、16)読了。

 《金子快之・札幌市議が落選 「アイヌ民族、いまはもういない」発言で自民を除名》


 この金子快之前市議の発言を覚えていますか? もう3年以上前になるんですね。
 金子氏の主張が、金子氏のHPに掲載されていました。以下です。

      ――――――      ――――――      ――――――

 
      ――――――      ――――――      ――――――

 本書を読めば、というかこの新書たった一冊で、金子氏がいかにアホかが分かります。要は、上掲の表を見て、その内容にあたってみようともしないで、勝手に解釈しているのです。
 北海道の縄文文化は、図のとおりで、ほぼ本州のそれと連動していました。つまり本州と北海道には、同じ縄文人が住んでいたのです。
 しかし本州が弥生文化に取って代わられたときに分化します。北海道では弥生文化は受容されなかった。縄文文化がさらに続く(続縄文文化)。
 本州では朝鮮半島から弥生人が、稲作を携えて大挙日本列島に侵入、瞬く間に東北まで達します。本州の縄文人は、弥生人の(稲作による)圧倒的な人口圧に吸収されてしまいますが(ただし東北ではまだら状に縄文人が残っていたようです≒荒蝦夷?)、弥生人は津軽海峡を渡らなかった。北海道の気候が水稲耕作に不向きだったというのが定説ですが、著者は別の見方を示します(後述)。私自身はその両方だろうと考えます。
 さて、金子氏がアホなのは、続縄文文化→擦文文化→アイヌ文化という文化の変遷を、民族が変わったと思い込みで事実誤認(というか妄想)しているところです。
 実は本書でもそういう勘違いに対して危惧が示されていて、アイヌ文化の代わりに「ニブタニ文化」を提唱しているのです。
 アイヌ(ニブタニ)、擦文、続縄文、縄文の各文化の担い手は、ぜんぜん変わっていません(もちろん本州の縄文人も)。現在のアイヌの祖先たちです。
 表によれば縄文文化は1万6千年前に開始されていますが、それ以前に、3万5千年前から旧石器人が住んでいた。当時は氷河期で日本列島は東北アジア大陸の海岸だった。この旧石器人は、6万年前に出アフリカした現生人類が長い道のりを経て、極東のはずれに達した人々でしたが、実は縄文人は、まさにこの人々の末裔なのです(出アフリカ古層A型。遺伝子解析で確定済)。
 これは随分珍しいことだと思います。これほど(他民族と混血もせず)出自がはっきりした人々は他にありません。
 世界には系統がわからない孤立言語が9つあります。サハリンのニブフ語(オホーツク文化人の後裔)、アイヌ語、日本語、朝鮮語、ケット語、クスンダ語、ニハーリー語、ブルシャスキー語、バスク語ですが、そのうちニブフ語、アイヌ語、日本語、朝鮮語の4つもが、同一地域に隣接しているのは、やはり出アフリカのひとつの終着点が、日本列島周辺だったからではないでしょうか。それゆえ、これら4言語は出アフリカ古層A型に由来するとされているそうです。
 もうひとつ面白いのは、アイヌ語が、やはり孤立語で、エニセイ川流域のケット語ときわめて親近性があることで、これは出アフリカ後シベリアルートでアメリカ大陸へと渡っていった一族の言語が、それからはずれて行き止まったアイヌ語とケット語に残存したからでしょう。
 つまり、日本語や朝鮮語よりも出アフリカ人のオリジナル言語を色濃くとどめているのがアイヌ語といえます(日本語は朝鮮半島から弥生人が持ち込んだ言語で、縄文人を吸収する際、縄文語を取り込んだもの)。
 結局のところ、アイヌ人は3万5千年前から北海道に居座ってどこにも移住しなかった、きわめて純粋に近い出アフリカ人の子孫なのです。

 金子氏の主張が、どんだけ無知無教養な言説であるばかりか、それを意図したものとは思いませんが(そこまで賢くはなさそうです)、結果的に捏造史観をばらまいているわけで、彼もまたネトウヨあほ列伝にその名を残すに値する人物であるとは、言わざるを得ませんねえ(ーー;

 あ、書き忘れましたが、アイヌの先祖が弥生文化を受け入れなかったのは、アイヌが日本文化の圧倒的な引力に囚えられ、衛星化したためで、日本人のために、毛皮やオオワシの尾羽や鮭の干物等、日本の需要に応えるため、それらの狩猟漁労に特化していったからというのが著者の考えで、実際、人口の少ないアイヌが、かつては薄く広く北海道に広がっていたのが、擦文時代になると、鮭の漁場となる川筋等に集中して、人口的に不自然な分布を示すことで分かるようです。この説も私にはセンス・オブ・ワンダーでした。

 
 

「アイヌと縄文」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月28日(土)22時57分16秒
返信・引用 編集済
   グーグルマーズで火星に建つ巨塔(高さ6km)を発見! エイリアンの巣か、電波発信基地か!?

 

 いつのまにか、グーグルマーズなんてのができてたんですねえ。びっくり。

 ということで(>どういうことだ)、瀬川拓郎『アイヌと縄文』(ちくま新書、16)に着手しました。100頁まで。

 

「夢みる葦笛」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月27日(金)20時22分10秒
返信・引用 編集済
   上田早夕里『夢みる葦笛』(光文社、16)読了。

 これは好い作品集でした! 傑作ぞろいで堪能しました。
 堪能したのですが、実は冒頭の表題作はどうも合わなかった。この作品、初出の異形コレクションでも読んでいるのですが、そのときもやはり反りの合わないものを感じましたので、相性が悪いのかもしれません。
 次の「眼神」は堪能したのですが、その次の「完全なる脳髄」でまた引っかかった。
 しかしその後はすべて大満足でした(^^)。
 本集は発表順(もしくは執筆順)に配列されているので、後になるほど好いということは、わたし的視座からは、作家の力量がどんどん上がっていったことを証明していると言うことになるのですが、とはいえ冒頭作タイトルを書名に選んでいるところを勘案すれば、著者自身はまた別の評価軸があるんでしょう。
 それとは別に、後になるほどSF味が強くなっていくのが、私の興味の偏りに対応したということもあるかもしれません。
 その意味で、「氷波」や「プテロス」は純然たるハードSFで嬉しくなりました。
「滑車の地」は本集マイベストフェイバリット。関西SF名物泥SF。酉島伝法『皆勤の徒』、北野勇作<ヒトデナシ>ものと共に泥SFベスト3に挙げたい逸品でした。
「楽園(パラディスス)」と「アステロイド・ツリーの彼方へ」は近年のトレンドであるAIや人工知性もの。意識を構成するものとして身体は必要不可欠な契機であるという基本姿勢が著者にはあるようで、全く同感。
「上海フランス租界祁斉路320号」は、これは珍しい現代史SF。著者の新機軸でしょうか。こういう傾向のもどんどん書いてほしいと思いました(^^)


 

Re: 中西印刷株式会社(京都企業案内)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月27日(金)18時15分16秒
返信・引用 編集済
   段野さん
 ご指摘ありがとうございます。M27は2月生まれでしたか。
 そうしますと、前書き込みの、「3)4/2~4/26(1学年下)」ではなく、「2)1/1~4/1(早生れ)」に該当することになりますね(遅生れじゃなくて早生まれですね。訂正します)。
ところがそれだと、「1)と2)は同学年(A)」ですから、Aだと79年3月で卒業してしまい、大森さんとの接点がなくなってしまうんですね。それでは岡本さんの証言と矛盾してしまいます。それはまずい。歴史が変わってしまうではないですか。M27は1979年中も学生でなければならないのです。
 うーむ。M27の履歴に誤認があるのかもしれません。
 どうすれば辻褄が合うか。
 私は考究に考究を重ね、ある結論に達しました。
「そうか。2浪じゃなくて3浪にすればいいのだ!!」
 私は2浪と記憶していましたが、事実は3浪だったのかもしれません。そう言えば、そんな気がしてきました(>おい)(^^;。
 前エントリーでは、「(A)の場合、高校卒業は69年3月。2浪で71年4月京大入学。8年で79年3月卒業。」としましたが、これを3浪に訂正すれば、「高校卒業は69年3月。3浪で72年4月京大入学。8年で80年3月卒業。」
 となり、大森氏とM27は、一年だけ重なることができるのです。
 そんな数字合わせは安易ではないのか。
 いやいや、決してそんなことはありません。事実ダークマターやダークエネルギーも、そのようにして存在することになったではありませんか。ダークエネルギーが負の引力を持つというのも、やはりつじつま合わせ。現代科学はそれを許容しています。
 ならば、M27も3浪だったのです! そういうことにしてしまいましょう。そうすれば、この宇宙は辻褄が合い、安定するのですから(>おい)m(__)m


 

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