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「人工知能の見る夢は」(11)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月24日(水)21時47分43秒
返信・引用 編集済
  > No.7763[元記事へ]

《人工知能と創作》の3篇を読みました。
「舟歌」はピリリと皮肉が効いていて、いや、かなりキツイ皮肉で、思わず快哉(しかし考えたら自分が槍玉に挙げられているのだった)(^^;
 このAIは、テクノロジー的にはおそらく不可能。つまり前章の並びで言えば、「哲学的AI」ですね。

「ペアチと太郎」「人工知能は闇の炎の幻を見るか」は読みにくかった(その読みにくさの質はそれぞれ違うのですが)。

 ということで、人工知能学会編『人工知能の見る夢は AIショートショート集』(文春文庫、17)読了。


 
 

「人工知能の見る夢は」(10)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月24日(水)21時20分28秒
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  > No.7761[元記事へ]

《人工知能と哲学》より、後半の2篇を読みました。
「ダッシュ」は、ロボットがかなり行き渡った近未来に、いかにもありそうな話。こういうのこそコーンブルース言うところの「未来のスリック雑誌に掲載される」作品ではないでしょうか。佳品でした。

「あるゾンビ報告」は、<AI>はいわゆる<哲学的ゾンビ>の実現体ではないのかという仮説をめぐる話。これは厳密には比較できないものでしょう。というのは、外的存在である他者には、その対象者が人間か哲学ゾンビなのかは区別がつかないものという定義だからです。いかに精巧なアンドロイドも、ちょっと検査すれば、その身体が人工物であることことが分かるはずです。
 ただそれを棚上げすれば、<心>を持たないAIは、たしかに論理的に哲学ゾンビに等しくなリそうな気はします。なにはともあれ、本篇の著者は、「人工知能の心」の著者同様AIに心が芽生えることはない(但し人には心がある※)という前提条件を基本認識にしているのは確かです。
(※とわざわざ明記するのは、科学者(唯物論者)のなかには人には心はないという人もいるからです。したがって哲学ゾンビも存在しない)
 本篇を読んでいて、おそろしい可能性に気が付きました。「人工知能の心」では、エントロピー増大に抗して(正対して)心を発生させた人間は、それゆえ過去には移動できないとなっていました。それに対して私は、過去へ戻った人間は心を失った状態で移動できるのではないかと茶々を入れました。この「心を失った」人間って、つまりは哲学ゾンビですよね。
 すると面白いことになる。未来からやって来たことで哲学ゾンビとなってしまっている時間旅行者は、しかし過去の人々の目には哲学ゾンビであるとは気が付けないでしょう。なぜなら自然科学的には区別不可能だからです。ところが、時間旅行者本人も、自分が心を失ったとは気づけないのです。状況に合わせて笑ったり泣いたりできて、そのことに疑問を持つことがないのですから。
 仮想的な存在であった哲学ゾンビは、過去へ移動することで、実体的存在となりうるのではないでしょうか(^^;

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月24日(水)19時07分32秒
返信・引用
   
  元ツイート

 

「人工知能の見る夢は」(9)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月23日(火)22時03分26秒
返信・引用 編集済
  > No.7760[元記事へ]

  《人工頭脳と哲学》より、「人工知能の心」を読みました。
 本篇のベースには、著者が思索して得た結論がアプリオリに使われています。思索の過程が省かれているので、思いつきのアイデアで組み立てられていると思う読者もいるかもしれません。思いつきじゃなく、論理的な結論なのです。
 そこで、本篇を読む前に、著者の『時間はなぜ取り戻せないのか』『時間はどこで生まれるのか』あたりを読んでおくことをお勧めします。
 そこに書かれているとおりで(私に要約しろと言わないで下さいね>おい)、エントロピー増大システムである宇宙のなかに島のように存在するところの(エントロピー減少システムである)生物は、エントロピー増大方向(=未来)の方向に自分が向いていると感じる。それが心の発生で、であれば、生きとし生ける存在はすべて心を持つということになります。
 ところが機械でできたシステムは、エントロピー減少体ではありません。故障すれば部品を取り替えますが、それを指してエントロピーが減少したとはいいません。ロボットの体はすべてエントロピー増大物質で作られているのです。AIもしかり。ですからその論理の行き着く先は、人工知能には心が宿らない、という結論にならざるをえない。
 タイムマシンは時の矢と反対方向、現在から過去(未来から現代)へ移動する乗り物です(現在から未来へはほっておいてもいける)。言い換えればエントロピー減少の方向へ移動するものといえる。ところが「私」(意識)はエントロピー増大の方向に向かって「私」である。ですから過去へ移動すると、「私」(意識)は「私」(意識)であることを維持できない。ですから、肉体は過去へ移動し得ても、そのなかに「私」はおらず、肉体だけの存在として過去に出現する(んでしょう。ここは私の推測)。一方機械であるAIロボットは、過去に移動してもAIとしての「意識」は失われない。
 タイムマシンは究極のチューリングテストだったんですねえ。
 ところが本篇には衝撃的なラストが控えていました。この意味するところは何なのか。「心」の定義は根本的に変えられなければならないのでしょうか?※ 続篇が期待されますねえ(^^;

※私見では、というか思いつきですが、生物全てがもつ抗エントロピー的な「心」と、その「心」を基礎にそこから「自覚する私」を構成発生させた人間のそれは、分けて考えたらいいのではないか。つまり「私」は抗エントロピーという「心」の契機を超越してしまった何かで、過去に戻ってもその「私」は失われることなく機能するのではないか。ではロボットの「心」とは??? うーん・・・。あ、博士が人間だったと勘違いしているのではありませんよ。為念。

 

「人工知能の見る夢は」(8)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月22日(月)22時39分0秒
返信・引用 編集済
  > No.7756[元記事へ]

《人工頭脳と哲学》より、「202X年のテスト」を読みました。
 本篇もいろいろ脇道へ空想が広がって困りました。

 書道ロボットは簡単だろうなという記述があるのですが、いやいやそんなこともないんじゃないでしょうか。たしかに画像認識して、インクジェットプリンタで「複製」するんだったら簡単かもしれませんが、次の珠算ロボットの記述からして、A氏はロボットが筆を持って揮毫することを念頭に置いていると考えられます。
 としますと、書道ロボットは、あるイメージされた墨痕を残すためには、どういう風に力を入れたり抜いたりしながら毛筆を動かす必要があるかを、実地に覚えなければなりません。
 そのためには現代の名のある書家(当然一人ではなく可能な限り沢山の)に協力してもらって、AIに連動する特殊な毛筆端末で可能な限り沢山の書を書いてもらう必要がある。AIに、どのような筆の運びであればどのような墨痕を残すかを完璧に記憶させなければならない。つまり体で覚えさせるわけです。
 次に、空海なり小野道風なり、その現存するすべての書を画像認識記憶させ、それからその筆運びの傾向を分析させる。そして(前段階で)AIのなかに記憶させた大量の体感的筆使いの中から、その字を表現するのに最適の筆使いを選択し或いは混ぜ合わせて、そこではじめて空海にそっくりな書が揮毫される。
 いうまでもなくこれは、子供の頃書道教室で自分の紙の下に先生の書いた見本を敷いて写したような過程ですね。最終的には空海流のオリジナルな書を書かせるわけですが、その行為はAIの創造性ということになるのでしょうか。どうなんでしょう。

 珠算ロボットは、たしかに無骨なロボットの指を想像すると難しそうですが、アンドロイドのしなやかな指なら可能かもと思いました。
 しかしこれは邪道と言われるかもしれませんが、数字を音声で読み上げたら勝手に算盤の珠が動くようなのを作るのも一案かも。そんなロボットがなぜ必要かと言われるかもしれませんが、商取引の現場で算盤を置いて、「こんなもんでそうでっしゃろか」パチン「それは高い」パチン「そんな殺生な」パチンという場面があるじゃないですか。このAI算盤ならば、そのパチンパチンの過程を全て記憶して再現することができます。
 いまやそんな商習慣は船場でもなくなってしまっているかもしれませんが、このAI算盤が開発されれば、昔ながらの懐かしい商風景が復活するかもしれませんねえ。

 B氏(?)のモノローグで、「ご託宣」的なものはAI化が容易とありますが、イタコはどうなんでしょう。イタコとは、私の見解ですが、実際のところは相手の表情や仕草をを見て、その場その場で融通無碍にストーリーを作る人々です。これはAIにはちょっと難しいのではないでしょうか(ボッコちゃんのように定型的な会話はできても)。

 C氏(?)が(上位なる)「大いなる意思」から個々の人間はその断片を引き出す事があるとありますが、 私の「体験的感じ」では、それは「下」にあるような気がします。いわば集合無意識みたいなものが念頭されます。上位なる大いなる意思は、ちょっと小松さんぽいですね(^^;

 そもそも本篇は、作者の、AIをめぐる/に触発された様々な想念の総ざらえ的な作品で、A氏、B氏(?)、C氏(?)の区別は、さほど重要ではないように思います(どう考えても三氏とも作者です)、しいていえば、想定された哲学的地平にのみ存立可能な人間なりAIと言う他ありません。で、その地平で何が行われたかと言えば、けっきょく、A氏がいみじくも言ったように、「<人間>の解明」(人間とはいかなる存在か)その諸雑感なんですねえ。

 などと言いながら、そろそろお尻がムズムズしてきました。さっきからどう着地させようかと考えながら書いているのですが、どうも妙手を思いつかん。「not falling」なのであります※

※同じでは芸がないので言い換えてみました。単語を置き換えただけ? 失礼しました(^^ゞ

 

Re: 小池一夫さんのつぶやき

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月22日(月)17時00分15秒
返信・引用 編集済
  > No.7757[元記事へ]

 段野さん
 これ、よさそうですよね。小池さんのことですからネットで受講できるんじゃないでしょうか。実際に講座が開設されるかどうかは、ツイートで告知されると思いますので、フォローしておいたらいいでしょう。
 ただ、劇画向けかもしれません。しかしそのほうが、時代劇に必要な諸々が絵で表現されるわけで、逆に勉強になるかも。
 と思ったら、すでにフォローされたんですね。あっ、コメント欄に書き込みも!! やるなあ(^^;

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月22日(月)16時51分4秒
返信・引用
   元記事

 

小池一夫さんのつぶやき

 投稿者:段野のり子  投稿日:2017年 5月22日(月)10時11分8秒
返信・引用
  >時代劇の書き方を若い人に伝える講座をやりたいンだけど、興味ある人いるかなあ
ここにいます。興味あり過ぎです。(でも、東京ですか。遠いかも)
 

「人工知能の見る夢は」(7)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月22日(月)00時18分55秒
返信・引用 編集済
  > No.7755[元記事へ]

《人工知能と法律》の3篇を読みました。
「当業者を命ず」、や、これはやられました。一応人工知能と法律の2題噺がメインのように見えますが、そしてもちろんそこは興味深く読み、そういえば「法SF」はありえるなあ、でも実作は殆どないなあ(ロボットの人格権はアシモフにあったっけ)、などといろいろインスパイアされもしたのですが、でも著者が本篇執筆に至ったきっかけは、まずもって「アンドロイド端末」の意味のずらし(による異化作用)を思いついたことだったんじゃないでしょうか。如何(^^;。

「アズ・ユー・ライク・イット」は、気持ちがいいほどきっぱりと、AIに魂や自我を認めない立場です。したがってAIは「深読み」や「裏読み」をしません。つまり文脈を読まない(できない)。だから三原則に制約されたアンドロイドの前で「ああもう舌噛んで死んじゃいたい」なんて言ってしまうと……(汗)

「アンドロイドJK」は、JK型アンドロイドに振り回される話。このドタバタはまさに作者の十八番ですね(^^; でも最後の「オチ?」が分かりません(泣)。なんか不穏なものであろうことは想像されるのですが。検索したところ、ひょっとしてこれかな、というのがヒットしたんですけど、どうなのかな……

 

「人工知能の見る夢は」(6)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月21日(日)18時37分29秒
返信・引用
  > No.7753[元記事へ]

《神経科学》4篇中、後半の2篇を読みました。

「バックアップの取り方」 これは正統ショートショート(但し日本での)。オチが前半のいきさつ(謎)を説明するんですね。ただしこれはAIではなく、未知の(未来の)技術と言うべきでしょう。

「みんな俺であれ」、 そうそう「ダウンサイジング」で私が不満に思った書き足らない部分が、本篇ではしっかりオチになっています。それで意識化できましたが、つまりショートショートの契機(構成要件)である「相対化」の締めが、「ダウンサイジング」になく、それがどうやら無意識に不満として感じていたんですね。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月21日(日)16時25分28秒
返信・引用
   元ツイート  

「人工知能の見る夢は」(5)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月21日(日)15時51分6秒
返信・引用 編集済
  > No.7752[元記事へ]

《神経科学》4篇中、前半の2篇を読みました。

「ダウンサイジング」はよくわからない話。これは言いがかりに近いかもしれませんが、冒頭、若年性認知症を宣告された青年が、
「窮乏して死ぬより、今の健康な状態で死にたい」と考えるのですが、比較するものがずれています。言いたかったのは、「この先のおそらく悲惨であろう後半生を考えたら、今死にたい」ということだと思いますが、語の選択がちょっとテキトーすぎる。
 このテキトーさ、乱暴さはこのショートショートの構造にも現れていると私は思います。

 さて、プロンプターとは何かと調べました。役者やアナウンサーが、台詞を忘れたとき助けてくれる行為や装置で、本篇の場合、認知症が進行したときに備えて、まだ進行してない段階の本人が、思い出せる限りの過去をいわば自分語りし、それをデータとして記憶させたインカム(記憶装置)と、認知症が進行した段階で欠損した記憶を、そのインカムから取捨選択して補わさせる出力装置(AI)でできているもの。
 そのおかげで主人公は、日々失っていく記憶を補填されて日常生活というより思考生活を継続できる。

 ところがさらに進行する。具体的には10年前から現在までの記憶がすっぽり抜け落ち、10年前の生鮮市場で働いていた記憶が直接「今」に接続してしまう。そのせいで、ある日起床したとき、時刻を見て遅刻と勘違いし、あわてて飛び出してしまう、午後になるまで誤認と認識できなかったのです。
 これを医師らは、ステージが進んだ結果、時間処理ができなくなったとして、その部位の脳をシャットアウトしてしまうのですが(このアイデア自体は面白い)、ただ脳の内部で起こっていることを、そんな単純に切った貼ったで区切りの付く話でしょうか。
 まあこれ、小説ですから細かいことはいうなという話ですが、仮にも人工知能学会誌に掲載することが前提で依頼されたもののはず。テキトーすぎると思います。

 その後もどんどんシャットアウトされていって、最後は「点」になり、点もなくなって「ゼロ」になり、消えていくのですが、いやいや、本篇のテーマはプロンプターの補助でいかに意識の連続性は保たれるかということだったじゃないですか。だったらゼロになっても、プロンプターが100%な主人公が生まれたということでは? それは本人なのか違うのかという問題が。
 そこを描写しなければ、全く意味を持たないんじゃないでしょうかねえ(ーー;

「僕は初めて夢を見た」は、9歳の子供が事故で脳死状態になる。そのままだったら、もし目覚めても、その意識は9歳であり、寝たきりで体も成長もしていない。きわめていびつな人間として復活することになる。そこで脳にAIを搭載する。AIはその人間の代りに勉強し、運動し、生活します。子供の身体はAIに統御されて健康に成長し、ごくふつうの17歳の青年となる。そのとき、脳死状態から(9歳の)脳が復活し……

 これは面白いアイデアですが、AIの自我はあんまり考察されません。将来に再び脳死になった場合に備えて、脳に残ってバックアップをとることになるのですが、その意識はなくなる。そこにAIの自我はフラストレーションを感じないのでしょうか。あ、この場合の自我は生存本能か。生存本能のない自我は、生物の自我ではない。機械の自我となる。そういう話として書かれているのならまあ許容範囲か。私自身は葛藤まで読みたかったんだけど、このままでも読み終わった後、いろいろ妄想してしまいますねえ(^^;

 

「人工知能の見る夢は」(4)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月20日(土)20時23分52秒
返信・引用 編集済
  > No.7747[元記事へ]

 承前。《ゲームAI》の4篇を読みました。
「投了」は
 元ツイート
 みたいな話(>おい)(^^; ただこれ(生存本能)を自意識と認めてよいものか。単細胞生物にも生存本能はあるみたいですし。あ、しかし「生命」ではあるのか。

「シンギュラリティ」はいろいろな理由で読みにくかった。
 まず、「多くは科学者の子供で、普通の学校と比べれば頭の良い子が多かったと思う」は杜撰。それなら「多くは科学者の子供で、普通の学校と比べればコミュ障など発達障害な子が多かったと思う」はどうなのか。これは主人公の性格設定ではなく(ないことは読めば明らか。ストーリーに絡む設定ではないから)、作者の考えが無意識に出てしまったものでしょう。
 時代設定はかなり未来で、ロボット(アンドロイド)が人間と同じ学校に通っている時代。未来は未来ですが、人間は現代とさほど変わっていないようで、いじめがある。転校してきたアンドロイドが、そのいじめに気づき……というお話。
 この時代、アンドロイドは人間の中枢神経が実現されており、感情と意思をもっています。ただ学校に通うくらいですから、社会的体験は子供並みだった。ただし「いじめ」は知識として知っていて、本篇に描かれる事件で、はじめて体験としていじめというものに触れた。そして「人間と同じような感情に流され、いじめられていたLに同情し、いじめていたKに怒り、投げ飛ばそうとしてKにも同情」します。その反応はまさに人間そのもの。
 で、そのような原体験を持った彼女(女性型アンドロイドなのです)は長じて、或る発明をする。それは脳内に張り巡らせるナノマシン・ネットワークで、「人は感情的になると、一つの物事にとらわれて冷静な判断ができなくなる」。しかしこれを実装した人間は、「何か一つの感情を抱くと、それを打ち消す」ように調整作用が起動するというもの(人間並みに感情を獲得したロボットにも当然実装されます)。
 その結果、人間の愛や憎しみという感情は「薄められ」、「紛争も戦争も犯罪も極度に減っ」た社会が成立します(結果、アンドロイドと人間の質的差異もなくなる)。
 主人公というか話者は、「私たちは進化したのだろう」と述懐するのですが、これは反語なのかどうか。
 はっきりいって私には「ロボトミー」としか認識できないので、実現した社会はディストピアとしか思えません。
 作者も一応、ディストピアとしているようですが、私は、作者の態度はアンビバレンツな感じがしました。というか作者の理想像が投影されているような気がしました。その根拠は、冒頭に引用した一文なんですねえ。だからラストの「ふたりとも人間で、ふたりともロボットだ」は反語ではなく、そういう世界観を持つ作者の肯定文だと思ったのでした。これは全くの想像妄想ですが、作者は「濃い」人間の感情(というか交流相互作用)が苦手な人ではないか。そんな作家像が浮かんできました(おい)m(__)m

 うーん。良し悪しでなく好悪の話になってしまいましたな。

「魂のキャッチボール」のAIは、近年の囲碁AIからのエクストラポレーション。坂田三吉(将棋ですが)の棋譜をすべてデータとして取り込んだAIは、棋士坂田三吉とみなせる。つまり坂田三吉と対局することも可能。これはある意味、冥界の坂田三吉との対局と言えないこともない。
 だったら死んだ個人の、残されたすべてのデータをAIに読み込ませたら……
 という話。このようなAIは、先回書いた自我があるのか、膨大なデータから最適解を出すだけなのか、では後者です。しかしそのデータが、ある人にとってかけがえのない人だったら……?

「A氏の特別な一日」は、奇しくも「シンギュラリティ」と好対照を示しています。人類は遂に不老不死を手に入れる。しかしそれは人類が堕落退廃へ舵を切る端緒だったのです。そのことをAIは見抜いていた。そこでAIは……
「シンギュラリティ」では、AIと人類が同化し、感情の爆発も殺し合いもない、穏やかなユートピア(ディストピア)が実現しますが、そんな世界からは何も生まれないような気がします。本篇のAIも(つまり作者は)、死の存在が人間を活性化し、文明を発展させると考えるのですね。私は本篇の立ち位置に同感するのであります(^^;

 ここまで読んできて、私の(無意識な)先入見を自覚させられました。
 私は、AIは自我を持つのかどうかという設問にずっと引きずられていて(現象学の立場から設置型のAIに自我が生まれることはないと考えているのですが)、そういう設問自体がどうも時代遅れなのかなと気付かされたのです(これは瀬名秀明のロボット――つまりアトムを理想形とする――がそうですね)。
「シンギュラリティ」も「幻臭」も「抜け穴」も「姉さん」も、人間の「自我」とは違うのですね。言われてみればたしかにそうです。AIは進化することで人間に近づくのではなく、別の何かに進化していく。最近のSF作家は、そのように考える人が多いようです。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月19日(金)20時43分22秒
返信・引用 編集済
   元記事

 

 これは凄い! 想像図じゃなく、骨の化石でもなく、実物(のミイラ?)なんですから。
 中生代の生物遺物は、現在、石油に変わっている。ところが同じ時代に死んだ恐竜が、ほとんど当時の姿を保ったまま現代にあらわれた。なんとも想像力を刺激されますよねえ。

 

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月19日(金)18時13分59秒
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   元記事

 

「人工知能の見る夢は(3)」

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月18日(木)21時54分2秒
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   わ、またミスってしまいました。昨日の「人工知能の見る夢は(2)」の上に(3)を上書きしてしまい、(2)が消えてしまいました。
 キャッシュを見ましたが、15日分までしかありません。残念ながら復元は無理そう(ーー;
 それもこれも、PCの速度が遅いからで、困ったものです。

    ――――――        ――――――        ――――――

 トマトさん
 橋本まなみ誰、って検索してしまいましたがな(^^;。最近のアイドルはぜんぜん知らないのでした。

 ということで(どういうことだ)、《環境に在る知能》の3篇を読みました。
 環境に在る知能、ってなんのこっちゃと思ったのですが、要は「生活場面に入り込んだAI」ということのようです。

「愛の生活」は、居抜きで入居したマンションの家電がIoT家電でシステム化されていたことから起きる一騒動。タネ明かしされるまでもなく、ははあ、こういうことだろうと予想がつきました。IoT家電という言葉は知らなかった(ネットで調べた)ですけど。
 しかしストーリーのつじつまが合わないような。家電がネット経由でコントロールされているのですが、そもそも同棲していたのに「細工がバレないように、心霊現象のように装って」というのは設定として無理ではないでしょうか。
 それとも、別れたから、そういう方法で彼氏の生活を改善しようとした? 別れたのにそんなことをするのだったら、よほどの動機が必要ですが、その説明は全くありません。
 やはり前者が作者によって想定されていると思うのですが、上記のようにムリ筋です。オチに持っていく手続きが強引というか杜撰だと思いました。

「お片づけロボット」は、お掃除ロボットルンバちゃんの発展型で、タイトルのとおり「お掃除」ではなく「お片づけ」をしてくれる。これも一種のIoT家電ですね。
 お片づけの仕方(分類分別)は教え込まなければいけない。この小説世界では、その根本的契機は使用者の人間自身が果たさなければならないわけで、それに最後に気がつくところが面白い。
 余談ですが、この主人公(の性格)、「私」じゃないか! と親近感を持ったのですが、実際のところそういう人間だからこそ得てして「お片づけ」(分類弁別)できないのです。ゆえにロボットへの指示も泥縄になってしまう。使い切れないわけです。そしてきちんとお片付けできる人は、そもそもお片づけロボットは必要ない。
 うーむ。お片づけロボットは売れないような気がしてきました(>おい)(^^;

「幻臭」に出てくるのは個人秘書AI。IoT家電システムがさらに進化しますと、その統御をAIが自律的に行うようになる。その先にあるのが個人秘書AIでしょう。リビングのコントロールは主たる業務ではなくなり、まさに秘書的業務を自律的に行うようになります。
 本篇の「リナ」がそれなんですが、リナはすでに主観を持っているのでしょうか。対話は完璧で、チューリングテストは易々とクリアしそうです。
 しかし主人公は、やはりAIは人間ではないな、と少しがっかりするのですね。
 これは、たとえAIに嗅覚が備わっても、主人公が感じる幻臭をリナが感じることはないでしょうね。
 でも、人間でも、ある種の人々はそれを感じ(られ)ないのではないか。ではその人たちは「人間」ではないのか……。難しいですねえ。

※実はこのごろ、「人間なのに人間らしくない」(大雑把な言い方で語弊があると思いますが)そんな人々にむちゃくちゃ関心が向いているんですよね。

 

(無題)

 投稿者:トマト  投稿日:2017年 5月18日(木)14時00分26秒
返信・引用 編集済
  管理人さん、増田恵子→安室奈美恵から真矢みきを経て最近は橋本まなみです(笑)

  京王帝都電鉄某線某駅近くに橋本まなみ似の方を発見しました(笑)

   北関東の、『丸首にステテコにらくだの腹巻』のオヤジネタですが、北関東の生家の茶の間ではオヤジのひどい「函館の人」が響いていましたね・・・。

隣の学者先生宅から聞こえてくるベートーベンは、退屈で関心ないだけで済むけど、オヤジの「函館の人」「愛して愛して愛しちゃったのよ」「小樽の人」「喝采」のメドレーははっきりいって不快でした!!
  味噌汁の具のシメジがオヤジの鼻くそに感じられてなりませんでした。
つまりオヤジが歌うと茶の間には腐りかけた生ゴミというかゆで卵を食べた後のおならのような臭気が漂うのです、もう!!

  そのためにわたしは夕食後、そんな茶の間から食事が終わると逃げ出しては近くの「夢書房」に安住の地を求めたんですよ・・・。
そこで出会ったのがSFマガジンです。目次を見ると、「マ『ガラスのナントカ人形』というオハナシが載っているてはないですか!
  でそのおはなしが載っている六十九ページを開くと、そこには「パンスケ」「おっぱい」「バイタ」「安物香水」という学校では教えてくれないすばらしい言葉が踊っていたのです!つまりあの久野四郎の不朽の名著が掲載されていたのです!
  そしてべつのSFマガジンには「未来の記憶」という連載もありました。別なSFマガジンをバカッと開くとイキナリ「宇宙人が飛来した事実が聖書に記載されている・・・」という文章とともにそれらしいイラストが現れ、それは衝撃でした!!たぶん中学二年のやや肌寒くなった秋・・・じゃないか・・・(夕食後にまだ明るかったから初夏かも?)と思います。

  とにかくオヤジの酷い演歌やムード歌謡が臭いおならのように漂う茶の間とはまったく別世界だったわけです!(「未来の記憶」イラスト入りは最初SFマガジンに連載されていました。その後、角川文庫から文庫本として出たようです。)

   「未来の記憶」は見付からないので、神田の三省堂の前の古本屋で五千円で買った「太古の宇宙人」です。となりの書物は音楽の教科書です。 
 

「人工知能の見る夢は」(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月17日(水)21時32分11秒
返信・引用 編集済
  > No.7746[元記事へ]

 トマトさん
 橋本まなみ誰、って検索してしまいましたがな(^^;。最近のアイドルはぜんぜん知らないのでした。

 ということで(どういうことだ)、《環境に在る知能》の3篇を読みました。
 環境に在る知能、ってなんのこっちゃと思ったのですが、要は「生活場面に入り込んだAI」ということのようです。

「愛の生活」は、居抜きで入居したマンションの家電がIoT家電でシステム化されていたことから起きる一騒動。タネ明かしされるまでもなく、ははあ、こういうことだろうと予想がつきました。IoT家電という言葉は知らなかった(ネットで調べた)ですけど。
 しかしストーリーのつじつまが合わないような。家電がネット経由でコントロールされているのですが、そもそも同棲していたのに「細工がバレないように、心霊現象のように装って」というのは設定として無理ではないでしょうか。
 それとも、別れたから、そういう方法で彼氏の生活を改善しようとした? 別れたのにそんなことをするのだったら、よほどの動機が必要ですが、その説明は全くありません。
 やはり前者が作者によって想定されていると思うのですが、上記のようにムリ筋です。オチに持っていく手続きが強引というか杜撰だと思いました。

「お片づけロボット」は、お掃除ロボットルンバちゃんの発展型で、タイトルのとおり「お掃除」ではなく「お片づけ」をしてくれる。これも一種のIoT家電ですね。
 お片づけの仕方(分類分別)は教え込まなければいけない。この小説世界では、その根本的契機は使用者の人間自身が果たさなければならないわけで、それに最後に気がつくところが面白い。
 余談ですが、この主人公(の性格)、「私」じゃないか! と親近感を持ったのですが、実際のところそういう人間だからこそ得てして「お片づけ」(分類弁別)できないのです。ゆえにロボットへの指示も泥縄になってしまう。使い切れないわけです。そしてきちんとお片付けできる人は、そもそもお片づけロボットは必要ない。
 うーむ。お片づけロボットは売れないような気がしてきました(>おい)(^^;

「幻臭」に出てくるのは個人秘書AI。IoT家電システムがさらに進化しますと、その統御をAIが自律的に行うようになる。その先にあるのが個人秘書AIでしょう。リビングのコントロールは主たる業務ではなくなり、まさに秘書的業務を自律的に行うようになります。
 本篇の「リナ」がそれなんですが、リナはすでに主観を持っているのでしょうか。対話は完璧で、チューリングテストは易々とクリアしそうです。
 しかし主人公は、やはりAIは人間ではないな、と少しがっかりするのですね。
 これは、たとえAIに嗅覚が備わっても、主人公が感じる幻臭をリナが感じることはないでしょうね。
 でも、人間でも、ある種の人々はそれを感じ(られ)ないのではないか。ではその人たちは「人間」ではないのか……。難しいですねえ。

 

「人工知能の見る夢は」(1)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月17日(水)13時21分51秒
返信・引用 編集済
  > No.7745[元記事へ]

 トマトさん
 おや、しばらくおいでにならないうちに、ケイちゃん派からアムロ派に変わられたんですか?(>おい)(^^ゞ

 ということで(どういうことだ)、人工知能学会編『人工知能の見る夢は AIショートショート集』に着手。
《対話システム》の3篇を読みました。予想以上にレベル高いですね。
 私がこのテーマで読みたいのは、人間と変わらない《対話》をしているAIは、意識を持っているのか、単に高度な情報処理能力で《最適解》を選択しただけなのか、と言うところに焦点を当てた作品なんですね。
「即答ツール」はその意味では後者なんですが、本人には諸々の防衛機制で無意識化されている「ホントの気持ち」が暴かれてしまうという逆説的展開が新鮮で面白かった。
「発話機能」も後者ですが、あまりに完璧な《応答》に、人間が勘違いしてしまうのを防ぐために、ある規制がかけられている。ところが――という話で、これは最後にアッチに行ってしまいます。従来のSSのオチに収束したのは残念。
「夜間飛行」も、なかなか皮肉なひっくり返し展開で、作品的には大変良いのですが、これは前者ですね。ただ前者であることが前提的にアプリオリ化されているのは惜しい。結局旧来のSSに結果的に接近してしまったのではないでしょうか。

 

東京砂漠野の中のオアシスと不思議な方々

 投稿者:トマト  投稿日:2017年 5月17日(水)12時50分4秒
返信・引用
  スマホができて便利になりました・・・

移動中もアクセスできますね。


 実はその安室奈美恵似の女性がレジ打ち&ウエイトレスを務める某食堂ですが、彼女はよく黒のレザー調生地のショートパンツを好んで穿いているのです。

エプロンの向こうからその光沢のあるショートパンツに包まれた非常に整ったお尻を鑑賞するという目的もあり、当店を訪れておりました。
  とにかく緑地といえば花屋店頭の観葉植物ぐらいしかない荒涼とした山手線内側大通り裏の雑居ビル密集地はまさしく東京砂漠です。そんな中彼女のお尻はその東京砂漠に出現したみずみずしいオアシスといえるでしょう。ある日はお尻にポケットのついてもの、あるときはウエストがゴムになってポケットなしのものを着用して、それぞれ異なった美術鑑賞が出来、一時の潤いを得ました。


   それともう一つはもちろん例のはりきゅう学校生の皆様の生態を鑑賞するという楽しみです。

  びっくりしたのはこの食堂内で古典的中国医学体系のレクチャーが突如開催される・・・ということです!!
  路地裏の食堂のテーブルにおいて、摩訶不思議な言葉が飛び交う・・・です。彼らの会話に飛び交う単語は私たちにはまったく意味不明なんです。たとえば石井国土交通大臣のような痩せぎす顔の男性が、
「自分ははりきゅうの大家の大先生を知っている」
ということを自慢げに話すと、その場に居る他の二、三人の男性が
「はーっ」
と感慨するのです。そして石井国土交通大臣が重そうなカバンから広辞苑などではないものしかしかなり分厚い本を取り出し、この本の著者を自分はよく知っているとまた自慢するんです。するとまた周囲の男性が
「はーっ」
なんです!!さらに彼らの会話には
「金星の波動」
などという単語が飛び交うのです。もちろんそんな彼らの放つオーラというのはそれは筆舌しがたい異質なものでした。会計のときレジでも安室奈美恵を前に
「曲池は・・・手三里の・・・。」
なんていいながら会計していました。彼らの放つ独特のオーラと独特の語調、いまでもくっきりと脳裏にこびりついています・・・。? 
 

Re: 黒ポルシェの男女の推論

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月17日(水)00時37分51秒
返信・引用 編集済
  > No.7742[元記事へ]

 や、わが推理は大外れでしたか。しかし、種明かしされれば、なんとも意外でも何でもない話だったんですねえ。現実とはまあ、そんなものです(^^;

 

「楽譜と旅する男」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月17日(水)00時06分50秒
返信・引用 編集済
  > No.7736[元記事へ]

 芦辺拓『楽譜と旅する男』(光文社、17)読了。
 前回予想した第1話の曲のタイトルは、最後まで読みましたが明かされませんでした。これはやはり、そのとき書いたように、明かすまでもなく分からない人はいないだろう、ということなのかもしれませんが、そのような「書かないことによる余韻」は、「全て語り尽くさなければ気が済まない」著者には非常に珍しい、滅多にないことではないでしょうか(>おい)(^^;
 とはいえ、実はこのスタイル、第4話「三重十字の旗のもとに」の小説構造を先取りしたものなんですね。

 第1話を読んだ段階で、私は本書について、これは連作長篇であって、収録の全ての短篇を読み終われば、各話に実体なくその姿をあらわす<楽譜と旅する男>の物語が、炙り出されてくる仕掛けになっているのではないかと予想していたのです。連作とはいえ長篇ですから、第1話の謎も、その過程で意味を持ってくるのだろうと考えたのでしたが、その想像ははずれました。
 結局<楽譜と旅する男>は、一種の狂言回しで、夫々独立した各話を単につなぎとめるだけの役割で、この男自体の物語はなかったのでした。

 アメリカで出されるSF短篇集には、無理やりつながりを作って「疑似長篇化」をはかる場合があり(当時の流行だったそうです)、たとえばオールディス『爆発星雲の伝説』のアメリカ版(シグネットブックス版”STARSWARM”)では、「全体をある大星雲の年代記という形式にまとめるために、かなり手を加えて」(ハヤカワSFシリーズ版訳者あとがき)いるそうです。
 本書はそこまで強引ではなく、というか、最初からこのような形式で短編集を編むという趣向だったのでしょう。つまり各話とも「いまは失われてしまった楽譜」が、その話の重要な鍵になっていて、その解明のためには当の楽譜が必要不可欠、そこで「楽譜さがし屋」としてその筋では有名な男に依頼するという趣向です。

 第1話はロンドン郊外の古い御屋敷。百歳の誕生日を迎える(いつ亡くなってもおかしくない)女主人のベッドのまわりには親族一同が取り囲んでいる、という、まるで「犬神家の一族」を彷彿とさせる冒頭シーン。
 そこに集まっている人々の関心は遺産相続にある。ところが莫大な遺産の在り処が、とある楽曲に隠されているらしい。それは女主人が若い頃よくピアノで弾いていた曲で、集まった中で唯一女主人の姪が何十年も前に一度聴いたそのメロディをかすかに覚えていて、それはとても不思議な階調の曲だったと話す。
 親族の一人の男が<楽譜と旅する男>にその楽曲の探索を依頼し、首尾よく手に入れる。その男がピアノで弾き始めると……

 第2話「ザルツブルクの自動風琴」は、タイトルどおりオーストリア、ザルツブルクが舞台で、舞台が舞台だけに独墺幻想小説の味わいもあるなかなかの逸品。そこで主人公が手に入れた楽譜は、その通りにピアノで弾いても通り一遍な作品でしかなかった。当時の60~70しかない鍵盤のピアノでは。しかし主人公が誘われた場所に据えられたピアノには、ウィーン、ベーゼンドルファー社の「インペリアル」とは正反対に、右(高音部)に向かって白黒逆になった鍵盤が伸びていたのだった……

 第3話「城塞の亡霊」は現代のオランダの古都ライデンで物語は始まりますが、主たる舞台は第二次大戦末期のいわゆる南方戦線、蘭印の某所。日本兵だった主人公の部隊は、米軍の圧倒的な攻撃の前に一瞬にして壊滅、主人公は仲良くしていた現地の人々を頼ってジャングルの中を村に向かって逃げるのだが、至近弾を受け気を失う。気がつくと夜で、どこからともなく現地の音楽が聴こえてくる。そちらに向かって歩き始めた主人公が見たのは……
 これは南方ホラーの傑作。オチもよかった。ただ現地音楽を西洋音楽の譜面に再現できるものなのでしょうか(たとえば半音の半音とか)。いや楽典を勉強したわけではないので、可能なのかもしれません。著者にはクラシック音楽の専門家が付いているのですから、可能ということなんでしょう。

 第4話「三重十字の旗のもとに」はルーマニア第二の都市ブラショフが舞台。前衛音楽家の楽曲を演奏することになった主人公がブラショフに当の音楽家を訪ねる。演奏するだけなら本人と会う必要は必ずしもないのですが、わざわざ会いに行った理由とは……。
 それが本篇のメインストーリーなんですが、その前に、楽譜ということでいいますと、この前衛音楽家の作品は「人間には二本の腕と十本の指しかないことを無視しているとしか思えな」いのが特徴。つまりきわめて難演奏な代物なのです。
 ここで主人公は、そのようなふつうの曲よりも練習に時間を取られるばかりか、再演の可能性もなさそうな曲は誰も好き好んではレパートリーにしないと言う。これはリアリティのある言葉ではないでしょうか。落語家や講談師にも通じますね。こういう発言は、実際に演奏家で食っている人でないと出てこないんじゃないかという気がしました(^^;
 話がそれた。この、小説家で言えば原稿用紙を真っ黒な塗り壁みたいにしてしまう、となるでしょう、この音楽家の楽譜を読んで(あるいはピアノで弾いて)練習していた主人公、ある特徴に気づきます。
 それは、全ての音や旋律をぶち込んで真っ黒に塗りつぶされたはずの楽譜に、まるで白い塗り残しのように、あるメロディが「使われないことによって」逆に浮かび上がってきたのです。それに気づいたことが、主人公をして音楽家を直接訪ねさせる動機となったのでしたが……
 ルーマニアのファシスト集団である鉄衛団の党旗が、タイトルの「三重十字」なんですね。第二次大戦中の小国ルーマニアの政情に、或るメロディがいかなる影響を及ぼしたか……。面白かった。河野典生「ピットインでヤマシタ・トリオをディグしていると妙な話が浮かんできた」をちょっと想起させられました(^^;。

 第五話「西太后のためのオペラ」、上海電子電影遊園――太秦映画村を巨大化したような撮影施設兼テーマパークでしょうか――で映画撮影中の監督が、資料としてプロデューサーの主人公に入手を頼んだのは、西太后が自分自身で原作を書き、当時一流の芸術家に作詞作曲させ、自分一人を観客としてたった一度だけ上演し、それ以外の観覧を一切許さなかったという京劇の楽譜だった……西太后の動機という、かなり意外なミステリ要素もありますが、志怪小説的なラストが圧巻。

 第六話「悲喜劇ならディオラマ座」は、第2次大戦直後パリの小劇場が舞台。駐留米軍兵士からそのままパリに居残った主人公は、モンパルナス・ディオラマ座の音楽監督補佐をやっている。ディオラマ座主宰者の養女で看板女優のアダと相思相愛となるが、まだお互いはっきりと意思表示できていない。気弱な主人公は、ちょっとした暗号を工夫するのですが……
 この暗号というのがハニイ・ロイ教授をドレラ・シラ教授と言い換える類の超単純なもの。ところがいろんな偶然や行き違いが重なり、そのメッセージ(楽譜)がアダの元に届くまでに、十数年の歳月が流れてしまうのでした。タイトルどおりトラジコメディの愛すべき小品。

 ということで読み終わったわけですが、楽譜がテーマというのがユニークなその上に、世界の、それも表舞台から少しはずれたといって差し支えない諸都市を見物していくという趣向も加わって、まさにこの著者にしか料理し得ないであろう、奇妙な不思議な小説世界を味わうことができ、満足の一冊でした。

 

黒ポルシェの男女の推論

 投稿者:トマト  投稿日:2017年 5月16日(火)21時21分10秒
返信・引用
  段野様、管理人さん、お久しぶりです・・・。


  はりきゅう学校の黒ポルシェですが、医療関係者の話によると、このポルシェのオーナーであろうお遊び人風の男性は
「はりきゅう学校の生徒さんではないか。」
というのです。どういうことか、というと
「医療法人理事長(つまり私立病院オーナーなど)のご子息ではないか・・・?」
ということです。どういうことか・・・というと
「残念ながら医学部に入学出来るまでの学力が達していなかった方」
ではないか・・・というのです。

とすると助手席の女性は
「そのような境遇のはりきゅう学校生の淋しいハートを癒すキャバクラ嬢ではないか・・・。」
というものです。他にも
「医師免許を取得したものの、患者さんを診察する自信が無くてはりきゅう学校に入学することで時間稼ぎをしている方」
という説もあるそうですが、この場合、黒ポルシェなどではなく白BMW320iなどの場合が多く、助手席には女性はいないとのことでした。

 にしても人生初期に「医者になりたい」という自分の意志で医療者になった方ではないようですね・・・。

  つまり人生行路の船出で操舵室に何者かが侵入しては勝手に操舵してしまい、気が付くと医療者になるしかないという運命を生きておられた・・・というのか・・・。よく考えてこれば
「将来はり灸学校に行こう!」
と志す少年少女っているのかな・・・と考えてしまいました・・・(笑)
 

Re: ツボ刺激のプロの卵養成所遭遇記

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月16日(火)18時56分24秒
返信・引用 編集済
  > No.7739[元記事へ]

 トマトさん
>黒いポルシェが地べたを這うようにとまって
 うまい表現ですね。ありありと目に見えます(^^)
 お姉さんは助手席にいたのですね。つまりビルから出てきた若い男が運転して去っていった? てことは3分か10分か、いずれにしろ30分以内でしょう、男はちょっと鍼灸学校に用事があって乗り付けたという感じでしょうか。学校の関係者ではないですね。
 おそらくその男、借金の取り立てにきた貸金屋の兄ちゃん(もちろん社長)で、鍼灸学校の(少し目の悪い)オーナー相手に10分ほど凄んで、帰っていった、というのが私の想像です(>おい)(^^ゞ

 

Re:ツボ刺激のプロの卵養成所遭遇記

 投稿者:段野のり子  投稿日:2017年 5月16日(火)14時08分24秒
返信・引用
  トマトさま
お久しぶりです。
奇妙な体験をされましたね。「鍼灸学校の生徒」が団体でいる、という雰囲気、何かビミョーな感じですね。
私は「理学療法士」を養成する「リハビリテーション専門学校」の前を通ることがあります。彼らの将来は整形外科とかで、リハビリする人になるのですが、患者の筋力強化や回復させる実習をしているせいか、一年もすると、「マッチョ」な体形になっていく生徒が多くなることに気付きました。ツボ押さえたりして、自分の体力もつくのでしょうか。入学時には、草食っぽい男子でも、結構いい体形になるのです。これって、「お仕事」向きになるということでしょうか。
ところで、「ポルシェオーナーとお姉さん」はどんな関係だったのでしょう。気になるところです。(意外や意外、鍼灸学校の校長先生だったりして。お姉さんは単なる事務員かも)
 

ツボ刺激のプロの卵養成所遭遇記

 投稿者:トマト  投稿日:2017年 5月16日(火)13時20分4秒
返信・引用
  ずっと前のことだけど、都内某所に所用があって行って昼時に食事しに店に入ったんですよ。そうしたらぞろぞろ人が入ってきて相席になってしまいました。

  男性三人組との相席です。五十前後、三十代、二十代の男性たちです。

かれらはみなレトロというか殺風景というかそんな装丁の印刷物を手にしていました。『ナントカの日本』(神秘之日本だったりして・・・)という変わったタイトルの・・・。

  でこの男性三人組が話を始めたんですが、管理人さんの仰るようなツボの話でした。店内を見渡すとあちこちでこの『ナントカの日本』という不思議な印刷物を手にした皆さんがいらっしゃいました。という事は私だけが部外者・・・みたいな疎外感を感じた・・んですね・・・。というより彼らの雰囲気が独特でわたしはなじめなかった・・・という感じ・・・です。そんなことで珈琲飲まずに伝票もってさっさと退散・・・。

やや安室なみえに似ているレジの女の子に
「あの方々、どういう方々ですか?」
と訪ねると
「近くにあるシンキュー学校の生徒さんです。」
というヘントウが・・・。
「新旧(進級)学校・・・?予備校・・・?」
と聞き返すと、
「ハリとか、お灸とかマッサージとかそういう・・・。」
と答えてくれました。たしかに目立たないけどはりきゅう学校の看板はありました(小さな雑居ビルみたいな建物)


   しばらくして所用でまた都内某所にいきました。

すると今度は例のはりきゅう学校の建物の前に黒いポルシェが地べたを這うようにとまっていました。助手席に爪を水色に染めたケバいお姉さんが座っていました。
やがてはり灸学校から出てきたイカにも遊び人風の男性がポルシェに乗り込むと、ぶお~~~っと大通りにいっちゃいました。あのポルシェオーナーって何者?と思いましたよ。
 

総理と官僚

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月15日(月)21時12分20秒
返信・引用 編集済
   森友問題:財務省官僚を刑事告発してきました

 しかしでんでん総理、これだけ官僚に分厚く守ってもらっているとなると、官僚に何も言えなくなるんじゃないでしょうか。というか、すでに言いなり? あんた守るのん、もうやめた、なんて言われたら、即、政権崩壊ですからね。
 理財も、テレビでは腰が低くペコペコしていますが、夜は当たり前に接待されているんじゃないか。
理「ああ今日も、あんたのためにペコペコしすぎで腰だるいわ。ちょっと揉んでくれ」
で「へーい」
理「い、痛い痛い、痛いやないか、この下手くそ」
で「アイム総理ィ~、ヒゲソーリ~」
理「でんでん、おもんないねん」
で「わー、先に言われたー(泣)」

 なんてね(^^ゞ

 

眉村さん情報 初出誌判明

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月14日(日)22時34分51秒
返信・引用
   ツイッターをぼんやり見ていたら、こんなツイートが。画像に眉村卓の文字が見えて、カッと目を開く。
 
 元ツイート

「晩秋」というタイトルに見覚えがありました。『ながいながい午睡』収録作品に同タイトルがあるのです。初出誌情報が不明だった作品なのでしたが、たぶんこの画像の「晩秋」がそれでしょう。他の収録作品に同じくヒッチコックマガジン同年6月号初出作品が掲載されていますし、おそらく間違いないと思います。
ということで、リストに加筆しました。
こういうの、棚からぼたもちと言うんですよね(^^)
なお、このツイート主のflow2005さんは、いつもいろいろご教示くださる筒井康隆研究家の尾川さんなのでした。ありがとうございました!

 

「楽譜と旅する男」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月14日(日)21時10分41秒
返信・引用 編集済
   芦辺拓『楽譜と旅する男』(光文社、17)に着手。第一話「曾祖叔母オパールの物語」を読みました。
 当たるも八卦当たらぬも八卦、曾祖叔母が弾いた曲は「荒城の月」じゃないでしょうか※。
 実際、訓令式ローマ字表記ですと、《KÔJÔ NO TUKI》 ですから、第二の手がかりにも合致します。
 何はともあれ、証拠として記しておきます(^^;。
※私は直感しましたが、考えてみれば、音読派はあまりいないでしょうけど、音読的黙読する読者だったら誰でも分かるかもしれませんね。速読系の画像認識的な読みではちょっと無理かな(^^;

 

Re: これでもっと長い文章が書ける

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月14日(日)11時57分42秒
返信・引用 編集済
  > No.7734[元記事へ]

 ところで、昨日記したツボの名前ですが、もしかしたら違うかもしれません。
 というのは、いろんなツボ図を見ていたのですが、曲池→手五里から上に伸びる先にあるのは「臂臑」であるようです。
 でも私が感じるツボは、「臂臑」の場所とは確実に違って、その後ろなのです。
 後ろにあるのが「臑会」なのでそう比定したのですが、あとで気づいたのですが、「臑会」の筋を下に降りていくと、「手五里」ではなく、その後ろの「消れき」で、さらに降りると、「曲池」ではなく、「天井(てんせい)」に至る。
 つまり「曲池→手五里→臂臑」という筋の一本後ろに、「天井→消れき→臑会」という筋があるみたいです。
 曲池と天井は隣り合わせですので、私が勘違いしたのかも。しかし「臂臑」と「臑会」はかなり離れていて、間違えようがありません。
 いずれにしても、痛いと感じるツボは、触ってわかるので、名前なんかまあどうでもいいわけです。ここを押せば改善するという場所がわかって本当に喜んでいるのです。

 

Re: これでもっと長い文章が書ける

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月14日(日)11時29分2秒
返信・引用
  > No.7733[元記事へ]

 おや、トマトさん、お久しぶりです!
 歯医者も人間ですから、加齢で50肩や痺れがあっても不思議はないですね。でもそういうことは考えても見ませんでした。
 しかしそうと気づいてしまったからには、いかに歯医者さんが「深刻な苦労」をされているとしても、むしろそれゆえに、これからはもうお爺さんの歯医者さんには、怖ろしくて行けなくなりそうです(^^ゞ

 

Re: これでもっと長い文章が書ける

 投稿者:北関東のトマト  投稿日:2017年 5月14日(日)10時14分13秒
返信・引用 編集済
  管理人さ、ん。おひさしぶりです。
久野四郎の愛好家、トマトです。

ツボ刺激、読みました。

おそらく皆さん嫌いな歯医者さんも、腕の痛み&痺れに悩んでおられたことを思い出した。

北関東では『仕返し会』と発音される歯科医師会のあつまりにおいて、歯医者のセンセイ方のオナハシっていうのは、五十前後からやってくるという腕の痺れ&痛みと、そして、その緩和策としてのマッサージや針、酒でごまかすという話題が必ず登場しました。痺れが出るとタービンがぶれるのであとは息子さんにタービンを手渡すんです。人生ってそんなものかも、とはかなさを感じたものです。

  おおくの方々にとって歯医者は怖くて嫌なものですが、タービン握る側には患者の側からは想像もつかない深刻な苦労があったんですねー。





 

これでもっと長い文章が書ける

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月13日(土)21時34分41秒
返信・引用 編集済
   もう1年以上、2,3年になるかも分かりません、右の肩から腕にかけて調子が悪く、最近は書き込みも音声入力を利用したりしていることは何度か書きました。
 ここ10日ほどで、ようやく、否 急激に回復してきました。
 実はその直前の数週間、逆に痺れがひどかったのです。さすがにネットで調べてみる気になり、検索したら、椎間板ヘルニアの対処法として、ツボ指圧が紹介されていました。
 曲池というツボを押せ、と書かれていて、そこを押してみると、たしかにイタ気持いいではないですか。比較に左の曲池を推してみましたが、全然痛くない。ツボで痛くないのは問題ないということで、やはり右の曲池は問題があることを示しているとわかりました。
(追記。と単純化して書きましたが、実は曲池より少し下、曲池は肘の曲がる部分の上に隣接する部分ですが、肘の曲がる部分より指三本下の「手三里」も、最初は同時に痛かったのです。しかしまず手三里の痛みが消え、曲池に限定されていったというべきかも)。
 それから数日は、暇があれば推したり揉んだりしていました。すると、翌日の朝起きたとき、あれ、という感じがして、件の曲池を押してみたら、イタ気持ちよさが消失していました。で、たしかに腕の状態も良くなった。(連続的に良化するんではなく、寝て起きると前日よりも良くなっている。以下同じ)
 しかしその日のうちに、また調子が(以前ほどではないけれども)悪くなってきたので、指圧を再開しました。するとその翌日の朝、やはりイタ気持ちよさが消えているのです。
 そういうことを二、三日繰り返していたら、曲池は痛くないのに症状が残っていた。そこで(手三里から曲池に移ったのを思いだして)、順々に上に向かって痛いところを探っていったら、ビリっとイタ気持ちよい場所があった。調べたら「手五里」という場所です。
 でそこを押し始めたのが二日前。手五里も今はイタ気持ちよくありません。症状も飛躍的に改善して、ほぼ復活したと思います。
 ただ、100%ではなく、以前のような気持ち悪い痺れではなく、胡座をかいたときの痺れみたいな、気持ち悪くない痺れ(わかりにくいですか?)はまだときどきあります。
 そこで更に上を探ると、またイタ気持いい場所がありました。調べたところ、おそらく「臑会」だと思います。ここは上記3ポイントより格段に肉の厚みがある場所なので、なかなか厄介なんですが、頑張って揉んでいました。昨日は痛かったのですが、今日はなんともない。症状も完治といいたいくらいになりましたので、いま書き込んでいるわけです。
 この4ポイントは、触ってみると筋なのか腱なのか分かりませんが、一筋につながっています。おそらくこの筋自体がずれているかしていたのだと思います(その結節点が4ポイント?)。それを、結果的には下から順番に揉みほぐしていったということではないかと思います。
 いまでも何かの拍子に症状はでるので(その場合、4点のどれかが痛くなっています)、根本的には完治ではないんでしょうけど、その都度、揉みほぐせばすぐに治るようなので、ホッとしているこの頃なのであります。
※もっとも、根本的には姿勢が悪いのが原因で、そのさらに原因は脊椎の椎骨の一つが潰れているからなんですが、背筋と腹筋を鍛えればカバーできる。椎骨の潰れは20年以上前からわかっているので、実際のところ今度の症状は背筋と腹筋が弱くなったので顕現してきたものと思われます。毎日腹筋と背筋を10回程度でいいから続ければいいだけの話なんですが……(ーー;

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月13日(土)00時19分39秒
返信・引用
   元ツイート

 

眉村さんの読売インタビュー記事

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月11日(木)21時50分13秒
返信・引用 編集済
   読売新聞5月7日付朝刊に、眉村卓さんのインタビューが掲載されました。

《最近、人工知能(AI)が話題になりますよね。人間が戦って勝てるとすると、「適当に忘れる」能力というじゃないか。これって、我々年寄りの得意とするところ――》 ナルホド(^^;

 ※記事中の「5年前に食道がんの手術を受けた」は間違い。食道がんの手術は去年。
 私の勘違い。「5年前に食道がんの手術を受けた」で正しいです。読売新聞さまごめんなさいm(__)m

    ↓↓クリックすると拡大画像へ移動します。
 
 

戸田勝久さん個展

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月11日(木)11時59分56秒
返信・引用
   神戸居留地で戸田勝久さんの個展「5月の風と空の調べに」が開かれています
  と き  5月10日(水)~16日(火)
  ところ  神戸大丸 美術画廊
 西秋生「ハイカラ神戸幻視行」の装幀に使われている絵の原画も展示されています。

 
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月10日(水)19時15分14秒
返信・引用
   元ツイート

 

「剪燈新話(明)」「池北偶談(清)」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月10日(水)00時53分8秒
返信・引用
  > No.7701[元記事へ]

『中国怪奇小説集』より「剪燈新話(明)」と「池北偶談(清)」を読みました。
 前者は比較的長いものが多いとのことで、本項には「申陽洞記」と「牡丹燈記」の二篇だけ紹介されています。長いといっても、どちらも11枚程度で掌篇なんですが、起承転結があり、短篇小説の読後感があります。
「申陽洞記」は、馬琴『八犬伝』の、犬飼現八が庚申山で山猫の妖怪を射る件に、そっくり流用されているそうです。但し本篇は山猫ではなく猿の妖怪ですが。
「牡丹燈記」は「牡丹」で察しがついたのではないかと思いますが、円朝「牡丹燈籠」の元ネタです。
 どちらも数行にまとめるのは無理なので、要約はしません。

 後者から「火の神」
 楊という青年が某家に止宿していた。ある日某家の主人が 夜ふけに酔って帰ると、楊の部屋に煌々と灯りがついている。
「ほう、こんな遅くまで」窓の隙間からそっと覗くと、二本の大きい蝋燭を立て、緋の着物の人が机に向かって書物を読んでいた。
 翌日、それを話すと、楊は自分は早くに休んだと言う。
「いや私は確かに見た。頑張っていたじゃないか」と主人は笑っていた。
 しかし楊は笑っていられなかった。「これは何か仔細があるに違いない」
 その晩、寝たふりをしていると、大きな声がし、蝋燭が出現した。その火焔が昼のように照らす中、緋の着物を着た人が家来に警護されて来、机に向かって本を読み始めた。
 楊が驚いて大声で叫ぶも、緋衣の人はまるで聞こえないように本を読み続ける。やがて午前三時頃、その人は立ち上がって楊の寝床にやってきた。家来たちもやって来、楊のベッドの四脚をもたげて部屋中ぐるぐると引き回し、何度かは空中に投げ上げた。
 楊はもう気絶してしまって、正気に復ったときは夜が明けており、何者の姿もなかった。夢かとも思ったが、家の主人も見ているのだからあやしいことだ。こんなところに長居は無用とその日早々にその家を立ち去った。
 それから四五日、突然その家が火を発して、楊の部屋は丸焼けになった。

 楊が引き回され投げ上げられる場面は、なんか眉村さんが書きそうなシーンですね(^^;

 

各駅停車の利用法

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月 9日(火)21時16分45秒
返信・引用
   昨日は難波で飲み会。その帰途、天王寺で快速に乗ろうとしたら、満員というほどではないですが、ざっと見渡して、空いている席はありませんでした。
 ところが、その時点で酔いがぐわっと回ってきて、立ちっぱなしはどうもアブナそうな感じでした。
 次の快速を待つか。調べると次のは関空快速で、すなわち天王寺始発ではなく、環状線をぐるりと回ってくるヤツ。待っても座れる可能性はかなり低い。
 隣のホームを見ると、各停が止まっていた。それは空席がありそうでした。
 阪和線の各停は、私の感覚ですが、天王寺から大和川を渡るまでがとにかく長い。快速なら天王寺の次が堺市で約10分。それが各駅ですと7駅停まって、25分。快速待ちが長引くと30分以上かかるのです。
 ところが堺市(というか三国ヶ丘)から先は、快速で一駅である三国ヶ丘―鳳間が3駅、鳳―和泉府中間が3駅、和泉府中―東岸和田間が2駅、なので各停に乗っていてもそんなにジリジリしてくることが少ない。
 近年、座るの優先でよく各停を利用する私ですが、堺―天王寺間は、がまんして快速に乗ってしまいます。
 しかし昨日は、それでもいいと、各停に乗車しました。すぐに熟睡。ふと目覚めると、鳳駅で快速待ちしていました。だいぶ楽になっていたので、ちょうどホームに入ってきた快速に乗り換えました。もうそのあたりまで来るとガラガラではないですが、空席はポツポツとあるのでした(^^)
 で、10時半頃最寄り駅着。こういう乗り方ははじめてでしたが、体がラクでしたし、意外にいいかも。とはいえ、帰宅バタンキューは最近の常どおり。老いを実感するのでありました。哀号。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月 9日(火)20時36分2秒
返信・引用 編集済
 
   元記事

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>スティーブは青紫色に光る点が通常と異なる。新しいオーロラ現象だろう
 いやだから、その「新しいオーロラ現象」の、原因とか発生のメカニズムを知りたいのですよ。
「新しいオーロラ現象だろう」ってだけでは何も言ってないのに等しい。記者もそこを突っ込んで聞かなあかんやん。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月 8日(月)16時10分36秒
返信・引用
   


 「…………」


 

「日輪の遺産」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月 8日(月)01時45分44秒
返信・引用 編集済
  「日輪の遺産」(11)を観ました。
 昭和20年8月10日、陸軍近衛師団情報参謀の真柴少佐は、近衛師団長森赳からの電話で市ヶ谷の陸軍省に呼び出される。行くとそこには森の他に阿南陸軍大臣、梅津参謀総長、田中東部軍司令官、杉山第一総軍司令官がいた。
 真柴と、同じく呼び出された小泉東部軍経理部主計中尉は、そこでポツダム宣言受諾が決まったことを伝えられ、極秘の任務を与えられる。
 実はマッカーサーと彼の父親がフィリピンで貯め込んでいた900億円(現在の価値で2百兆円)もの財宝が、山下将軍によって奪取され、日本へ持ち帰られていた。
 秘密指令とは、そのマッカーサーの宝物を、終戦後の来るべき新生日本の原資とすべく、国庫から引き出し、某所へ隠匿せよという日本の未来を見据えた命令だったのです。
 一方、宮城事件へと至るクーデタが本土決戦を叫ぶ陸軍将校らによって計画されつつあった。彼らに知られる訳にはいかない。
 真柴と小泉と、彼らのボディガードとして付けられた望月曹長の3名は、クーデタ派の連中に悟られぬよう密かに出発する。途中実働部隊として或る女学校の生徒20名とその担任をピックアップし、秘密の隠匿場所へ到着する。
 彼女らの任務は、既に軍用車両で最寄り駅に到着しているブツ、起死回生の秘密爆弾の名目で積み込まれていたそれを、隠匿場所まで運搬する作業。作業は順調に進み、8月14日にはすべて運び終える。真柴の許に次の指令書が届きます。それは作業に関わった女学生を、口封じのため全員殺害せよというものだった。封筒には青酸カリが同封されて……

 非常に面白かったのですが、気になった点がいくつかありました。
 指令書を届ける男は、誰の命令でそうしているのか。上記の指令に疑問を感じた真柴が、日付も変わった15日未明、確認のため陸軍省に出向くと、すでに森はクーデタ派に殺害されていた。そこで陸相官邸に行くが、阿南も自決するところだった。然し阿南は、自分はそんな指令は出していないといい、真柴の介錯の申し出を退けて自害します。
 となると、上記の指令書運搬係は誰の命令で動いていたのか?

 阿南の言葉で、真柴は指令書の命令に従わないことにする。ところが8月15日正午、終戦のラジオ放送の後、帰宅するはずだった女学生は、荷物をまとめて置きっぱなしにして隠匿場所に集まり、青酸カリを飲んで死んでいた。
 これ、誰が(小泉が隠していた薬を持ち出して)彼女らに飲ませたのか。その説明がありません。
 ただ、一人の女学生が体調を悪くして休んでいました。そのことを知らず真柴と小泉が隣室で指令書の話をしていた。女学生は眠って夢を見ていたと真柴らに言いますが、実は聞いていたのかもしれない。
 では彼女が実行犯なのか。動機がありません。
 そこを穿ちに穿って、彼女にどんな動機がありうるだろうかと考えてみました。
 彼女は体が悪くて力仕事はできない。今回も殆ど寝所で休んでいました。その一方で、彼女は「七世報国」と墨書した日の丸鉢巻を全員のために作ってきていました。これは力仕事では迷惑をかけるので、せめてそれくらいはという気持ちだったと考えられる。と同時に、少しアカがかった担任の影響で多かれ少なかれ懐疑的な20名の中では、「七世報国」的な意識が強い娘だったということかも。
 で、そんな彼女が真柴らの話を漏れ聞いてしまい、真柴らが疑問に思ったその指令書の内容にむしろ賛同した。自分ら20名が死んで鬼となり、財宝を守ろうと、青酸カリを盗み出し、他の女学生を説得したというシナリオ。
 その後の展開を考えると(マッカーサーを退散させた)、どうもそれが正しい解釈のような気もしてきたのですが――この映画を観た方、すんなり動機を理解できましたか?(^^;

 

Re: ご参考までに

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月 7日(日)10時36分43秒
返信・引用 編集済
  > No.7721[元記事へ]

 雫石さん
 いま、当時を思い返しても、私は本当に競馬場に関連する記憶がないのですねえ。
 雫石さんが書かれている「この駅から競馬場入り口まで、予想屋さんがずらりと店を出していた」という絵も、まったく記憶からサルベージできません。開催日にそこを通らなければそういうものなのかもしれませんが、言い換えれば開催日以外は毛ほどもそんな雰囲気のない町並みだったということで、西宮市という風景環境とはまったく異質な、いわば時限スポットだったような感じがしますね。
 とは言い条そんな西宮市も、当節はもはや小松さんを育んだおっとりと上品な、ガツガツしない環境ではすっかりなくなってしまったようで、週刊新潮のこの記事など見ますと、野々村竜太郎氏が決して特殊な異端児ではなく、ごくふつうの存在だったのではないかとすら思わされますね(>おい)(^^;

追記。わ、また仁川を無意識に西宮市として記述していますね(汗)。年をとると思い込みの修正も難しくなるみたいです(ーー;

 

Re: ご参考までに

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2017年 5月 7日(日)08時38分57秒
返信・引用
  > No.7719[元記事へ]

仁川ですか。なつかしいです。わたし、学生時代、阪神競馬場でアルバイトしてました。
http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/s/%E4%BB%81%E5%B7%9D
けっこう日当の良いバイトでした。だから普通に募集してなくて、欠員ができたらツテで補充するということでした。
従兄に、管理人さんやかんべさんと同じ大学の男がいて、その男が辞める時、いいバイトだからとわたしに話を持ってきてくれました。
競馬のある時は皆勤で通いましたが、宝塚か西宮かは意識したことがないですね。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

「太陽の帝国」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月 6日(土)22時09分51秒
返信・引用 編集済
  「太陽の帝国」(87)を観ました。
 ああこれはよい映画でした。バラードの原作は未読ですが、脚本は原作に忠実らしい。
 たしかに、日本降伏後、蘇州の捕虜収容所が閉所となり、主人公の少年ジムは、上海に向かって歩き出し、途中、日本軍が英米仏租界から接収した(のだと思う)彫刻や家具やピアノなどが集められ野ざらしになっているところで一夜を明かすのですが、そのシーンのオブジェ感は、『残虐行為展覧会』に通底するものがあります。
 そういう意味で、一種の内宇宙になっており、実際の戦中の上海や捕虜収容所とは必ずしも同期するものではないようです。そのへんが基本リアリズムである戦争映画とは一線を画す映像世界になっていて、惹き込まれました。
 ところでオブジェに囲まれて一夜を過ごしたジムですが、朝起きると、一緒に寝ていた、収容所で親しくしてもらっていた婦人が死んでいるのに気づく。そのとき、東の地平線が、第二の日の出のように、一瞬明るく光る。ジムは、婦人が天国に召された光だと思う。
 あとでジムは、長崎での原爆投下が、その日その時間であったことを知る。
 ここ、本篇でもっとも(原作者が)力を込めたところでしょう。おおっと思いますよね。ジム少年は長崎のピカドンの光を実際に見たのでしょうか。
 上海と長崎の間の距離は800キロであると、ジムはラジオ放送で聞きます。
 一方、長崎のきのこ雲はここによると14キロの高さまで上昇したようです。
 ウィキペディア地平線の計算式を当てはめると、
 x≒√(Dh) [但し地表面を球面と仮定し、地平線を眺める視点の地表面からの高度をh、地球の直径をD、視点から地平線までの直線距離をxとする。ここではきのこ雲の高さをhとしています]
 x≒√13000×14
 x≒426キロとなり、800キロには全然届きません。
 しかし爆発の光ときのこ雲は同じではないので、光はもっと高空まで届いたのではないでしょうか(ちなみに800キロから逆算すると、上海から見える長崎は高度49キロ上空となります)。それに光は全方向に広がりますから、西に向かった光がどこかの地点で、上海から見て地平線上に出て見えたのかも。
 しかし光を見たというのは後年のジムの捏造記憶かもしれません。あるいは本当に魂が飛び去る光だった?

※「太陽の帝国」とは、単純に大日本帝国を指しているのかも。とにかく原作を読みたくなりました。

 

Re: ご参考までに

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月 6日(土)18時22分1秒
返信・引用 編集済
  > No.7718[元記事へ]

 かんべさん
 いやそうでもないと思います(^^;。大方の人は西宮市の北に宝塚市が連なっていることは知っていても、市境がどこかはあまり意識したことがないんじゃないでしょうか。
 現に4年間今津線を利用していたわが心を内観してみましても、宝塚市のイメージは宝塚南口から向こうですね。ではそれより手前は西宮と思っていたかといえば、そうでもない。西宮市とも宝塚市ともどっちともつかない、曖昧なエリアという無意識的理解だったように思われます。仁川は西宮市と認識していましたが。小林てどっちかな、うーん、どっちやろ、という感じですね。
 宝塚記念という賞レース名はもちろん知っていました。けれどもそれが宝塚市とは結び付かなかったです。これはひとえに学生時代から競馬に興味がなかったからで、在学中、仁川駅で降りることはおそらく200回前後あったと思いますが(仁川から乗車することはめったになかった)、川沿いに西方へ閑静な住宅街を行くばかりで、競馬場がどこにあるかも知らなかったです。こんな住宅街のどこに競馬場があるんやろ、と不思議に思っていたものでした。といって調べようとも思わなかったみたいです。まったく興味がなかったのでしょうね。もし日曜に通ることがあれば、競馬新聞を握りしめたそれらしき風体のオッサンがうろうろしていて、それと分かったでしょうけど、日曜に仁川駅を利用することはなかったですから。

「思い出す星さん・私的総集編」拝読しました。星さんのお人柄を映し出すエピソードを短い中に(といっても「寄せ書き」では長いほうですが)過不足なく収めた達意の文章であり、且つかんべさん、星さんを慕われていたんだなあということが素直に伝わってくるエッセイで好かったです。

 それはそうと、写真のかんべさん、眼鏡をかけておられたんですね、はじめて見ました(>細かいことが気になるタイプ)(^^;。

 

ご参考までに

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2017年 5月 6日(土)15時04分2秒
返信・引用
  仁川は宝塚でしたんかって、そんなん常識ですがな。世の中一般の常識ではないけど、
あのあたりの学校に通ってた人間にとっては。競馬にも「宝塚記念」とかがあるしね。
さて。「西宮文学案内」は小松さんのことでしたが、今度は「星新一公式サイト」に、
星さんのことを書きました。よろしければと思い、ちょっとお知らせまで。
http://hoshishinichi.com/note/
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月 6日(土)13時43分53秒
返信・引用
   
 
  ↑
 元ツイートのコメント欄もご参照。

 

「デイ・アフター・トゥモロー」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月 6日(土)02時44分32秒
返信・引用 編集済
  「デイ・アフター・トゥモロー」(04)を観ました。
 南極の気温上昇で、パーマー半島(南極半島)東側のラーセンB棚氷が割れ落ち、アメリカの小州に匹敵する面積の巨大氷塊が南大西洋に流れ出す。
 地球温暖化の進展とふつうは考えるわけですが、本篇は違います。
 漂流する巨大棚氷が南大西洋の海水温を引き下げ※、その結果、海流の流れが変わってしまい、北半球が寒冷化するのです(ウィキペディアによれば、そういう説が実際にあるようです)。
※氷が溶けることで海水の塩分濃度が薄まり、それが海流の変化を引き起こすとも説明される。というか説明されない。私もその理屈を少し考えてみましたが、知識不足で分かりませんでした。
 それを唱えていた科学者は、それは1万年のスパンで起こる現象としていたのですが、本篇ではそれがわずか10日ほどで起こります。日本沈没と同じ操作ですね(^^;
 2時間の尺の半分以上が寒冷化によって引き起こされた災害の(特撮)描写。宇宙ステーションから見る地球が真っ白になっていくのは圧巻。
 人間のストーリーはなきに等しい。そのスペクタルを見るだけで充分楽しめるので、たしかに不要ですね。
 ようやく後半に至って、氷結都市と化したニューヨークに取り残された5、6名の男女が、立てこもった図書館で、暖をとるため所蔵する本を燃やしながらサバイバルするストーリーになります。
 邦光史郎に『大氷結』という、寒冷化で東京がまさに氷結してしまう、その描写がなかなかよくて印象に残っているSF小説があるのですが、それを思い出しました。あれは面白かったなあ。以前から読み返したいと思っていて、ときどき探索しているのですが見当たりません。処分した記憶もないのに何処かへ消えてしまった本て、たまにあるんですよね。


 

「SF百科図鑑」分冊化

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月 5日(金)03時31分20秒
返信・引用 編集済
   雫石さんの『SF大クロニクル』の記事を見て、そうだそうだ、忘れていたことを思い出しました。
 ブライアン・アッシュ編/山野浩一日本語版監修『SF百科図鑑』です。
 

 ご存知でしょうけど本書、『SF大クロニクル』(576p)ほどではないですが、厚手の紙で394頁あり、重いんです。手にするだけで持て余します。しかも文字が小さい小さい。
 言うまでもありませんが、私、これを読むために購入したのですが、通読するのはきわめて困難。これを通読した人は10人もいないのではないでしょうか(>テキトー)(汗)。でもずっと読みたいとは思っていたのです。が、もはや目も衰え、「困難」から「不可能」のレベルに移りつつあります。
 でも読みたい。
 そこで思いついたのが、分冊化なんです(忘れてましたが)(汗)。
 3冊なり4冊なり分冊すれば、軽くなって、持ちやすくなって、文字の小さいのはどうしようもないですが、それでも「不可能」ではないし「困難」は「困難」かもしれませんが、「やや困難」程度になりそうな気がします。
 実はこれまでにも分冊化は試みているのです。
 
 

 余談ですが、ハヤカワってときどき訳の分からんことをしますね。こんなクソ分厚い文庫本はすでに文庫本じゃないですね。そもそも文庫本て、持ち運びやすくどこででも読める(そして安価である)ことが必須条件ではないでしょうか。昔、あれは角川文庫だったか、ジーンズの尻ポケットに文庫本を挿した広告がありましたが、文庫本の機能を明快に示したよいCMでした。
 お話、戻して――ということで、思い立ったが吉日でやってみました(^^;
 

 5分冊にしました。表紙あっさりしすぎですが、自分が読むだけなので(^^;
 

 こんな風に、片手で持って読めるようになりました♪。満員電車でも全然オッケー(^^)

 『啓示空間』のように、表紙カバーを利用して5巻セット用の函を作りたかったのですが、材料がなくてとりあえず断念。後日ということにします。

 

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